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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
一年生編

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9/50

第9話:ドリンクバーの元を取ろうとして、お腹を壊すのは本末転倒です

 駅前のファミレス『ガストリア』。

 ボックス席に座るなり、アリスは周囲を見渡し、スッと右手を優雅に挙げた。


「……ボーイ。オーダーをお願いします」


 透き通るような声だが、騒がしい店内ではかき消される。

 店員は誰も気づかない。


「……無視されました。この店の接客レベル(サービス)はどうなっているのですか?」

「違う違う。ここじゃ手は挙げないんだよ」

「そんな、ファミリーレストランでの注文の概念は知っていたはずなのに……」

「その概念が通用するところもあるかも知れないけど、この店はセルフオーダーなんだよ」


 俺はテーブルの隅にある、タブレットを指差した。


「これを使って注文するんだ」

「牛メシと同じ注文方法でしたか」

「そゆこと」


 俺たちは『ドリンクバー単品』と、つまみとして『山盛りポテトフライ』を注文した。


 ◇ ◇ ◇


 アリスはメニューの価格を凝視し始めた。


「……ドリンクバー、399円。原価率を考慮すると、コップ一杯のソフトドリンクが約20円として……最低でも20杯は飲まないと損益分岐点を超えませんね」

「あのな、ドリンクバーは『元を取る』場所じゃない。『好きなものを好きなだけ飲む』場所だ」


(というか、その発想は俺たち貧乏人の専売特許だろ。お前が言うなよ)


「いいえ。支払った対価コストは回収しなければなりません。それが経済活動の鉄則です」


 アリスは真剣な顔で立ち上がり、ドリンクコーナーへ向かった。

 数分後。

 彼女はメロンソーダを並々と注いで戻ってきた。

 それを上品かつ迅速に飲み干すと、すぐに席を立つ。


「次はオレンジジュースです」


 戻ってきて、飲む。また立つ。


「次はカルピスです」


 戻ってきて、飲む。また立つ。


「落ち着けよ! シャトルランか!」

「複数のコップを使用するのはマナー違反ですから。単一のグラスでの高回転ハイスピン洗浄と充填を繰り返す必要があります」

「だとしてもペースが早すぎる!」


 アリスは息を切らせて着席した。


「ふぅ……。これで現在、原価回収率は約25%……」


 そこへ、揚げたての『山盛りポテトフライ』が運ばれてきた。

 山のように積まれたポテト。横にはケチャップとマヨネーズが添えられている。


「カケル。これは……カロリーのタワーですか?」

「ガストリアに来たらこれだろ。ほら、食おうぜ」


 俺はポテトを一本つまみ、ケチャップをつけて食べた。

 アリスはフォークを手に取り、少し困った顔をする。


「……取り皿がありません」

「ないよ。こうやって二人で一つの皿をつつくんだ」

「直箸ならぬ直フォーク……? 衛生的リスクを共有するということは、よほどの信頼関係がなければ成立しない行為では?」

「大袈裟なんだよ、ほら食べてみ?」


 俺がポテトを差し出す。


「……熱っ。……美味しい。塩分が脳に染み渡ります」

「だろ? で、喉が渇いたらドリンクバーだ」


 アリスはポテトの塩気に当てられ、再びグラスを手に取った。


「次は原価の高い『野菜と果実のミックスジュース』を集中的に攻略します」

「お前、言ってることとやってることが俺より貧乏臭いぞ……」

「失礼な。これは『資源の最適化』です」


 俺はホットコーヒーを啜りながら、呆れてため息をついた。

 まあいい。それより本題だ。


「それじゃ、映画の感想戦レビューといくか」

「はい。有意義な時間でした」


 アリスはミックスジュースをストローで吸いながら、先ほどの映画を振り返る。


「今回観たのは、いわゆる『和製ホラー(Jホラー)』だ」

「和製……日本製ということは、海外のホラーとは別物ということですか?」

「ああ。作品によって違うところもあるけど、傾向が違うんだ。日本の場合は『呪い』とか『霊』とか、得体の知れない物の恐怖だったり、因果応報な話が多かったりする。『悪い事をしたから呪われた』とかな」

「ふむ。確かに『呪怨の廃校(仮)』の主人公たちは因果応報でしたね。深夜に廃校に侵入するなど、自業自得です」

「まあ、そうしないと話が進まないからな」


 アリスの容赦ない切り捨てに苦笑する。


「そんで、海外ホラーだと殺人鬼とかゾンビとか、物理的な怪物が追いかけてくるパターンが多い。グロいシーンも結構多めだ」


(あーでもゾンビモノは日本でも結構多いか)


「……なるほど。スプラッターですね」

「アリスの家だと、そういうのは……」

「『九条院フィルター』が絶対に通さないでしょうね。私の視聴履歴は、世界名作劇場と教育ドキュメンタリーで埋め尽くされていますから」


 アリスは少しつまらなそうにストローを回した。

 箱入り娘のガードは鉄壁らしい。


「個人的に、海外ホラーは『あー怖かった、びっくりした!』で終わるエンタメが多いけど、和製ホラーは後を引く……というか、いつまでも日常に湿っぽさが残る感じがあるな」

「……同感です」


 アリスがコップを置いた。


「ラストシーンの派手な演出よりも……中盤の、鏡にゆっくりと映り込んだ女性の霊。あの静けさの方が、非科学的だと分かっていても恐ろしく感じました」

「日本の作品って、そういう『間』の恐怖があるよな」

「はい。……思わず、カケルの腕を掴んでしまうほどには」


 アリスが上目遣いで俺を見た。

 ドキリとする。


「あの時は、失礼しました」

「い、いや。別にいいけど」

「ですが……興味深いデータが取れました」


 彼女は悪戯っぽく微笑んだ。


「恐怖を感じた時の心拍数の上昇は、恋愛感情によるドキドキと脳が誤認する……という心理学説があります。『吊り橋効果』というやつですね」

「……へえ、知ってるのか」

「概念は知っています。以前、文献で読みました」


(……待てよ?)


 俺はふと疑問を抱いた。

 こいつ、ホラー映画を選んだ理由って、もしかしてそれを試そうとしたのか?

 いや、まさかな。「幽霊を科学的に検証したい」とか言ってたし、単なる好奇心だろう。


「それで? カケルの心臓も、少しは誤認しましたか?」

「…………ノーコメントだ」


 俺が顔を逸らすと、アリスは「ふふっ」と満足そうに笑い、空になったグラスを持ってまた席を立った。


 ◇ ◇ ◇


「カケル、見てください。新発見です」


 戻ってきたアリスの手には、怪しげな色をした液体が入っていた。

 薄い緑色で、シュワシュワと泡立っている。


「……何それ?」

「『メロンソーダ』と『カルピス』を1対1の比率で混合しました。化学実験ケミストリーです」

「うわ、出た。ドリンクバーの醍醐味『オリジナルミックス』」

「……飲みます」


 アリスは恐る恐るストローで吸った。


「……!」

「どうだ?」

「美味しい……! メロンの香料と乳酸菌飲料が融合し、まろやかな『クリームソーダ』の味を再現しています! これは錬金術アルケミーです!」

「子供かよ。まあ、それが楽しいんだけどな」


 アリスは錬金術の成功に気を良くし、再び席を立った。

 今度はコーラとオレンジジュースを混ぜようとしている。やめておけ、それは失敗するぞ。


「それにしても……」


 俺はドリンクバーへ向かうアリスの背中を見る。

 彼女はこれまで、俺が当たり前に触れてきたサブカルチャーをほとんど摂取してこなかった。

 名作映画も、国民的アニメも、流行りの漫画も。

 彼女の中のデータベースは、真っ白に近い。


「これから、色々な作品を観てみたいです。カケルのおすすめ、また教えてくれますか?」


 戻ってきたアリスが、謎の色の液体(失敗作)を片手に、期待に満ちた目で言った。

 俺は少し考え込んだ。


 正直、ある意味で羨ましいとも思う。

 『記憶を消してから、もう一度観たい作品』というのは結構ある。あの衝撃、あの感動を、何の予備知識もなく新鮮に味わえるなんて、最高の贅沢だ。


(そうなると、順番も重要か?)


 俺の中のオタク心がうずき出した。

 古い古典から順に見せるべきか?

 それとも最新の覇権アニメから入るべきか?

 いや、単純にそういう話でもない。


(アリスの時間は、きっと俺よりも有限な気がする)


 彼女はいずれ、家が決めた許嫁と結婚したり、また海外へ留学したりするかもしれない。

 俺とこうして遊べる時間が、いつまで続くかは分からない。

 だったら――。


「楽しみ方は人それぞれ、どう感じるかは自由だ。でも……せっかくなら、最高に感動して欲しいよな」

「はい?」

「次は何を見せるか、本気で考えておくよ。俺の人生を変えたような傑作をさ」

「……はい。期待しています、師匠マスター


 アリスは嬉しそうに頷き、そして――急に顔をしかめた。


「……うぅ」

「どうした?」

「……お腹が、重いです」

「そういや何杯飲んだんだ? 飲みすぎだ!」

「くっ……元を取るまでは……あと十四杯……?」

「やめろ! 医療費の方が高くつくぞ! 損益分岐点を見誤るな!」


 結局、アリスは六杯目のジュースでギブアップし、俺たちはトイレ休憩を挟んでから店を出ることになった。

 全く、このお嬢様は。

 賢いのか馬鹿なのか、本当に分からない。

次回 第10話:カラオケボックスは、歌うためだけの場所ではありません

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