第49話:『肝試し』で幽霊役を殴るのは、正当防衛になりませんか?
8月31日。夏休み最終日。
宿題という名の現実から目を背けたい学生たちが、最後の思い出作りにと集まる場所があった。
地元の神社の境内で行われる、町内会主催の『手作り肝試し大会』だ。
「結構……雰囲気あるね」
薄暗い境内に、クラスメイトの宮本さんが身を縮こまらせながら言った。
時刻は19時過ぎ。提灯の明かりはまばらで、奥の鎮守の森からは不気味な風の音が聞こえてくる。
「まあ、町内会のイベントだしな。子供だましだろ」
強がって見せたが、内心では少しビビっていた。
暗いのは苦手だ。それに、明日から新学期という事実の方がよっぽど怖い。
「お待たせしました」
闇の中から、凛とした声が響いた。
アリスだ。
今日は動きやすいスポーティーなパーカーに、ショートパンツとレギンスというアクティブなスタイル。
だがその顔面には、明らかに場違いな装備が装着されていた。
「……おい」
「何でしょう、カケル」
「何だその、特殊部隊みたいなゴツイ眼鏡は」
アリスの目元を覆う、緑色に発光する多眼レンズの機械。
どう見ても、映画でしか見ないようなガチのやつだ。
「『暗視装置』です」
アリスは平然と答えた。
「肝試しとは、夜間の森林地帯における潜入任務ですよね? 視界情報の欠落は致命的です。微弱な光を増幅し、可視化することで、クリアリングの確実性を向上させます」
「外せぇぇぇ!!」
俺は叫んだ。
「チートだろ! 暗闇を怖がるイベントなんだよ! そんなもん付けたら昼間と同じじゃねーか!」
「合理的です。恐怖とは未知から生じます。ならば、全てを既知とすれば恐怖は消滅します」
「だから、それを野暮って言うんだよ! 雰囲気を楽しめ雰囲気を!」
俺に叱られ、アリスは「安全管理意識が低すぎます」と不満げにゴーグルを外し、鞄にしまった。
宮本さんが「あはは……九条院さん、今日も飛ばしてるね」と引きつった笑いを浮かべる。
◇ ◇ ◇
受付を済ませ、俺たちは三人一組でコースへ出発した。
コースは神社の裏山を一周する獣道だ。
足元は悪く、木々が月明かりを遮って真っ暗だ。
「きゃっ! 何か踏んだ!」
「大丈夫か宮本さん。ただの木の根っこだよ」
宮本さんはテンプレ通りに怖がってくれている。これが正しい肝試しの反応だ。
対して、先頭を歩くアリスは、ポケットからマグライトを取り出し、冷静に周囲をスキャンしていた。
「……湿度75%。地面のぬかるみに注意してください。転倒リスクがあります」
「ハイキングじゃないんだぞ……」
少し進むと、木の上から何かがぶら下がってきた。
ヒュンッ。
濡れた冷たい感触が、俺たちの顔を撫でる。
「ひゃあああっ! なにこれぇぇ!」
「うおっ!?」
宮本さんと俺が悲鳴を上げる。
だが、アリスは動じない。
顔に当たった物体を素手で掴み、ライトで照らした。
「……有機物による接触確認。この湿り気、弾力、そして独特の臭気……」
アリスは分析官のような口調で断定した。
「これは『コンニャク芋の加工品』です。糸を通して吊るし、振り子の原理で運動させていますね」
「分析すんな! お化けのベロだと思えよ!」
「食品を遊具にするなど、フードロス問題への意識が欠如しています」
アリスはこんにゃくを丁寧に脇へ避けた。
さらに奥へ進むと、今度は不気味な読経の声が聞こえてきた。
『ううぅぅ……呪ってやるぅぅ……』
「怖いよぉ……帰りたいぃ……」
「大丈夫だって。スピーカーから流してるだけだから」
宮本さんを励ます俺の横で、アリスが耳をすませる。
「……低周波ですね。19ヘルツ前後の不可聴音が含まれている可能性があります。これは人間の眼球を振動させ、幻覚を見やすくし、不安感を誘発する音響効果《SE》として知られています」
「解説をやめろ! 種明かしされると冷めるんだよ!」
アリスのおかげで、恐怖演出がすべて物理現象に変換されていく。
これならゴールまで楽勝かと思われた。
だが、コースの最深部。古びた井戸のセットがある場所で、事態は急変した。
◇ ◇ ◇
ザッ、ザッ……。
井戸の陰から、白い着物を着た、長い黒髪の女が這い出てきた。
貞子的な、日本の幽霊のステレオタイプだ。
「……ぁぁぁ……」
呻き声と共に、四つん這いで近づいてくる。
その動きは人間離れしていて、なかなかに迫力がある。
「いやぁぁぁぁ!! 無理無理無理!!」
宮本さんが腰を抜かし、俺の背中にしがみついた。
俺もさすがに背筋が寒くなる。
「お、おいアリス。逃げるぞ」
俺が声をかけようとした時だ。
アリスの雰囲気が変わった。
ザッ。
彼女は足を止め、腰を深く落とした。
重心を低く保ち、両手を顔の前に構える。
それは、どう見ても格闘技の構えだった。
「……前方より、正体不明の敵性存在接近」
アリスの声から感情が消えた。
「警告します。停止しなさい。これ以上の接近は、攻撃意思ありとみなします」
「う、うらめしや~……えっ?」
お化け役の人が、予想外の反応に戸惑って足を止める。
だが、仕事熱心な彼は、さらに怖がらせようと手を伸ばした。
「……呪ってや――」
「交渉決裂。……排除します!」
瞬間。
アリスが踏み込んだ。
速い。
迷いのないステップで懐に入り込み、鋭い正拳突きが、お化けの顔面へと繰り出される――!
「やめろォォォッ!!」
俺は反射的に飛び出し、アリスを後ろから羽交い締めにした。
「放しなさい! 敵です! 無力化しなければ!」
「敵じゃねえ! スタッフだ! たぶんバイトの人だ!」
お化け役の大学生が、ウィッグをずらしながら尻餅をついた。
寸止めされた拳の風圧で、彼の顔は引きつっていた。
「アリス、落ち着け! ここは肝試し会場だぞ!?」
「暗闇から音もなく忍び寄り、接触を図る不審者です。刑法36条における『急迫不正の侵害』に該当します。打撃による制圧は正当防衛の範囲内では?」
「違うわ! 相手は『驚かせる業務』を遂行中なんだよ! 殴ったら傷害罪だ!」
「ですが、精神的苦痛を与えてきました!」
「それがサービスなんだよ! お化け役にも人権はあるんだよ!」
俺は必死にアリスを説得し、腰を抜かしたお化け役に平謝りした。
宮本さんは恐怖と困惑でフリーズしていた。
◇ ◇ ◇
なんとかゴール地点にたどり着いた俺たちは、神社の階段に座って息を整えていた。
「……はぁ。死ぬかと思った」
「あー怖かった……。でも、九条院さんのおかげで助かったかも(笑)」
宮本さんは疲れたように笑っている。
アリスは納得がいかない様子で、スポーツドリンクを飲んでいた。
「……理解に苦しみます」
「何が?」
「なぜ人は、安全な日常を捨ててまで、このような擬似的な死の恐怖を味わおうとするのですか? 心臓への負担、転倒のリスク、そして不審者との遭遇……。デメリットしかありません」
「それを楽しむのが娯楽なんだよ」
俺は夜風に当たりながら言った。
「それに、『怖かったね』って誰かと共有することで、仲良くなれるだろ? 前に言ってた吊り橋効果ってやつだよ」
「……なるほど。共有体験による結束力の強化ですね」
アリスは俺の方を見た。
「では、カケルの心拍数も上昇しましたか? 吊り橋効果は発動しましたか?」
「……ああ、上昇したよ」
「ほう」
「お前がスタッフを殴りそうになった時が、一番心拍数上がったわ! 寿命縮んだぞ!」
俺が言うと、アリスはきょとんとして、それから小さく笑った。
「……ふふ。では、効果はあったということですね」
「そういう意味じゃないよ……」
神社の境内には、鈴虫の声が響いている。
8月が終わる。
騒がしくて、暑くて、変なことばかりだった夏休みが、終わろうとしていた。
「……明日から、学校だね」
「ああ。また早起きの日々だ」
「新学期は憂鬱ですか?」
アリスは立ち上がり、パンパンとズボンの埃を払った。
「私は、カケルが隣の席なら、悪くありません」
「……はいはい。世話係は任せとけ」
俺たちは並んで参道を歩き出した。
夏は終わるが、俺たちの関係が終わるわけじゃない。
むしろ、これからが本番だ。
(……さて)
俺は隣を歩くアリスの横顔を盗み見た。
9月4日。もうすぐ、彼女の誕生日がやってくる。
「庶民式サプライズ」を期待されている身としては、プレッシャーが半端ない。
借金の肩代わりも、高級なディナーもできない俺に、何ができるだろうか。
空を見上げると、綺麗な半月が輝いていた。
まあ、なんとかなるさ。
俺には俺なりのやり方がある。
次回:第50話『誕生日プレゼント』の金額と、愛情の深さは比例しますか?




