溝渕
幼少の頃、ある花の花弁が、一枚、二枚、また一枚……と、儚く散ってゆくのを見た。その花は、僕の住んでいる市営住宅の一階にある、コンクリート製の大きな花壇に、背高く生えた逞しい向日葵だった。
夏になると、緑が繁茂する公園の内で、クマゼミが生命の躍動を連呼する。茂雄という男の子と、あさみというその妹、そして僕はその鳴声が響く雑木の中、虫取り網を持って駆け巡った。
今宵は涼しき夏の終わり、茂雄の妹のあさみと僕はその向日葵がぽろぽろと枯れ行く様を、夕空を背後に重ね重ね、何か物悲しい風情を覚えて、その落ちた花弁を集めて手のひらに乗せては、二人で花壇の土に手厚く葬ったことを昨日のことのように思いだす。
「ようくん。ひまわり、たねがたくさんつまっているね! 」
あさみは僕を見ながら微笑んでいた。あばたの笑窪が、歓喜の愛しさを僕の心に沁み渡らせる。午後七時、西日は既に沈んでいた。
――あれから、二十年が経ち、僕は社会人になった。地元の小さな古書店で、歴史書や文芸書、思想書などを扱う新米の店員で、店を訪れる老人や文学青年のような気難しい客を相手にする、地味な店員だった。それは、ある女性との長い恋愛の末に、現実の愛と理想の愛の落差を味わい続けた後、己の人生に懐疑を抱いて隠遁し、この個人の書店に勤めることにしたのであった。
その女性、いや、その“女”は僕に力を、あるいは行為を、あるいは言葉を激しく激しく求めた。その女は情緒不安定な顔の化粧の濃い女だった。
彼女の名は静子という。僕は初めて静子にあったときに、その儚げで今にも崩れてしまいそうな美醜の裏、深い悲哀を抱えている様に、何とかしてあげなければならないと私事ながら思い、彼女をどうすれば喜ばせることが出来るのかということに一心でならなかった。彼女が泣いていれば、その小さく発狂する被虐的なる情緒の混沌に、毎晩付き合わなくてはならなかった。彼女はマスカラを何度も濡らし、一人の時は髪を自分で振り千切るようにして無意識に抜く癖があった。彼女は男性の愛情に飢えていたのだが、その愛を受け取る能力に乏しく、終いには暴力すら望む有様だった。そして、その非道たる暴力の中に、己の存在を見出す様な所があったように思える。
僕が彼女を好きになったのは、今思えばそれは愛情だったのではなく、同情だったのではないかと……。僕を罵倒した後に、濃い化粧をして街へ繰り出す姿には、耐えられない屈辱のようなものを覚えた。何をしても、何をしてあげても、決して満足することの無い、その貪欲な“女”の姿は、僕を女性不信へと陥らせる格好のスパイスとなったのである。
恋愛に理想など今更抱けるはずはなく、鬱積した裏切りの不満の中で、いつしか僕は先人の遺してくれた活字、それは古書の中に、その理想の愛の原型を求めていた。黴臭い店のレジの裏の一畳ほどのスペースに、古びた机を知人から譲り受けては設置した。そこは、僕だけの小さな小さな書斎、唯一の理想の居場所だった。右手には黒い万年筆を持ち、古書を通して学んだことを大学ノートに筆を走らせる毎日が続いた。
ある日、一人の男性客がやってきた。真ん丸とした、熊のような風貌の男性だった。紺色の和服を着て、雪駄を履いていた。彼はじっくりと店内のある一角の本棚を吟味している。幾分かの後に何冊かの本を手に取り、レジに持ってこられた。
「これ、お願いします」
彼の顔を見つめると、僕とは目を会わさずに俯いて、何故か少しだけ微笑んでいた。目当ての本を見つけて悦に浸っているのだろうか。
「えぇ、これは……、湯川秀樹博士の手記ですね。中々、乙なものを見つけられましたね。あとは、個人出版のものと」
「……」
間を置いてから彼がこう言った。
「本には魂が詰まっているんです。古書を通して、いまや現存しない方々と触れ合うことができるのが心地よくて」
僕は目の前の男性が、急にそんなことを言いだすので、驚いて口を開けたまま聞いていた。
「あなた、文学部かそこらの人? 」
「工学部です。でも、本が好きなんです」
男は妙に艶めかしい口調で、微笑みながら僕にそのように告げる。その佇まいと彼の言葉に僕は心を打たれ、次の様に申し出た。
「……。ちょっとお茶でもどうですか? 僕は溝渕といいます。いま、用意しますから」
彼は断ることなかったので、僕は店の裏に回って、即席のお茶を用意した。彼との会話に興じるために。
――それから、彼と出会って一年が経っていた。僕たちは、プライベートで夜中まで始終会話をする仲になっていた。その中で、気付いたことは彼が同性愛者だったということである。
彼と二人でカフェに居る時、僕はいつものように浮んだ思索を大学ノートに書き連ねていたら、彼が不意に僕のノートを覗きこむ仕草をしながら、手の甲に接吻を重ねようとしてきたことがあった。最初は驚いて、単なる気のせいだと思ったのだが、後に彼は自身が同性愛者だということを冬にあった芸術祭の会場で漏らしたのである。
僕はその時一瞬戸惑ったが、彼の人柄が良かったので特別気にすることは無かった。しかし、彼は僕にいつしか身体を求めるようになっていた。僕はそこで僕自身が男性で異性愛者なのだという信念と、彼の僕に対する親愛の狭間で心が揺れ動き、身体は受け付けないが心は受け付けられる……という矛盾した葛藤の中に居た。今思えば、恐らくそのような矛盾が生じた背景には、かつての静子との狂気の恋愛が深く身に染みていたからではないだろうかと察している。
目の前の彼のたわわな裸体を見つめながら、僕の性愛の対象ではないという本能的拒否感と、しかしながら僕の親愛の対象であるという矛盾した受容感の狭間で、再び僕は鬱積と葛藤と同時に人間的なる歓喜を覚えていた。パイプ椅子に裸体の僕は腰を掛け、肉体的交接を否定しながらも、精神的交接の喜びに満ちていたことを僅かに思い出し認める。彼の下宿先の古びた床板の上で、彼は僕に何を求め、そして僕は彼に何を求めていたのか。それは、今思えば陰陽の調和だったのではないかと思えるのである。
「いいかげんにしろっ! 」
しかし僕はある日、その本域に遂に差し迫る直前に、彼の肉体を、いや彼の心を、手のひらで突っぱねてしまった。すると間も無く落涙がぽろぽろと、彼の大和撫子のようなふっくらとした顔面を伝った。丁度その時だ。僕はその時初めて、“彼は女性なのだ”と深く悟ったのである。その涙は、かつての狂奔する静子が見せる涙とは比べられないほど、美しい、それはそれは美しい女性の涙だった。僕はその時、極めて難しい気持ちを抱いたまま、枯れ行く向日葵の様な彼に頭を垂れ、謝ったのである。
「ごめんよ、ごめんよ、僕は……、やっぱり駄目だ」
心底情けない男だと僕は自身に思った。同時に本能的に彼を否定する気持ちに辟易とする。そして、僕たちは一線を越えようとしてしまったがために、そこには深い溝のようなものが後に出来てしまった事実を忘れらない。
――今でも、あの夏の日、あさみと見ていた向日葵を思いだす。
あの向日葵は、花弁を何枚も何枚も落として美しさを失っても、逞しく最後まで生き抜いた。美しさの花弁は何度も何度も、幼気な子供たちに毟り取られて埋葬される日々を送るかもしれない。しかし、本当の美しさというものは、あの向日葵の様な生き様にあるのではないか。
もう一度、あの、あさみの言葉を思い出す。
「ようくん。ひまわり、たねがたくさんつまっているね! 」
これを思い起こせば、今ならその幼気なあばたの笑窪のあさみをいじわるして、ぽろぽろと優しく泣かしてやりたいとさえ思えるが、その言葉はきっと真実に違いないのである。