静子
静子は言った。
「あなたは私のことどう思っているの?いつまでそうやって黙ったまま私を置き去りにするの。本当は私のことなんか興味ないんでしょ?」
青いパンプスが似合う静子は今日だけは赤く煮えたぎっていた。哲也には彼女の瞳の奥に居る彼女自身が、何かそれは何か泥沼に沈んでゆく蛇の様に見えた。
「…。」
哲也は静子に返す言葉が無かった。哲也は彼女を“愛していた”から、彼女に返す言葉は無かった。
静子はだからこそ泣いた。彼女は肩を揺らし彼の前で泣き崩れて、彼のスラックスを両手で鷲掴みにして何度も何度も引っ張って喚いた。それなのに哲也はただ突っ立ったまま、上から彼女が泣いている様子だけをまるで東京タワーから観覧する様に眺め見下ろしただけだった。
彼は彼女の美しい黒髪の頭頂にそっと手を置き優しく撫でた後、彼女の手を急に振り払うようにして、夜の銀座の街へと再び消えて行った。
静子はホテルの前の路上に崩れた肉塊の様になって、ただ茫然とアルコールが切れた物の怪になって座り込んだ。
青いパンプスが、彼女の脇に片方だけ転がっている。夜の銀座を歩く男女は、誰一人として彼女に声をかけなかった。
哲也は言い知れぬ情緒の虚無に溺れながら、東京駅八重洲口から高速バスに乗って京都へ帰っていった。