第9話:ドリンクバーの元を取ろうとして、お腹を壊すのは本末転倒です
駅前のファミレス『ガストリア』。
ボックス席に座るなり、アリスは周囲を見渡し、スッと右手を優雅に挙げた。
「……ボーイ。オーダーをお願いします」
透き通るような声だが、騒がしい店内ではかき消される。
店員は誰も気づかない。
「……無視されました。この店の接客レベル(サービス)はどうなっているのですか?」
「違う違う。ここじゃ手は挙げないんだよ」
「そんな、ファミリーレストランでの注文の概念は知っていたはずなのに……」
「その概念が通用するところもあるかも知れないけど、この店はセルフオーダーなんだよ」
俺はテーブルの隅にある、タブレットを指差した。
「これを使って注文するんだ」
「牛メシと同じ注文方法でしたか」
「そゆこと」
俺たちは『ドリンクバー単品』と、つまみとして『山盛りポテトフライ』を注文した。
◇ ◇ ◇
アリスはメニューの価格を凝視し始めた。
「……ドリンクバー、399円。原価率を考慮すると、コップ一杯のソフトドリンクが約20円として……最低でも20杯は飲まないと損益分岐点を超えませんね」
「あのな、ドリンクバーは『元を取る』場所じゃない。『好きなものを好きなだけ飲む』場所だ」
(というか、その発想は俺たち貧乏人の専売特許だろ。お前が言うなよ)
「いいえ。支払った対価は回収しなければなりません。それが経済活動の鉄則です」
アリスは真剣な顔で立ち上がり、ドリンクコーナーへ向かった。
数分後。
彼女はメロンソーダを並々と注いで戻ってきた。
それを上品かつ迅速に飲み干すと、すぐに席を立つ。
「次はオレンジジュースです」
戻ってきて、飲む。また立つ。
「次はカルピスです」
戻ってきて、飲む。また立つ。
「落ち着けよ! シャトルランか!」
「複数のコップを使用するのはマナー違反ですから。単一のグラスでの高回転洗浄と充填を繰り返す必要があります」
「だとしてもペースが早すぎる!」
アリスは息を切らせて着席した。
「ふぅ……。これで現在、原価回収率は約25%……」
そこへ、揚げたての『山盛りポテトフライ』が運ばれてきた。
山のように積まれたポテト。横にはケチャップとマヨネーズが添えられている。
「カケル。これは……カロリーの塔ですか?」
「ガストリアに来たらこれだろ。ほら、食おうぜ」
俺はポテトを一本つまみ、ケチャップをつけて食べた。
アリスはフォークを手に取り、少し困った顔をする。
「……取り皿がありません」
「ないよ。こうやって二人で一つの皿をつつくんだ」
「直箸ならぬ直フォーク……? 衛生的リスクを共有するということは、よほどの信頼関係がなければ成立しない行為では?」
「大袈裟なんだよ、ほら食べてみ?」
俺がポテトを差し出す。
「……熱っ。……美味しい。塩分が脳に染み渡ります」
「だろ? で、喉が渇いたらドリンクバーだ」
アリスはポテトの塩気に当てられ、再びグラスを手に取った。
「次は原価の高い『野菜と果実のミックスジュース』を集中的に攻略します」
「お前、言ってることとやってることが俺より貧乏臭いぞ……」
「失礼な。これは『資源の最適化』です」
俺はホットコーヒーを啜りながら、呆れてため息をついた。
まあいい。それより本題だ。
「それじゃ、映画の感想戦といくか」
「はい。有意義な時間でした」
アリスはミックスジュースをストローで吸いながら、先ほどの映画を振り返る。
「今回観たのは、いわゆる『和製ホラー(Jホラー)』だ」
「和製……日本製ということは、海外のホラーとは別物ということですか?」
「ああ。作品によって違うところもあるけど、傾向が違うんだ。日本の場合は『呪い』とか『霊』とか、得体の知れない物の恐怖だったり、因果応報な話が多かったりする。『悪い事をしたから呪われた』とかな」
「ふむ。確かに『呪怨の廃校(仮)』の主人公たちは因果応報でしたね。深夜に廃校に侵入するなど、自業自得です」
「まあ、そうしないと話が進まないからな」
アリスの容赦ない切り捨てに苦笑する。
「そんで、海外ホラーだと殺人鬼とかゾンビとか、物理的な怪物が追いかけてくるパターンが多い。グロいシーンも結構多めだ」
(あーでもゾンビモノは日本でも結構多いか)
「……なるほど。スプラッターですね」
「アリスの家だと、そういうのは……」
「『九条院フィルター』が絶対に通さないでしょうね。私の視聴履歴は、世界名作劇場と教育ドキュメンタリーで埋め尽くされていますから」
アリスは少しつまらなそうにストローを回した。
箱入り娘のガードは鉄壁らしい。
「個人的に、海外ホラーは『あー怖かった、びっくりした!』で終わるエンタメが多いけど、和製ホラーは後を引く……というか、いつまでも日常に湿っぽさが残る感じがあるな」
「……同感です」
アリスがコップを置いた。
「ラストシーンの派手な演出よりも……中盤の、鏡にゆっくりと映り込んだ女性の霊。あの静けさの方が、非科学的だと分かっていても恐ろしく感じました」
「日本の作品って、そういう『間』の恐怖があるよな」
「はい。……思わず、カケルの腕を掴んでしまうほどには」
アリスが上目遣いで俺を見た。
ドキリとする。
「あの時は、失礼しました」
「い、いや。別にいいけど」
「ですが……興味深いデータが取れました」
彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「恐怖を感じた時の心拍数の上昇は、恋愛感情によるドキドキと脳が誤認する……という心理学説があります。『吊り橋効果』というやつですね」
「……へえ、知ってるのか」
「概念は知っています。以前、文献で読みました」
(……待てよ?)
俺はふと疑問を抱いた。
こいつ、ホラー映画を選んだ理由って、もしかしてそれを試そうとしたのか?
いや、まさかな。「幽霊を科学的に検証したい」とか言ってたし、単なる好奇心だろう。
「それで? カケルの心臓も、少しは誤認しましたか?」
「…………ノーコメントだ」
俺が顔を逸らすと、アリスは「ふふっ」と満足そうに笑い、空になったグラスを持ってまた席を立った。
◇ ◇ ◇
「カケル、見てください。新発見です」
戻ってきたアリスの手には、怪しげな色をした液体が入っていた。
薄い緑色で、シュワシュワと泡立っている。
「……何それ?」
「『メロンソーダ』と『カルピス』を1対1の比率で混合しました。化学実験です」
「うわ、出た。ドリンクバーの醍醐味『オリジナルミックス』」
「……飲みます」
アリスは恐る恐るストローで吸った。
「……!」
「どうだ?」
「美味しい……! メロンの香料と乳酸菌飲料が融合し、まろやかな『クリームソーダ』の味を再現しています! これは錬金術です!」
「子供かよ。まあ、それが楽しいんだけどな」
アリスは錬金術の成功に気を良くし、再び席を立った。
今度はコーラとオレンジジュースを混ぜようとしている。やめておけ、それは失敗するぞ。
「それにしても……」
俺はドリンクバーへ向かうアリスの背中を見る。
彼女はこれまで、俺が当たり前に触れてきたサブカルチャーをほとんど摂取してこなかった。
名作映画も、国民的アニメも、流行りの漫画も。
彼女の中のデータベースは、真っ白に近い。
「これから、色々な作品を観てみたいです。カケルのおすすめ、また教えてくれますか?」
戻ってきたアリスが、謎の色の液体(失敗作)を片手に、期待に満ちた目で言った。
俺は少し考え込んだ。
正直、ある意味で羨ましいとも思う。
『記憶を消してから、もう一度観たい作品』というのは結構ある。あの衝撃、あの感動を、何の予備知識もなく新鮮に味わえるなんて、最高の贅沢だ。
(そうなると、順番も重要か?)
俺の中のオタク心がうずき出した。
古い古典から順に見せるべきか?
それとも最新の覇権アニメから入るべきか?
いや、単純にそういう話でもない。
(アリスの時間は、きっと俺よりも有限な気がする)
彼女はいずれ、家が決めた許嫁と結婚したり、また海外へ留学したりするかもしれない。
俺とこうして遊べる時間が、いつまで続くかは分からない。
だったら――。
「楽しみ方は人それぞれ、どう感じるかは自由だ。でも……せっかくなら、最高に感動して欲しいよな」
「はい?」
「次は何を見せるか、本気で考えておくよ。俺の人生を変えたような傑作をさ」
「……はい。期待しています、師匠」
アリスは嬉しそうに頷き、そして――急に顔をしかめた。
「……うぅ」
「どうした?」
「……お腹が、重いです」
「そういや何杯飲んだんだ? 飲みすぎだ!」
「くっ……元を取るまでは……あと十四杯……?」
「やめろ! 医療費の方が高くつくぞ! 損益分岐点を見誤るな!」
結局、アリスは六杯目のジュースでギブアップし、俺たちはトイレ休憩を挟んでから店を出ることになった。
全く、このお嬢様は。
賢いのか馬鹿なのか、本当に分からない。
次回 第10話:カラオケボックスは、歌うためだけの場所ではありません




