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Short Short  作者: 小林 陽太
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美羽

赤坂にメトロで着いてから、僕は美羽を待っていた。足元には煙草の吸殻が幾つか落ちていたが、僕が捨てた吸殻じゃない。僕はいつも携帯灰皿を持っているし、寧ろゴミを捨てる人間ではなくてゴミを拾う人間だからだ。

先日は地元のコンビニエンスストアの前で、ある男が車の窓から捨てた弁当の入った袋を、男が忙しそうに去った後にわざわざ拾って、備え付けのゴミ箱に捨てた。それを見ていた別の車に乗っていた色黒の女が、感心そうな顔をして僕のことを見ていたが、僕はそれに別段、心地良く人間的に優越するような気持ちを抱いたわけでもなかった。

今日は美羽が明日の夜に大阪に引っ越すと聞いていたから、恐らく最後の別れの意味で僕を赤坂に呼び出したのだろう。学生時代はいつも二人で歩いていた赤坂の街。しかし僕には特別な思入れがあるわけじゃなかった。僕たちはいつも落ち付いているようでいて、学業やら何やらで忙しかったし、このような光や色が犇き合う街を歩いていても、それは僕ら二人については淡い風景にしかならなかったと思う。それに美羽はいつも僕と居る時は、決して作り笑いなんかすることはなかった。キャンパスでは彼女はどちらかというと派手な部類のグループに所属していて、誰かが何か喋ることに対しては、彼女は作り笑いしていた。でも、僕の喋ることには真剣な眼差しで時々複雑な表情を示しながら、ただ聞いていたことを昨日のことの様に覚えている。僕は微笑む彼女も好きだったけれども、微笑んでいない時の何とも言えない女性らしい雰囲気を漂わしている彼女が愛おしくてたまらなかった。何かを感じているときの女性のあの雰囲気だけが、僕が一人の男性であるのだということを深く実感させたからかも知れない。

四時半、僕の前に一台の車が止まった。Majestaの中には一人の見慣れない男が運転席に座っていて、バックシートの窓には黒いフィルムが張ってあって中がよく見えなかった。するとその後方のドアが開いた。美羽だ。淡いベージュのワンピースを着た美羽がその運転手の男に会釈をすると、僕の元に小走りでやってきた。

「…待った?」

「いいや、着いてからあっという間だったよ。」

僕は美羽に嘘をついた。もうここで40分待っていた。しかし、僕にとって現実的時間の流れは、イデアを求める思考活動の中ではいつもストップしてしまうのだから、特別苦痛に感じたりすることはない。気温や湿度、気象が僕の人体にとって不快ならば、きっとその40分は長く感じたに違いないだろうけども。

その後、美羽と僕は見附の繁華街にある喫茶店に入った。

「大阪に引っ越すんだって?それも明日、夜って。」

「えぇそうなの。急な転勤だよね。」

「そうだね。…それで、どうして今更僕に連絡を。」

美羽はシルバーのリングをはめている手で自分の髪の毛を二度解いた。彼女の手はこんなに小さかったかなと僕は気付いて、手元のコーヒーに口をつける。

「勇樹君に伝えてなかったことがあるの。私のお父さんが…」

美羽は僕に真剣な顔をして、時々俯きながらそう言った。

「…そうだったんだね。今までそんなこと一言も言ってなかったのに、やっと今日話してくれたんだね。」

美羽の父親がガンを患っていて、もう余命が短いのだという。僕は何の力にも慣れそうになかったが、その後も彼女の話にずっと頷いていた。

つい先日、僕たちは別れようと話しあっていた所だった。別に僕に熱烈に好きな人が出来たとか、美羽にも好きな人が出来たとか、そういうわけではない。僕は美羽と一緒に過ごした日々はこれまでに無いほど幸せな日々だった。お互いを奪いあうような、傷つけあう人間関係に疲れていた僕にとって、彼女は儚く逞しく咲いた一輪の花だった。だが僕は美羽に対してある劣等感を抱いていた。生まれも育ちも違う、居る所は同じでもこれまでの自分の歴史と、これまでの彼女の歴史の圧倒的な違いのようなものを感じていたからだ。

美羽は綺麗だった。僕も美羽と同じ綺麗な所に居た。だけども、僕は彼女と比べて偽物のレプリカみたいなものだった。僕は僕自身のことを血を飲んできて、美しさを保つような偽善者のような気がしていた。だから僕は、美羽と付き合う様になってから似たような偽善者としか結局は付き合えないのだと深く悟っていたのだ。

君が何か僕のやることなすことに感動するたびに、僕は心の中で深い落胆のようなものを味わった。いや、今思えばこれは僕が君に対する仕事だったのかもしれない。君が君自身を経験するために、きっと僕が必要だった。僕は血みどろになって君に綺麗を与え続けようと最初から心に決めていた。けれども現実存在として、一組の男と女が綺麗さだけを分かち合って生きて居られるだろうか。

僕が君を初めて求めたとき、君は抗った。君は僕に「優しくして」と願った。君が本当に欲しかったのは…、そう男性の恋情ではなく、愛情だったのだ。そして君が欲しかったのはきっと僕じゃなかった。君が欲しかったのは君自身、君自身の中に潜む愛情だったのだと、あの晩気付いた。だから、今後交錯することのない人生を予感していた僕は、僕は君に綺麗な思い出だけを残していって、君に別れ話を切りだすことにしたのだ。

「それで大阪に越してから、父親の元へはどうやって見舞いに行くの?」

美羽は時計を見ながら、再び僕の方を見て何かを言おうとした。

「…。」

しかし、美羽は何も言うことはなく、その後5分ほどただ沈黙していた。僕はコーヒーを飲み干して、500円玉を一枚テーブルの上に置いて、店を出た。

赤坂の空は淡い青紫色に染まっていて、細やかな雨が降り出していた所だった。“僕”はそういう難しい人間なのだ。

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