第50話:『誕生日プレゼント』の金額と、愛情の深さは比例しますか?
9月4日。
夏休みが明け、少しだけ秋の気配が混じり始めた放課後。
俺は、そわそわしている隣の席の人物に声をかけた。
「……九条院。貧乏揺すり、珍しいな」
「揺すっていません。リズムを刻んでいるのです」
九条院アリスは澄ました顔で言ったが、その指先は机をカタカタと叩いている。
隠しきれない緊張感が伝わってくる。
今日は彼女の誕生日だ。
以前、俺の誕生日に彼女がしてくれたサプライズ。そのお返しとして、俺は「庶民式サプライズ」を約束していた。
「……カケル。本日の予定は確保済みですね?」
「おう。じゃあ行くぞ」
アリスはスッと立ち上がった。
その口元が、何かをブツブツと呟いているのが聞こえる。
「……カケルのバイト代から算出するに、予算上限は5000円。となると、駅前のイタリアンか、あるいはファミレスのプレミアムコース……」
(計算が聞こえてるぞ)
期待と不安が入り混じった顔でついてくるアリスを連れて、俺がたどり着いた場所。
それは、商店街の端にある『業務用スーパー・サンダーランド』だった。
「……カケル? ここは食材の備蓄倉庫ですか?」
「スーパーだよ。今日のディナーの買い出しだ」
「買い出し……? レストランではないのですか?」
「俺の家でやるんだよ。今日は『手作り餃子パーティー《ギョーパ》』だ」
俺はカゴを手に取り、特売の豚ひき肉、キャベツ、ニラ、そして餃子の皮と次々と放り込んだ。
「……餃子? 誕生日に、中華料理の点心を作るのですか? しかも原材料の調達から?」
アリスは呆然とレシートを覗き込んだ。
「合計850円……。これが、私への誕生日予算ですか?」
「安いだろ? でもなアリス」
俺はニヤリと笑った。
「最高の贅沢ってのは、金を使うことじゃない。『手間』を使うことなんだよ」
◇ ◇ ◇
俺のアパート、通称『コックピット』。
ちゃぶ台の上には、刻んだ野菜とひき肉を混ぜたタネ、そして山積みの皮が置かれている。
「よし、包むぞ。アリスも手伝え」
「……料理は化学実験に似ています。嫌いではありません」
アリスは腕まくりをし、手洗いと消毒を完璧に済ませて参戦した。
俺は見本を見せる。
「こうやって具を乗せて、縁に水をつけて、ヒダを作りながら閉じる。まあ、皮が閉じてれば形なんて適当でいいんだよ」
「適当……? 美しくありません」
アリスは皮を手に取り、真剣な眼差しで具を乗せた。
「具材の充填率は60%が最適解です。加熱時の肉汁の膨張と、皮の弾力限界を計算に入れる必要があります」
彼女の指が動く。
ヒュッ、ヒュッ。
それは料理というより、精密機械の組み立て作業だった。
機械のように均一で美しいヒダが刻まれていく。
「……完成です」
「綺麗すぎるだろ! 職人かよ!」
「構造力学的にも最強のフォルムです。焼成時の熱伝導率も均一化されます」
アリスは満足げに頷いたが、ふと鼻先がムズ痒かったのか、手の甲で顔を擦った。
その拍子に、皮についていた打ち粉が鼻の頭に付着する。
「あ、顔白いぞ」
「む?」
「じっとしてろ」
俺はティッシュで、彼女の鼻についた粉を優しく拭き取った。
至近距離。上目遣いのアリスと目が合う。
「ふ……粉塵爆発のリスクがありました。除去に感謝します」
「はいはい」
照れ隠しのような屁理屈を聞き流し、俺たちは50個の餃子を包み終えた。
いよいよ焼きの工程だ。
フライパンに並べ、水を入れ、蒸し焼きにする。
そして仕上げに、水溶き片栗粉を流し込む。
「カケル。その白い液体は?」
「『羽根』を作るんだよ。パリパリのな」
「羽根つき餃子……。概念は知っています」
アリスはフライパンを凝視した。
「デンプン質の水溶液を加熱し、水分を蒸発させることで薄膜を形成する……。食感のアクセントとして有効な手法ですね」
「理屈はそうだけど、美味けりゃいいんだよ。……よし、いくぞ!」
俺は皿を被せ、フライパンをひっくり返した。
パカッ。
見事なキツネ色の羽根をまとった、円盤状の餃子が現れた。
「……おお」
「成功だ!」
◇ ◇ ◇
実食。
アリスは醤油と酢(黄金比)のタレにつけ、熱々の餃子を口に運んだ。
パリッ。
軽快な音と共に、羽根が砕け、モチモチの皮から肉汁が溢れ出す。
「……!」
「どうだ?」
「……美味しい」
アリスは目を丸くした。
「餃子キングダム《餃キン》の味とは違います。キャベツの切り方が不揃いな分、食感にランダム性があり……飽きません。それに、皮の包み具合によって肉汁の量が変化するのも、予期せぬ楽しみです」
「だろ? これが『家庭の味』だ。俺たちの手作りだからな」
「手作り……。手間というコストが生んだ味、ですね」
アリスは次々と箸を進める。焼きあがった餃子は、あっという間に二人の胃袋に消えた。
食後。
俺は洗い物を済ませ、冷蔵庫からケーキ……ではなく、小さな包みを取り出した。
「ほら、これ」
「……プレゼント、ですか?」
アリスが居住まいを正す。
包装紙は、100円ショップで買った安っぽいものだ。
中身も、高価な宝石やブランド品ではない。
「開けてみてくれ」
アリスが丁寧に包みを開く。
出てきたのは、一冊のアルバムだった。
「……フォトアルバム?」
「うん」
アリスが表紙をめくる。
そこには、この半年間で撮りためた写真が並んでいた。
春、桜の下で食べた焼きそば。
梅雨、コインランドリーでデコ出しをしたアリス。
夏、プールでずぶ濡れになった笑顔。
そして、アリスがこっそり撮っていた、俺がハンバーガーを食べている間抜けな顔。
俺が撮った写真や彼女からLIMEで共有してもらったデータを、店で現像してきたものだ。
「……これは」
「アリス、言ってたろ? 『データは消える』とか『写真は記録媒体に過ぎない』とか」
「……はい」
「だから、『物理媒体』にした。これなら電源がなくても消えないし、サーバーがダウンしても無くならない」
俺は照れくさくて、頭をかいた。
「俺には高いモンは買えないけどさ。……思い出を残すことくらいはできるからな」
アリスの手が震えていた。
彼女は一枚一枚、指先で写真をなぞる。
画面上のデータではない、手触りのある「記憶」。
「……紙代と現像代、数百円。制作時間、プライスレス……ですね」
アリスの声が潤んでいた。
「非合理的です。データで持っていれば検索も容易で、劣化もしないのに……。なぜ、こんなに『重い』のですか?」
ポタリ。
アルバムの上に、雫が落ちた。
「アリス?」
「……私の定義では、プレゼントの価値は金額に比例するはずでした。高価なものほど、相手への敬意を表すと」
アリスは涙を拭い、俺を真っ直ぐに見た。
「ですが、これは……世界中のどんな宝石よりも価値があります。……金額ゼロの愛情などという不合理な計算式……その概念は、知りませんでした」
彼女はアルバムを胸に抱きしめ、泣き笑いのような顔をした。
「……ありがとうございます、カケル。最高のサプライズです」
俺はホッと息をついた。
どうやら、庶民式サプライズは成功したようだ。
◇ ◇ ◇
翌日。
「……カケル。誕生日のお返しに、何かしたいのですが」
「いいって。俺の誕生日はもう終わったし」
「いえ、等価交換の原則があります。……私の『特製・生体認証キー』を渡そうか検討しましたが、黒服に全力で阻止されました」
「当たり前だ! 家の合鍵とか重すぎるわ!」
「では、せめて」
アリスはアルバムを置き、少し身を乗り出した。
「……来年の誕生日も、その次の誕生日も。このアルバムのページを増やす権利を、貴方に譲渡します」
「……おう。言われなくても、そのつもりだ」
俺たちは笑い合った。
窓の外には、秋の虫の声が響いている。
17歳。
俺たちは少しずつ大人になっていくけれど。
このアルバムに残った「概念の外側にある幸せ」だけは、きっと色褪せることはないだろう。




