第7話:映画館のポップコーンは、なぜ上映前に無くなるのですか?
水曜日の放課後。俺たちは駅前の映画館に来ていた。
MovieMovie(通称:ムビムビ)。
この辺りでは一番の規模を誇る、複数のスクリーンを有するシネマコンプレックスだ。
(ふふふ、勝ったな)
俺は券売機の前で、内心ガッツポーズをした。
今日は水曜日。この映画館では『サービスデー』として、通常2000円のチケットが1300円で買える日なのだ。
久しぶりに来たが、まだ割引システムが生き残っていてホッとした。700円の差はデカい。ハンバーガーセットが買える値段だ。
だが、俺の指が『購入』ボタンを押そうとした瞬間、ピタリと止まった。
(……待てよ)
画面の端に表示された『プレミアムシート(3000円)』の文字。
ゆったりとした革張りの椅子、専用の荷物置き場、仕切られた空間……。
俺の人生において、この選択肢が視界に入ったことは一度もない。数日分の食費に相当する。
だが、今日の連れは九条院アリスだ。
彼女の家柄を考えれば、むしろこちらを用意するのが礼儀なのでは?
割り勘とは言ってある。彼女からすれば、1000円や2000円なんて誤差ですらないだろう。
「カケル? どうしました? フリーズしていますよ」
アリスがひょこっと顔をのぞかせる。
「あ、いや……席をどうするか迷ってて」
「私はどこでも構いませんよ。貴方の隣であれば」
さらっと殺し文句を言われて、俺は動揺をごまかすように一般席のボタンを押した。
悪いなアリス。俺の財布は、プレミアムな攻撃には耐えられないんだ。
◇ ◇ ◇
「……ほう。こういう映画館は初めてです」
発券を終え、ロビーに入ったアリスが目を丸くして周囲を見回した。
ポップコーンの甘い香り、床のカーペット、大量のポスター。
(『こういう』ってどういう意味だ? ……いや、聞かずにおこう。自宅に専用シアターがあるとか、貸切でしか見たことがないとか、きっとそういう異世界の話に違いない)
「それで、何を観るんだ?」
「はい。今回は『ホラー映画』を選択しようと思います」
(意外なチョイスだな)
アリスが指差したのは、ポスターを見るだけで寒気がするような、新作の邦画ホラー『呪怨の廃校(仮)』だった。
「意外だな。怖いの平気なのか?」
「いえ、未知の領域です。実家では『九条院フィルター』により、教育上好ましくない不健全な作品はすべて排除(検閲)されていましたから」
「九条院フィルター……」
「お父様曰く、『アリスの目に毒を入れるわけにはいかない』とのことですが。……過保護が過ぎます」
アリスは不満げに頬を膨らませる。
なるほど、箱入り娘も楽じゃないらしい。
「それに、私には理解できないのです」
「何が?」
「霊や呪いなど、科学的に存在しないモノを怖がる心理が。存在しないのなら、脅威ではないはずです。それを検証したいのです」
(……典型的な『真っ先に死ぬタイプ』のセリフだ)
まあ、本人が観たいなら止めはしない。
海外ホラーと違ってグロい感じじゃなさそうだしな。
ホラー系は俺も好きだし。
「では、入場前にグッズ売り場を視察しましょう」
アリスは興味深そうに、映画の関連グッズが並ぶ棚へ向かった。
そこには『呪怨の廃校』のパンフレットや、劇中に出てくる呪いのアイテムを模したキーホルダーなどが並んでいる。
「……カケル。質問です」
「なんだ?」
「この『血まみれ日本人形ストラップ』……。購入者はこれを携帯端末に装着し、日常的に呪いのアピールを行うのですか?」
「まあ、ファンアイテムだしな。魔除けみたいなもんじゃね?」
「理解に苦しみます。負のオーラを放つ物体に対価を支払うなど……。あ、こちらの『恐怖の目玉キャンディ』は、眼球の構造が精巧ですね。医学的な標本としてなら価値があるかもしれません」
アリスは真剣な顔で「目玉」を検分している。
……やっぱりこいつ、怖がるどころか観察対象としてしか見てないな。
俺たちはチケットをもぎってもらい、売店へと向かった。
「映画といえばこれだろ」
俺は『ポップコーンLサイズ(ハーフ&ハーフ)』を注文した。
出てきたのは、洗車に使うバケツみたいな容器だ。
「……カケル。これは何ですか?」
「ポップコーンだよ」
「このサイズは……農作業用の肥料入れ間違いでは?」
「Lサイズだからな。塩とキャラメルの二つの味が楽しめる」
アリスはおっかなびっくりでバケツを受け取った。
「見た目よりもずっと軽いのですね。こんなシンプルな形状のお菓子は初めてです。……トウモロコシを爆裂させただけですよね?」
「それが美味いんだよ」
(と言いつつ実は俺も、映画館でポップコーン買うの初めてなんだけどな)
いつもはチケット代だけで精一杯だ。こんな原価の安そうな豆に1000円以上払うなんて、富豪の遊びだと思っていた。
だが、今日はデート(みたいなもの)だ。見栄を張るくらいの価値はある。
◇ ◇ ◇
劇場内に入り、席に着く。
平日の夕方ということもあり、客はまばらだ。
俺たちは中央後方の、見やすい席を確保していた。
座った瞬間、アリスが眉間にシワを寄せ、二人の間にある「肘掛け」を凝視した。
「……カケル。深刻な問題が発生しました」
「どうした?」
「この、私とカケルの間にある『アームレスト』です」
アリスは肘掛けを指差した。
「右隣にも、左隣にも肘掛けはあります。しかし、この中央に位置する肘掛けは、構造上『共有財産』となっています。ここにおける領有権は、どちらに帰属するのですか?」
「あー、あるあるだな」
映画館の永遠のテーマだ。
右を使うべきか、左を使うべきか。あるいは早いもの勝ちか。
「国際法に照らし合わせるなら、ここは『緩衝地帯』として、双方が不可侵を貫くべきでは?」
「考えすぎだろ。好きなように使えばいいよ。俺は使わないから、アリスが使っていいぞ」
「……譲渡、ですか? では、お言葉に甘えて」
アリスは恐る恐る、細い腕を肘掛けに乗せた。
だが、落ち着かないのか、すぐに引っ込める。
「……やはり、カケルの領域を侵犯しているようで落ち着きません。ここにはポップコーンを設置し、中立地帯とします」
「それが一番平和だな」
ドン、とバケツを二人の間に置く。
そうこうしているうちに照明が落ち、予告編が始まった。
大音量と共に、アクション映画や恋愛映画のダイジェストが流れる。
その中で、あるアニメ映画の予告が流れた瞬間、アリスが身を乗り出した。
「カケル! すごいです!」
「うおっ、びっくりした」
「ナレーションで『興行収入、日本記録更新』と言っていました! これは経済学的見地からも分析すべき覇権コンテンツですね。観ましょう!」
(覇権とかは知ってるのな)
「ああ、デーバスの劇場版か。……でもあれ、続きモノだからTV版の1期と2期を見てないと話が分からないぞ」
「なんと……前提知識が必要なのですか」
アリスは悔しそうにスクリーンを見つめ、それから決意に満ちた顔をした。
「帰宅したら、全話視聴します」
「たしか五十話以上あるぞ……」
やがて、画面には、頭がカメラになっている男が踊る『映画泥棒』のCMが流れ始めた。
いよいよ本編開始だ。
俺は何気なく、ポップコーンに手を伸ばした。
ポリッ。
(うまっ! こんなに美味かったのかポップコーンって。塩加減が絶妙だな)
「……ん?」
隣からも、ポリッ、ポリッ、という音が聞こえる。
見ると、アリスが真剣な顔でスクリーンを見つめながら、機械的な動作でポップコーンを口に運んでいた。
「……アリス?」
「何でしょう? ……んっ、この茶色い方、甘くてカリカリしています。対して白い方(塩)はシンプル。……交互に食べると止まりません。これは『無限ループ』の罠ですね」
「いや、そうじゃなくて」
「ポリポリ……恐ろしい兵器です。手が勝手に……ポリポリ……」
「ペース早えよ! 本編始まる前に無くなるぞ!」
バケツの中を見ると、すでに三割ほど減っていた。
映画館のポップコーンが、なぜ上映前に半分消滅するのか。
その長年の謎が、今解明された気がする。
ブツン、と音がして、館内が完全な暗闇に包まれた。
「……始まりますね」
アリスがゴクリと唾を飲む気配がした。
さあ、お手並み拝見といこうか。
『お化けなんていない』と言い張る理系お嬢様が、ジャパニーズ・ホラーにどこまで耐えられるのかを。
次回 第8話:エンドロールで席を立つのは、映画への冒涜ではありませんか?




