第46話:『自由研究』のテーマ選びに、国家機密は含まれますか?
8月下旬。
夏休みも残すところあと僅かとなった、焦燥感漂う時期。
俺の家は、避暑地代わりに来訪したアリスによって占拠されていた。
「……カケル。エアコンの設定温度を1度下げてもよろしいですか?」
「ダメだ。変な音が鳴るんだ。……それよりアリス、宿題は終わったのか?」
俺は広げたまま手つかずの画用紙を前に、頭を抱えていた。
読書感想文、数学ドリル、そして最大の難関――『自由研究』。
高校生にもなって自由研究があること自体が驚きだが、銀杏高校では伝統らしい。
「宿題……? ああ、夏期休暇中の課題ですね。7月中に全て処理済みです」
「マジかよ。自由研究もか?」
「はい。既に草案は完成し、製本待ちの状態です」
アリスは涼しい顔で、鞄から分厚いレポート用紙の束を取り出した。
「テーマはこちら。『九条院家における地下資産の隠蔽ルートと、対税務署用防衛ラインの脆弱性について』」
「……は?」
「父の書斎から極秘資料を入手し、ケイマン諸島への資金移動をフローチャート化しました。これは我が家の膿を出すための内部監査です」
「やめろ!!」
俺は全力でツッコミを入れた。
「それは自由研究じゃない! 内部告発だ! 発表したらマスコミやら税務署が動くぞ!」
「……代案も用意してあります。『国会議事堂の警備システムにおける死角の検証~ドローンによる侵入シミュレーション~』」
「国家機密に触れるな! テロ予告で捕まるわ!」
アリスは不思議そうに首を傾げた。
「なぜです? 『自由』研究なのでしょう? タブーに切り込んでこそのジャーナリズムです」
「学生に求められてるのは、観察とか工作レベルの平和なやつだよ!」
このままでは、アリスの提出物が原因で九条院家が崩壊するか、俺たちが公安にマークされるかの二択だ。
俺は安全なテーマを提案することにした。
「……もっとこう、ミクロな視点でいこうぜ。ほら、小学生みたいだけど『アリの観察』とかどうだ?」
「アリ……?」
「最近はホームセンターで観察キットが売ってるんだよ。透明なジェルの中で巣を作るやつ。あれなら数日で終わるし、平和だろ」
アリスは少し考え込み、やがて瞳を怪しく光らせた。
「……アリ。概念は知っています。膜翅目のアリ科。女王を頂点とした完全なる階級社会を形成する、真社会性昆虫……」
「お、おう?」
「興味深いです。個の意思を捨て、全体のために奉仕する組織構造。これは……ミクロな独裁国家の運営シミュレーションですね」
「言い方が怖いけど、まあ採用ってことでいいか?」
こうして、俺たちの夏休み最後のミッションは『アリの捕獲と観察』に決定した。
◇ ◇ ◇
近所の公園。
炎天下の中、俺たちは地面を這いつくばってアリを探していた。
「……ターゲット確認。クロオオアリの働きアリです」
アリスは、SF映画に出てくるような銃型のガジェットを構えていた。
先端にはノズルがついている。
「なんだそれ」
「『吸引式捕虫器』です。赤外線センサーで対象をロックし、規定の気圧で吸い込みます。生体へのダメージは最小限です」
「そんなわけの分からん掃除機で吸うなよ! 割り箸と砂糖で十分だろ!」
俺は砂糖をまいた紙皿を地面に置き、アリが寄ってくるのを待った。
数分後。甘い匂いに釣られた数匹のアリが、紙皿の上に乗った。
「よし、確保」
「……原始的なトラップですが、有効性は高いですね。欲望を利用した誘導尋問のようです」
俺たちは十数匹のアリを確保し、急いで俺の部屋へと戻った。
◇ ◇ ◇
買ってきた『アリの巣観察キット』にアリを投入する。
ケースの中には、青色の半透明なジェルが充填されている。このジェルが餌と水分、そして巣の材料になるらしい。
「……青い大地。まるで火星のテラフォーミング実験です」
「で、ここからが実験だ。アリは何を好んで食べるのか」
俺は冷蔵庫からいくつかの食材を取り出した。
自由研究には比較実験が必要だ。
「俺の予想は、やっぱ砂糖とかジャンクなもんだな。アリスは?」
「彼らにも味覚の尊厳はあるはずです。労働者には質の高いカロリーが必要です」
アリスがハンカチに包んで持ってきたのは、とんでもないラインナップだった。
・トリュフの削り節
・金粉(製菓用)
・最高級キャビア(数粒)
「……お前、アリに何食わせる気だ」
「九条院家の厨房から失敬してきました。美食を与えれば、労働意欲が向上するはずです」
俺たちはキットの餌場の箱に、それぞれの食材を置いた。
カケル箱:砕いたポテトチップス(のり塩)、砂糖水。
アリス箱:トリュフ、金粉、キャビア。
「さあ、選びなさい。貴方たちの労働に見合う対価はどちらですか?」
アリスが真剣な顔で見守る中、アリたちが動き出した。
触角をピコピコと動かし、食材に近づく。
一匹のアリが、トリュフの前に立った。
「そうです。その芳醇な香り……菌類を栽培するアリもいるくらいですから、トリュフとの親和性は高いはず――」
プイッ。
アリはトリュフを無視して通り過ぎた。
それどころか、邪魔な障害物として足で押しのけ、その奥にあるポテトチップスに食いついた。
「……なっ!?」
他のアリたちも同様だ。
キャビアには目もくれず、砂糖水に群がり、金粉の上を土足で踏み越えていく。
「……解せません!!」
アリスが机を叩いた。
「なぜ高級食材を『障害物』として処理するのですか!? キャビアですよ!? トリュフですよ!? 彼らの味覚はジャンクフードに毒されているのですか!?」
「いや、アリはカロリー効率しか考えてないのかもな。トリュフは……ともかく、栄養のない金粉とか、邪魔なだけだろ」
「愚かな……。これでは『質』より『量』を求める大衆迎合主義そのものです!」
アリスは悔しそうに、無視されたトリュフを見つめていた。
結局、ポテチと砂糖水は大人気で、数時間後には綺麗になくなっていた。
◇ ◇ ◇
それから数日。
俺たちは観察を続けた。
アリたちはジェルを掘り進め、見事なトンネルを築き上げていた。
アリスはすっかり観察にハマり、一匹ずつに名前(というか階級)をつけて呼んでいた。
「……伍長が掘削作業をサボっています。軍曹、指導を行いなさい」
「どいつが軍曹だよ……」
「見てください、この統率された動き。個の意思を持たず、コロニーの生存のために滅私奉公する姿……」
アリスはジェルの中を忙しなく動く黒い点を見つめ、静かに言った。
「システムとしては美しいです。無駄がなく、迷いがない。……ですが」
「ですが?」
「少し、空恐ろしいですね」
彼女はふと、自分の手を見た。
「私は九条院という『家』のために教育され、生きてきました。彼らの姿は……時々、自分を見ているようで」
「アリス……」
「でも、私はポテトチップスよりトリュフが好きですし、時には命令に背いて『寄り道』もします」
アリスは俺を見て、にっこりと笑った。
「やはり、私は『個』のワガママが許される人間社会の方が性に合っています。……カケルと一緒に、無駄なことをしている時間の方が好きですから」
「……ああ。俺もだよ」
少しだけ真面目な空気になった。
アリの巣観察も、悪くない勉強になったようだ。
「さて、レポートをまとめましょう。タイトルは決定しました」
アリスはサラサラとペンを走らせた。
『膜翅目における全体主義的社会構造と、高カロリー食への依存性に関する考察』
「重いよ!!」
「的確な表現です」
「もっとこう、『アリさんのかんさつにっき』みたいにできないのか!?」
「却下します。学術論文に幼児語は不要です。……なお、サブタイトルとして『ポテトチップスの誘惑』を追加します」
結局、俺たちはその重々しいタイトルのレポートを学校に提出した。
先生がどんな顔をしたかは知らないが、少なくとも「九条院家の脱税ルート」を提出するよりは、平和な夏休みになったはずだ。
観察キットの中では、今日もアリたちがせっせと働いている。
俺たちも新学期に向け、そろそろ働き始めないとな。
次回 第47話:プールの授業。『自由形』とは、溺れないための生存泳法ですか?




