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Short Short  作者: 小林 陽太
17/31

将恵

ガタン…。ドアが開いた。母の将恵が帰ってきた所だった。

「お、おかえり。」

母は疲れた顔見せながらも僕に微笑んだ。手持ちのショルダーバッグをダイニングのテーブルの下に置いて、冷蔵庫から天然水の入ったペットボトルを取り出して、グラスになみなみと注いだ。そのグラスは黄色い縞模様が入ったお洒落なグラスなんだけども、この前母と僕が100円ショップに行って買った安物だった。だけども、近頃の100円ショップというものは、目利きの利く者からすれば中々お洒落なものも置いてあるのだ。

「ただいま。あぁそうそう、武…、店長が辞めちゃうかもしれないって。どうしよう、私が代理で務めることになりそうよ。」

「あぁ、山本さん?辞めちゃうの!?」

「そうなのよ。どうしたことかしらね…。なんか、山形に帰省しなきゃならないことになりそうなんだって。それも長期…。」

「へぇー、実家は山形だったのか…。」

僕はいま高校三年生だ。来春は文京区にある、とある大学の理工学部を受験し合格するため、いまは通信教育の教材を使いながら、受験勉強を重ねている。

「武、憲二郎君は今日結局家に来たの?」

母が僕にそのように尋ねるわけは、憲二郎は僕の家に来ると勝手にシャワーを借りるのが常だからだ。

――憲二郎とは幼馴染で、よく幼稚園の頃とかは家でファミコンしながら遊んだものだ。最近は憲二郎がバイトが忙しくて会うことは減ってきたが、それでも週に2回は顔を会わす仲である。彼は今日、家に来てこんなことを言っていた。

「マジ疲れるわ、バイト先の店長。」

「疲れるんだね。店行ったこと無いから分からないけど、居酒屋って結構ハードそうだよな。」

「あぁあぁ…。昨日さ、フライヤーの油抜けって言われて抜いてたんだけど、熱くて熱くて…、ほら、やけどしちまったよ。」

「うーん。ケンちゃん、やり方下手糞なんじゃないの?」

「うるせー!おまえ、やってみろよ。あれ、運ぶ時すげー熱いから。」

「で、店長に何て言われたの?」

「『てめー、熱いとか抜かしてんじゃねぇぞ!』ってキレながら言われてよ。」

「あぁ、そう。」

「うん…。まじ、油を入れたドラム缶、蹴っ飛ばしてやろうかと思ったぜ。」

憲二郎は僕にいつもそのような愚痴を聞かせてくれる。

「うーん…。」

僕はその後、彼に上手なやり方を店長に教えてもらったら良かったんじゃないのと言ったら、「仕事は盗んで覚えるものだ」と、真顔で言われたらしい。まぁ、確かに忙しい職場だったら、そういうものかもしないなと思って、僕は納得していた。

「あぁ、そうそうシャワー貸してくれねぇ?汗吹き出しそうだよ。」

僕はいつものように、シャワーを貸した。でも、母の将恵は風呂場を勝手に使われるのが嫌なので、僕は内緒にすることにした。

――母の将恵は今日の新聞に目を通していた。先程の質問に対して僕は答えた。

「あぁ、ケンちゃんは今日はバイトだったから、来なかったけどね。」

将恵は訝しげに納得しながら、飲んでいたグラスを流しに入れると、テレビを点けて夜のニュースを見た。僕は手持ちの生化学の参考書に目を走らせていた。

『血中の酸素濃度を向上させるためには、アルカリ性への親和が望ましい。この場合…』

目の前のスタンドライトには小さな蚋のような虫が飛んでいた。時計は18時45分を指している。

母の職場の店長が居なくなったら、母は代理で店長になるから家に夜も帰って来ない。すると僕は夜は一人になる、ってことは…。勉強中に要らぬ妄想を抱いてしまった。憲二郎ではなくて、彼女の理枝を連れ込んで、それで…とか色々考えてしまったのだった。いかんいかん、こんなことでは受験に落ちてしまう、と思いながら鉛筆をノートに走らせ、化学反応式の記述に忙しかった。

20時になって、母と食事を摂った。お土産で頂いたすけとうだらの焼き物と白ご飯、そして、味噌汁と漬物だ。母子家庭で貧しい生活ながらも、僕は充実した高校生活を送っていた。同じクラスの理枝とは、来年は別々の進路になってしまうのは残念だけども、僕たちは親愛なる付き合いに忙しかった。特別、クラスで目立つ方ではないけども、昼はたまに一緒に学食でご飯を食べる仲だし、クラス公認のカップルってわけだ。

母が食事の後にお風呂から上がってきた後、「肩を揉め」と言うので肩を揉む。母の肩はとても疲れていた。固くて縮み上がった氷こんにゃくみたいだ。

「あぁー気持ちよかった! 武、ありがとう。母さん、もう寝るわ…。台所の電気消しておいてね。」

僕は母に微笑んで、「どういたしまして」と言った。

今日もささやかな一日が終わる。リビング兼寝室のテレビに映っていた人気のお笑い芸人がとても輝いて見えた。

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