表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Short Short  作者: 小林 陽太
22/31

東城

 雨戸を閉めて、机上のメモ書きを一気にパソコンへ打ち込んだ。ある公立中学の数学教師の東城好夫はまた考えていた。考えても考えても到達できない、ある問題を。

 ――男と女が現実で出会う時と、男と女が夢の中で出会う時というのは、全く別のベクトルなのではないかと。夢の中で出会う男女というのは異性の理想像というものだ。ただ夢を見てるだけの状態だ。しかし、現実で男女が出会う時というのは、あからさまに容赦なく、戦場の中で戦術や呪術のようなもの、それは「駆け引き」と言われるが、そういう狐と狸の化かし合いの様なものが実際は必要である(らしい)。

 例えば、二人の男女が現実で出会うためには、男が行動的になって積極的に現実に邁進してゆく中で、女と出会わなければ出会いはない。何らかの用事を作って、動いてゆかなければ出会うことはない。仕事で結果を出し、稼いだお金で飯を食わすような最低限の器量が無ければ見過ごされることも多い。幾ら机の前で、本やパソコンとにらめっこしながら、ひきこもりオタクのように生活していても、女との出会いはないのだ。例えそれが夢を叶えるためや、自分を深め高めるための何らかの勉強であったとしても、壁に掛けてある時計が、一秒、もう一秒と時を刻むように、それだけを永遠に続けていたら、結局は女とは出会えることはないのである。これは物理的な意味でということだ。

 一方で、女も行動的になって積極的に現実に邁進してゆく中で、男と出会わなければ出会いはない。男と出会うためには、マナーのある程度に着飾り、自らを動かしてゆかねば目立たず見過ごされてしまうことが現実には多い。見過ごすような男が多いというのは疲れた男が多いからだ。また、男は女と違って外見から入る傾向がある。外見の印象が良ければ出会いの一段階目はクリアされ、お互いによく分からない初対面の選別で省かれた女に男との出会いはあまりない。自分はブスなんだとか、醜いんだとか、そのような後ろ向きな諦観を常々覚えていれば、結局男とは出会えることはないのである。それは精神的な意味でということだ。

 しかし現実の恋愛市場は、利害関係なのではないか。そこに小綺麗で洒落た理想的な演出をするのは単なる飾りであり、本音は利得を貪るための仮面を被った社交界ではないか。そこに愛などというものは、レプリカでしか存在しない。永劫回帰というか諸行無常というか、人と人の営み、それは男と女の営みなどというものは、娑婆というカオスの中で、本来何の秩序もなく、湧きあがってくる情動に左右されて行われては、また鎮静し、また行われては、また鎮静しを繰り返しているに違いない。それは、バーゲンセールの店内で、周りの客が飛びつくブランド物のアウトレットに、何の疑問も無く手当たりしだいに買い込むような、周りの客と奪いあって、ワーワーと華を、熱気をざわつかせるような、その後に、ふと我に返った時に、自分は何故あんなものを買い込んでいたのだろう騒いでいたのだろうと思うようなものではないか。現に結婚などというものは、その華や熱気というものはいつのまにか消え失せ、気が付けば二人の男女はおのおのの人生の墓標に向かって、それは目的に向かって、歩きだす。勿論、歩きもしないものも多いのだが。

 同じ墓標、同じ目的がそこに初めから無かったとすれば、堅実な男女でさえ赤の他人のようにして暮らすのだから、一時の欲情で結ばれた二人は冷めきるどころか、荒廃した戦場の家庭の中は、不倫やら喧嘩やらなんやらで離婚に至るのは当然ではなかろうか。そこに残るのは生存のための利害関係だけなのであって、その利害関係を見ないように自分を騙す者は、相手と繋がっていると恋愛妄想しているだけである。その妄想の中で、どれだけの子供が犠牲になっているのだろうか。冷めきった妄想の恋愛関係の中では、もはや人間関係というものは、情愛によるものではなく利害によるものへと変質しているのである。この男女は共犯関係であり、この二者関係以外で出会う者を例え、小奇麗で洒落た演出にて迎えようとも、利得を齎すための存在としか見なしていない。愛の不感症のように思え、また、愛を買おうとする態度が見受けられる。

 であれば、再び返り咲くのは、そのような恋愛市場の中からは逸脱していたと思われている、狐と狸の化かし合いの出来ない男女ではなかろうか。純愛が韓国ドラマにはあると言われるような、確かな人と人のコミュニケーション、それは霊と霊のコミュニケーションではなかろうか。うやむやにせずに、真っすぐとお互いを見つめ聞き合うような、そういう恋愛ではなかろうか。

 ――労働問題、教育問題、そういうものを考える前提には、それら以前の恋愛問題という、情欲の揺れるカオスな領域への洞察が必要ではないかと、好夫は常々思っているのである。これを現場主義、いや現場思想だと好夫は痛いほど身に染みて感じているのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ