幕間 恩寵 Sideジーク
鼓動を高鳴らせ、知らず知らずのうちに震える手で開いた扉の先には───求めるものなど無かった。
広大な竜癒の間に座するのは、巨大な体躯を持つ半身。それのみであった。
「……我が竜珠は、何処だ」
硬い声で告げるジークハルトに、バルドルは沈黙のみを返す。
カツリ、とジークハルトの心と同じ様に硬い音を立てて、バルドルの間近で足を止める。
「他ならぬお前に……翠に焦がれる想いが判らぬはずがなかろう!」
己が半身を睨み付けるジークハルトを、バルドルはただ見下ろすばかり。冷たい石造りの室に沈黙が横たわる。
けれども、ジークハルトが退く事など有り得ない。
名付けのみではなく、竜の婚姻を交わしたものに与えられるものがある。
───恩寵。
それは、そう呼ばれた。
一対が伴侶を求めし時、その契約は求める相手によってその儀は変化する。
ヒトを求めし時、その儀は他の人間と大きな差異は無い。
竜珠を伴侶に求めし時は───その真名を竜王と竜、互いに交わすだけで良い。けれどそれは、竜身と言葉を交わせる竜珠のみが行える方法。真名を以って、互いの魂を結びつけるのだ。
それは、竜の契約。ヒトの契約とは異なり、竜の性を解き放つ。
……尋常ではない独占欲。それは、理性では御し得ないものだった。それ故に生まれる嫉妬。
その欲を抑えるために与えられし恩寵。
婚姻の儀を交わしてしまえば、互いの居場所をぼんやりとではあるが感じ取ることができる。
ただそれだけのものが、竜王と竜の一対にとって多大な影響を与える。
伴侶の気配をいつでも感じられるというだけで、常に傍に繋ぎ止めずとも精神は均衡を保つ。
「契約半ばとはいえ……今も、気配を感じ取れるのだろう?」
ぽつりとジークハルトが呟きを落とす。その力ない声に、バルドルがゆらりとその体躯を揺らす。
≪───あの者には……時が、必要だ≫
漸く重い口を開いたバルドルは、非情にもジークハルトに更なる時を望む。
翠が抱えているものが何なのか。それはあの短い逢瀬だけではバルドルにも感じ取れない。けれど、ジークハルトから距離を置こうとする翠へと問いを放った時の表情は───
≪だが、少なくともあの者は───翠は、其方を厭うては居らぬ≫
「ならば何故、我が許より去る」
≪そこまでは、我にも解らぬよ≫
それは、竜珠を見いだし、自ら問うと良かろう。
そう続けるバルドルに、ジークハルトが顔を上げる。翠を探し出せと告げているようなものだからだ。
竜の妬心は、他者にのみ向けられるものではない。互いの半身へ向ける思いが何より強い。
バルドルもまた、例外ではないのだが───未だに竜珠と見える事の適わぬ半身の想いは過ぎるほどに理解るのだ。
≪助力はせぬ。されど───妨害もせぬ≫
「……それで、十分だ」
バルドルが動くとなると、人の身であるジークハルトでは適わない。その翼で翠を連れ、大空を駆けてしまえば追いつけるものなどいないのだから───
けれど、邪魔をされぬのであれば……何としてでも探し出してみせる。
ジークハルトは、時を惜しむように身を翻す。
(逃れられると思うな───翠)
この焦燥も、扉を開いた瞬間の喪失感も。何もかも───その身で贖ってもらう。
ジークハルトは不敵な笑みを浮かべながら、その場を後にした。




