第44話:かき氷のシロップは、全て同じ味だという都市伝説を知っていますか?
期末テストという名の地獄を乗り越え、俺たちは夏休み直前の解放感に浸っていた。
夕暮れ時。地元の神社の参道には、無数の提灯が灯り、屋台の香ばしい匂いが漂っている。
今日は、この辺りでは一番大きい夏祭りの日だ。
「……遅いな」
俺は鳥居の下で、そわそわとスマホで時間を確認した。
待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。
アリスが遅刻するなんて珍しい。何かトラブルでもあったのだろうか。
「……お待たせしました、カケル」
人混みの向こうから、鈴を転がすような声が聞こえた。
俺は顔を上げ――そして、息を呑んだ。
そこには、涼やかな藍色の浴衣に身を包んだアリスが立っていた。
生地には品のある朝顔の柄があしらわれ、帯は鮮やかな山吹色。
艶やかな黒髪はうなじを見せるようにアップにまとめられ、かんざしが揺れている。
普段の制服姿も美しいが、今日の彼女は別格だった。
まるで、古い絵画から抜け出してきた深窓の令嬢そのものだ。
「……あ、ああ。いや、俺も今来たとこ」
俺は動揺を悟られないよう、精一杯の強がりを言った。
アリスはカラン、と下駄を鳴らして近づいてくるが、その歩き方はどこかぎこちない。
「……カケル。この『浴衣』という衣服、構造的欠陥があります」
「似合ってると思うけど……」
「見た目の評価は保留します。問題は機能性です。帯の締め付け圧が強すぎます。横隔膜の動きが制限され、肺活量が通常時の20%低下しています。これは拘束具ですか?」
「着たことないから分からないけど、苦しいものなのか?」
「さらに、この下駄です。鼻緒と指の間の摩擦係数が計算されていません。歩行するたびに皮膚が摩耗します」
文句を言いながらも、アリスは俺の隣に並んだ。
その顔は、少しだけ嬉しそうだ。
文句を言いながらも、俺と祭りに行くために着てきてくれたのだと思うと、少し嬉しい。
◇ ◇ ◇
境内に入ると、そこは熱気と喧騒に包まれていた。
焼きそば、りんご飴、金魚すくい。
色とりどりの屋台が並ぶ中、俺たちはある一角で足を止めた。
『氷』と書かれた旗がはためく、かき氷屋だ。
削り出された氷の山に、鮮やかなシロップがかけられていく様は、見ているだけで涼しい。
「やっぱり夏祭りはこれだよな。アリスも食うだろ?」
「……氷菓ですね。熱中症対策としての冷却効果は認めます」
「俺はイチゴ一択だな」
俺が財布を取り出そうとすると、アリスがスッと俺の手を制した。
「待ってください、カケル。……貴方は今、『イチゴ味』と言いましたか?」
「言ったけど?」
「それは幻想です」
アリスは眼鏡をクイッと押し上げた。
「かき氷のシロップは、科学的には『全て同じ味』という概念を知っていますか?」
「聞いたことがあるような気もするな」
「成分分析によれば、市販のシロップの主成分は『果糖ブドウ糖液糖』で統一されています。違いは『着色料』と『香料』のみ。つまり、味覚上は全て同じ『ただの甘い水』です」
アリスは屋台に並ぶ、イチゴ(赤)、メロン(緑)、レモン(黄)のボトルを指差した。
「人間は視覚と嗅覚からの情報に依存して味を決定しています。色が赤く、イチゴの香料がすれば、脳が勝手に『これはイチゴ味だ』と錯覚を起こしているに過ぎません」
「その話が嘘っぽい気がするんだよな。色と匂いだけで味が決まるとは思えないんだが」
(俺が毎年食べてるイチゴ味が思い込み?)
「いや、ちゃんとイチゴの味がしてたはずだ」
「それは香料による嗅覚情報です。舌は『甘い』としか感じていません。では、実験を行いましょう」
「実験?」
「おじ様。イチゴ、メロン、そしてブルーハワイを一つずつください」
アリスは千円札を出し、3つのカップを注文した。
店主のおじちゃんが「へい! お姉ちゃん豪遊だねぇ!」と嬉しそうに氷を削る。
◇ ◇ ◇
俺たちは人混みを離れ、神社の裏手にある静かなベンチに腰を下ろした。
目の前には、赤、緑、青の三色のかき氷が並んでいる。
「ルールは簡単です。私がランダムに選んだ氷を、カケルの口に入れます。カケルは視覚情報なしで、それが何味かを当ててください」
「望むところだ。俺の味覚をナメるなよ」
俺は持っていた手ぬぐいで目隠しをした。
視界が閉ざされ、祭りの喧騒だけが耳に届く。
「では、第一問。……口を開けてください」
「あ、ああ」
アリスの声が近づく。
口を開けると、ひんやりとした冷たい塊が放り込まれた。
シャリッ、という音と共に、氷が溶けていく。
(……甘い)
強烈な甘みが広がる。
俺は神経を舌に集中させた。
この香り、この風味……。間違いない。
「……メロンだ。あの駄菓子っぽいメロンの風味がする」
「ファイナルアンサーですか?」
(ファイナルアンサーって海外でも使うのか?)
「ああ。絶対メロンだ」
俺は自信満々に答えた。
目隠しを外そうと手をかけると、アリスが冷徹な声で告げた。
「不正解です。それは『イチゴ』でした」
「……は?」
俺は手ぬぐいをずらして確認した。
アリスが持っているスプーンの先には、赤いシロップが残っている。
「嘘だろ!? 今の、どう味わってもメロンっぽかったぞ!?」
「カケルの脳が混乱している証拠です。では、次」
再び目隠しをされる。
次こそは間違えない。慎重にいこう。
「はい、あーん」
「んむ……」
冷たい。甘い。
……あれ?
さっきと同じ味がする。
いや、微かに爽やかな……酸味のようなものを感じる気がする。酸味といえばレモンだが、ここにあるのはイチゴ、メロン、ブルーハワイだ。
となると、あの独特の清涼感……。
「……ブルーハワイだろ。サイダーっぽい味がした」
「残念。今のは『メロン』です」
「なっ!?」
俺は目隠しを剥ぎ取った。
そこには、緑色に染まったスプーンがあった。
「馬鹿な……。俺の舌が壊れたのか?」
「いいえ。これが『味覚の真実』です」
アリスは勝ち誇った顔で、スプーンをくるくると回した。
「目隠しをして、さらに鼻をつまめば、正答率はほぼ0%に収束するというデータもあります。貴方が今まで感じていた『味』は、着色料という視覚情報が見せた幻影だったのです」
「……完敗だ」
俺はガックリと項垂れた。
17年間の夏の思い出が、ただの「色のついた砂糖水」だったなんて。
科学とは、時に残酷なものだ。
「証明終了。……ですが」
アリスは残った最後の一つ、『ブルーハワイ』を手に取った。
「カケル。逆に問います。この『ブルーハワイ』とは、一体何の味なのですか?」
「えっ」
「イチゴやメロンは、果実の香料で再現可能です。ですが、青い果実は自然界にほぼ存在しません。『ハワイ味』とは……現地の海水の味ですか?」
「いや、海水だったら塩辛いだろ」
アリスは不思議そうに、青い氷をスプーンですくった。
「定義不能です。カクテルのような柑橘系? それともサイダー? ……実食して確認します」
パクッ。
アリスがブルーハワイを口に含んだ。
「……甘いです。成分的には他と同じですが……サイダーと言われればそう感じますし、南国の風と言われればそう感じなくもありません」
「だろ? ブルーハワイは『夏の味』なんだよ」
「夏の味……。詩的な表現ですね」
「それに、こいつには最大の機能がある」
俺は溶けかけのブルーハワイを一口食べた。
そして、アリスに向かってベーっと舌を出した。
「見てみろ。真っ青だろ?」
「……! カケル、舌が壊死しています!」
「してねえよ! 着色料だ! こうやって青くなった舌を見せ合って、『馬鹿だなー』って笑うためのアイテムなんだよ、これは」
俺が笑うと、アリスは「……非合理的です」と呆れつつ、自分のスプーンを進めた。
パクパクと、残りの氷を食べていく。
「……カケル」
「ん?」
「私の舌も……青変していますか?」
アリスが顔を近づけ、小さく口を開けた。
薄桃色の唇の奥から、鮮やかな青色に染まった舌が、ちょこんと覗く。
「……っ」
その無防備な仕草に、俺の心臓が大きく跳ねた。
浴衣姿の美少女が、上目遣いで舌を見せてくる。
破壊力が高すぎる。これは何のテストだ。
「……あ、ああ。真っ青だ。エイリアンみたいだぞ」
「失礼な。……ですが、不思議です」
アリスは舌を戻し、口元を拭った。
「成分は同じはずなのに、口の中が他より涼しく感じます。色が寒色系だからでしょうか」
「それも錯覚なのかな」
「ええ。ですが……この錯覚は、悪くありませんね」
アリスはふわりと微笑んだ。
その口元は少し青くて、幼くて、最高に可愛かった。
ヒュルルルル……ドンッ!
夜空に大輪の花火が咲いた。
祭りのクライマックスだ。
「……綺麗ですね」
「ああ、すごいな」
俺たちは並んで夜空を見上げた。
シロップの味が全部同じだとしても。
今日、この浴衣姿の彼女と食べたかき氷の味は、きっと一生忘れない特別な味になる。
それは錯覚でも、科学でも説明できない、俺だけの真実だ。
「……カケル。足が限界です。下駄の鼻緒が……」
「お、おんぶするか?」
「……黒服を呼びます」
(ですよねー)
少しだけアリスの顔が赤く染まっているような気がした。
次回 第45話:『流しそうめん』は、上流階級による食料廃棄の縮図ですか?




