表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Short Short  作者: 小林 陽太
16/31

霧島

「霧島君、女の子になんか興味あるの?」

静子が僕にそう言った。タペストリーが店の暖炉の上に飾ってあって、目の前のグラスにはロゼが注いであった。僕は静子の顔を見て、何度か視線を逸らしてから、向こうに居るウェイターの蝶ネクタイがどうだとか、店の雰囲気はどうなのだとか、そういうことに気を向けていた。

「聞いてるの、霧島っ!」

「…。」

僕は目の前で睨んでいる静子にしぶしぶ目をやってから、またウェイターの蝶ネクタイの方を見て楽しんでいた。蝶ネクタイが微妙に45度傾いていて、僕はそれをどうにかしたくて仕方が無かったのである。

十年くらい前に『ツンデレ』という言葉が一時期流行語になって、オタクの世界では有名になっていたみたいだけども、僕は目の前の静子に無理やりツンデレという代名詞をこれまで当てはめてきた。でも、本当は彼女は僕の中ではツンデレな女の子じゃない。ツンツンだ。いや、ツンツンツンだ。彼女みたいな“女の子”には、デレデレの男が一番のお似合いなのだと思って、何かぶつぶつ独り言を言っている隣の健司に耳元で言った。

「…おぃ健司。…出番だぞ。」

僕は健司の太もも辺りをつねった。すると嬉しそうに微笑んだ後、こう言った。

「…馬鹿野郎、おまえはもっと女の気持ちってものを知った方がいいんじゃねぇか?」

さっきから何かぶつぶつ言っていると思ったら、そんなことを言っていたのかと僕は思った。一発殴ってやろうかと思ったが、ウェイターの手前、僕はこの二人の前でそれを堪えていた。

さっきの蝶ネクタイのウェイターが伝票を僕の元に持ってきたので、僕は自分の首の所に触れる仕草を彼に見せると、彼は自分の蝶ネクタイに気付いて元の状態に戻してくれた。僕はホッとしていると、今度は静子がウェイターにもう一本“負けじ”とワインを追加注文していた。

「ちょっと、僕はトイレ行って来るよ。」

僕は静子と健司に軽く会釈してから、レジの前に居たさっきの素敵になったウェイターにも会釈をしてそのまま店を出た。

その後、僕は雪の降る下北沢の街を一人で歩いていた。ヴィレッジ・バンガードという雑貨屋に入って、プラスチックで出来たダイヤが埋め込まれたおもちゃの眼鏡を買った。今頃、静子と健司はどうしているのだろうか。そのように心配している僕はどれだけ他人想いなんだろうと思ったりもした。きっと今頃、僕が代金も払わずに店を抜けて出て行ったことに対して、何か口論しているに違いない。

僕はおもちゃの眼鏡を掛けて、辺り一帯の人だかりを見た。すると、街をゆく老若男女が、みんな疲れた子供みたいに見えてきた。このおもちゃの眼鏡を通して、目を凝らして見てみると、どうも若者にあやしてもらっている老人や、老人にだだを捏ねられている若者みたいな、いろんな人種が入り混じっているように見えた。僕は何度も不思議に思った。このピンクのおもちゃの眼鏡で人々を見渡すと、人間が肉体の年齢ではなく魂の年齢で見え聞こえるようになるからだ。

小雨が降り出したので裏道に入ったら、イタリアンなパスタ屋の前で男の子が母親から何かつまらないことで叱られていた。しかし、僕にはその男の子が巨人のような、滝のように水しぶきを上げるような、大きな存在に見えていた。脇で何やらぐじぐじと叱っている母親の方を見ると、犬にもやしが生えたような感じに見えて、僕は思わず笑ってしまった。幼い、いや若いのだ、自分の息子よりも。

小雨が降りやむまで、裏道で煙草を吹かしていた。僕は今度は表道に出ようとすると、一人の中年の陽気な男性に声を掛けられた。

「お兄さん、ちょっと僕と遊んで行かない?」

するとその中年は僕の華奢な腕にはち切れんばかりの腕を絡ませてきた。…なるほど、彼はゲイなんだ。

「いいけど、“僕”は“君”を満足させることは出来ないよ。」

すると、彼は寂しそうな顔をしてこう言った。

「そう、残念だな。…いつでもこの店で待ってるからさ、良かったらまた来てよ。」

僕に特製の名刺を渡してきた。彼の好意を受け損じるわけにはいかないから、僕は代わりにポケットに入っていた飴玉を一個彼に「ありがとう」と述べて渡した。そして、別れ際手を振ってから会釈した。

再び淡い小雪が降ってきた。街ゆく人々はみんな疲れていたけども楽しそうだった。ある店の角で、一人の美女と出会った。街頭で店の商品を宣伝していた所だった。

「これ何の商品ですか?」

長髪の彼女は、美しい微笑みで僕にそれを説明してくれた。

「シャンプーです。髪が赤ちゃんの頃みたいにサラサラになるシャンプーなんですよ!」

そうか、なるほど。だから彼女の髪の毛は、サラサラと彦星と織姫が巡り合う天の川みたいに輝いているのか。雪の結晶が彼女の頭に流れ星のように幾つか降ってきていた。

「ちょっと写真撮らせてもらえませんか?」

すると、彼女は一瞬強張った顔を見せた。

「あなたみたいな美しい人を、今日の思い出に残せないことは悔いますからね。」

僕は無理やり写真を撮った。彼女は実は写真に撮られることを苦手としていたのであった。お礼を述べてから、僕は再びピンクのおもちゃの眼鏡を掛けると、駅の方を目指して歩いていった。すると駅の改札に健司と静子が居た。健司の方は何か言いたげで、静子の方は泣いてマスカラがボロボロになっていた。

「あぁ、あのまま店出て悪かったな。」

すると健司がこう言った。

「俺の父親はいつもそうやっておまえみたいに帰って来ねぇんだよ!」

また、静子は僕にこう言った。

「…どうしていつも私を置き去りにするのっ!?」

そして、僕は改札の前に居る二人に土下座して謝った。改札を通る老若男女がみな僕の方を見ていた。僕は泣きながらその場を立ちあがると、ピンクの眼鏡を外してから声を振り絞ってこう言った。

「健司、ごめんよ。静子、ごめんよ。ごめんよ、ごめんよ、ごめんよ…。」

慌ただしく一人の駅員が駆けつけてきて、泣いている僕をフォローした。

「どうされましたかっ!?」

「…うぅっ。…僕も自分でもよく分からないんだ。“僕”はなぜ生まれたときから、こういう生き方しかできないのかが。」

すると、一人の老人が僕の後ろの丸椅子に腰かけていて、ぐすぐすと泣いていた。また、もう一人僕の脇を老女がまるでお悔やみを申し上げるかのように、「御苦労さま。」と述べて通って行った。

そして、紺色の警備員の制服のようなものを着た駅員が僕の顔を真剣に覗きながらこう言った。

「…。…お兄さん。僕はもしかしたら、あなたと似たような人かもしれません。だけども、僕は一度“自分”を裏切って、“自分”だけの人生を歩むためにこうやって駅員として生活しているんです。」

僕はその駅員の顔をまじまじと見た。そういえば僕の兄弟と似ていた。

「…すみませんが、どうか、健司と静子を大事にしてやってください。」

僕はその駅員にも深々と頭を下げて、改札を出て行った。健司と静子がどんどん僕の視界から遠くなって、小さな点の様になっていくのが見えた。だけども、健司と静子の心は、いつまでもいつまでも眠ったままなんだ…。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ