第6話:しゃがんで待つだけの男に、私が負けるはずありません
「ウィンターカッター!」
「ぐっ……! またその衝撃波ですか!」
「飛んだら負けだぞ! サマーキック!」
「きゃあぁぁっ!」
六畳一間のコックピットに、アリスの悲鳴と、俺の勝ち誇った高笑いが響く。
画面の中では、俺の操る『軍人キャラ』が、アリスの操る『拳法家キャラ』を完封していた。
「くっ……卑怯です! なぜ貴方は後ろに下がったまま動かないのです?」
「これが『待ち』の強さだ。相手がしびれを切らして飛んでくるのを待つ戦法だ」
「まるで鉄壁の要塞ですね。私が攻撃しようとしても迎撃される……」
俺はニヤリと笑い、再び衝撃波を撃つ。
アリスは為す術なくガードを固め、削りダメージで体力が尽きた。
『K.O.!』
「……五連敗です。理解不能です」
アリスはコントローラーを置き、悔しそうに唇を噛んだ。
初心者に『待ちガイル』戦法をぶつけるのは大人気ないかもしれない。だが、勝負の世界は非情なのだ。
「諦めるか? アリス」
「……いいえ」
アリスは碧眼を鋭く光らせた。
「カケル。攻略wikiを見せなさい」
「えっ? ああ、いいけど」
(wikiは普通に知ってるのな)
俺がスマホを渡すと、彼女は猛烈な勢いで画面をスクロールし始めた。
技の威力やコマンドを見るのかと思いきや、彼女が見ていたのは『数字』だった。
「発生5フレーム……硬直差マイナス2……。なるほど」
ブツブツと呟きながら、アリスの表情が変わっていく。
それはゲーマーの顔ではない。
難解な数式を解く、学者の顔だった。
「理解しました」
「何を?」
「このゲームは、武術ではありません。『数字のやり取り(数式)』です。1秒間を60分割した世界での、足し算と引き算に過ぎません」
(……何を言ってるんだ、こいつは)
「再戦を要求します」
アリスがコントローラーを握り直す。
キャラクターはさっきと同じ、白胴着の拳法家だ。
「何度やっても同じだぞ!」
俺は再び『待ち』の構えに入り、衝撃波を撃った。
だが。
「……見えています」
アリスは飛ばない。
じりじりと、歩いて近づいてくる。
俺の衝撃波をギリギリでガードし、その隙に一歩進む。またガードし、一歩進む。
プレッシャーがすごい。
「ちっ、寄らせるかよ!」
俺は牽制のために中足を伸ばした。
その瞬間。
「そこです。マイナス6フレームの隙!」
ドゴォッ!
アリスの拳法家が、俺の蹴りの戻り際に、強烈な体当たり技を叩き込んだ。
「なっ!?」
「貴方の技の硬直時間は0.1秒。その隙間に、私の拳をねじ込めばいいだけのこと!」
(嘘だろ!? 初心者が『差し返し』だと!?)
アリスの学習能力がおかしい。
ちょっとwikiを見ただけなのに。
また差し返し!?
(今の反応!? eスポーツ選手かよ!)
俺は冷や汗をかきながら、距離を取ろうとバックステップした。
だが、すでに画面端だ。
「くそっ、一旦ガードだ!」
俺はしゃがみガードを固める。
このゲーム、ガードしていれば打撃は食らわない。凌いでから反撃すれば――。
「守りを固めましたね? 論理的帰結として、打撃が通じないなら――」
アリスのキャラが、スタスタと無防備に歩み寄ってくる。
そして。
「投げます」
ガシィッ! ドガァァン!
俺の軍人が、華麗に背負い投げされた。
「ぐはっ!」
「まだです」
俺が起き上がった瞬間、すでに目の前にアリスがいた。
俺がアリスの攻撃をガードすると……。
「もう一回、投げます」
「ちょっ!」
ドガァァン!
「もう一回」
「おま、それは!」
ドガァァン!
「投げハメじゃねーか! 性格悪いぞ!」
「貴方に言われたくありません! ガードを崩すための『合理的』な手段です!」
「あーもう! 暴れてやる!」
俺はイチかバチかの無敵技を放つ。
だが、アリスはそれすら読んでいたのか、一瞬だけ下がって技を空振りさせ――。
「隙だらけです。終わり!」
ドゴォォォン!!
最大火力のコンボが叩き込まれ、俺の軍人は爆散した。
『K.O.! YOU LOSE……』
画面に表示された敗北の文字。
六畳一間に、静寂が流れた。
「……勝ち、ました」
アリスが呆然と呟き、それからパァッと花が咲くように笑顔を弾けさせた。
「勝ちましたわ! カケル、私の勝ちです!」
「……完敗だ。強くなるのが早すぎるよ」
俺が苦笑して手を上げると、アリスは自然にその手に自分の手を合わせ、ハイタッチをした。
パン、と乾いた音が鳴る。
触れた手のひらの熱さが、妙に心地よかった。
◇ ◇ ◇
「……もう、こんな時間か」
時計を見ると、18時30分を回っていた。
(いくら本人が良いと言っても、長居させるわけにはいかないよな)
「アリス、そろそろ送っていくよ。暗くなる前に帰さないと」
「……もう終わりですか?」
「ああ。また今度な」
アリスは名残惜しそうにコントローラーを見つめていたが、素直に「はい」と頷いた。
アパートを出て、駅までの道を二人で歩く。
夕闇が迫る中、一番星が光っていた。
「なあ、前から気になってたんだけどさ」
「何でしょう?」
「アリスって、ちょいちょい言葉選びが物騒だよな。『兵站』とか『迎撃』とか」
「……おかしな日本語でしたか?」
「いや、間違っちゃいないけど、軍人みたいだなって」
俺が言うと、アリスは「ああ」と納得したように手を打った。
「留学時代の影響ですね」
「留学してたのか?」
「はい。中等部の頃、スイスの全寮制学校に。そこで同室だったのが、インドの財閥の一人娘……ラシュミという子だったのですが」
アリスは懐かしそうに空を見上げた。
「彼女が熱心な『軍事オタク』だったのです。『アリス、淑女たるものCQC(近接格闘術)と戦車のスペック暗記は必須科目よ』と教え込まれまして」
「どんな英才教育だよ!」
「あと、なぜかサンスクリット語のお経も暗記させられました。心を落ち着けるには最適です」
「情報の偏りがすごいな!?」
(なるほど。この世間知らずなお嬢様が、変なところで博識な理由がわかった気がする。……世界中のセレブが集まる学校、魔境すぎるだろ)
「おかげで、格闘ゲームにも抵抗がありませんでした。……戦術論として捉えれば同じですね」
「納得したわ。そりゃ成長早いはずだ」
アリスは少し誇らしげに胸を張った。
「ゲーム……。生産性のない時間だと思っていましたが、脳の活性化には悪くありませんね」
「だろ? 無駄なことほど楽しいんだよ」
「はい。……カケルのおかげで、新しい概念を習得しました」
アリスは少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに俺を見上げた。
「またやりましょう。自宅にアーケード筐体を導入して、練習しておきますから」
「だからガチ勢すぎるって」
軽口を叩き合いながら、駅のロータリーに出た。
俺は何の疑いも無く、改札まで送るつもりでいた。
だが、その必要はなかったようだ。
「……うわ」
タクシー乗り場でもバス停でもない場所に、その異物は鎮座していた。
周囲の空気を凍らせるような、漆黒のリムジン。
その横には、当たり前のようにサングラスの黒服が直立不動で待機している。
そうか。電車じゃ帰らないか。
(俺の家の前の道は狭すぎて、こんな車入れないもんな……。だから駅で待たせていたのか)
さっきまで「待ちガイル」で騒いでいた空気が、一瞬で現実に引き戻される。
アリスが足を止めた。
「本日は感謝します。……また、遊んでくれますか?」
「おう。いつでも相手してやるよ。次は負けないけどな」
「ふふ。望むところです」
彼女は一瞬だけ名残惜しそうに俺を見て、すぐにスッと「九条院家の顔」に戻った。
アリスは優雅にカーテシーをして、黒服が開けたドアへ吸い込まれていく。
バタン、と重厚な音がして、車は音もなく滑り出した。
見送りながら、俺はポケットに手を突っ込む。
「……あいつ、本当に楽しそうだったな」
まだ手のひらにハイタッチの感触が残っているような気がした。
次回 第7話:映画館のポップコーンは、なぜ上映前に無くなるのですか?




