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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
二年生編

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44/50

第44話:かき氷のシロップは、全て同じ味だという都市伝説を知っていますか?

 期末テストという名の地獄を乗り越え、俺たちは夏休み直前の解放感に浸っていた。

 夕暮れ時。地元の神社の参道には、無数の提灯が灯り、屋台の香ばしい匂いが漂っている。

 今日は、この辺りでは一番大きい夏祭りの日だ。


「……遅いな」


 俺は鳥居の下で、そわそわとスマホで時間を確認した。

 待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。

 アリスが遅刻するなんて珍しい。何かトラブルでもあったのだろうか。


「……お待たせしました、カケル」


 人混みの向こうから、鈴を転がすような声が聞こえた。

 俺は顔を上げ――そして、息を呑んだ。


 そこには、涼やかな藍色の浴衣に身を包んだアリスが立っていた。

 生地には品のある朝顔の柄があしらわれ、帯は鮮やかな山吹色。

 艶やかな黒髪はうなじを見せるようにアップにまとめられ、かんざしが揺れている。


 普段の制服姿も美しいが、今日の彼女は別格だった。

 まるで、古い絵画から抜け出してきた深窓の令嬢そのものだ。


「……あ、ああ。いや、俺も今来たとこ」


 俺は動揺を悟られないよう、精一杯の強がりを言った。

 アリスはカラン、と下駄を鳴らして近づいてくるが、その歩き方はどこかぎこちない。


「……カケル。この『浴衣』という衣服、構造的欠陥があります」

「似合ってると思うけど……」

「見た目の評価は保留します。問題は機能性です。帯の締め付け圧(プレッシャー)が強すぎます。横隔膜の動きが制限され、肺活量が通常時の20%低下しています。これは拘束具ですか?」

「着たことないから分からないけど、苦しいものなのか?」

「さらに、この下駄です。鼻緒と指の間の摩擦係数が計算されていません。歩行するたびに皮膚が摩耗します」


 文句を言いながらも、アリスは俺の隣に並んだ。

 その顔は、少しだけ嬉しそうだ。

 文句を言いながらも、俺と祭りに行くために着てきてくれたのだと思うと、少し嬉しい。


 ◇ ◇ ◇


 境内に入ると、そこは熱気と喧騒に包まれていた。

 焼きそば、りんご飴、金魚すくい。

 色とりどりの屋台が並ぶ中、俺たちはある一角で足を止めた。


 『氷』と書かれた旗がはためく、かき氷屋だ。

 削り出された氷の山に、鮮やかなシロップがかけられていく様は、見ているだけで涼しい。


「やっぱり夏祭りはこれだよな。アリスも食うだろ?」

「……氷菓ですね。熱中症対策としての冷却効果は認めます」

「俺はイチゴ一択だな」


 俺が財布を取り出そうとすると、アリスがスッと俺の手を制した。


「待ってください、カケル。……貴方は今、『イチゴ味』と言いましたか?」

「言ったけど?」

「それは幻想ファンタジーです」


 アリスは眼鏡をクイッと押し上げた。


「かき氷のシロップは、科学的には『全て同じ味』という概念を知っていますか?」

「聞いたことがあるような気もするな」

「成分分析によれば、市販のシロップの主成分は『果糖ブドウ糖液糖』で統一されています。違いは『着色料』と『香料』のみ。つまり、味覚上は全て同じ『ただの甘い水』です」


 アリスは屋台に並ぶ、イチゴ(赤)、メロン(緑)、レモン(黄)のボトルを指差した。


「人間は視覚と嗅覚からの情報に依存して味を決定しています。色が赤く、イチゴの香料がすれば、脳が勝手に『これはイチゴ味だ』と錯覚エラーを起こしているに過ぎません」

「その話が嘘っぽい気がするんだよな。色と匂いだけで味が決まるとは思えないんだが」


(俺が毎年食べてるイチゴ味が思い込み?)


「いや、ちゃんとイチゴの味がしてたはずだ」

「それは香料による嗅覚情報です。舌は『甘い』としか感じていません。では、実験テストを行いましょう」

「実験?」

「おじ様。イチゴ、メロン、そしてブルーハワイを一つずつください」


 アリスは千円札を出し、3つのカップを注文した。

 店主のおじちゃんが「へい! お姉ちゃん豪遊だねぇ!」と嬉しそうに氷を削る。


 ◇ ◇ ◇


 俺たちは人混みを離れ、神社の裏手にある静かなベンチに腰を下ろした。

 目の前には、赤、緑、青の三色のかき氷が並んでいる。


「ルールは簡単です。私がランダムに選んだ氷を、カケルの口に入れます。カケルは視覚情報なしで、それが何味かを当ててください」

「望むところだ。俺の味覚をナメるなよ」


 俺は持っていた手ぬぐいで目隠しをした。

 視界が閉ざされ、祭りの喧騒だけが耳に届く。


「では、第一問。……口を開けてください」

「あ、ああ」


 アリスの声が近づく。

 口を開けると、ひんやりとした冷たい塊が放り込まれた。

 シャリッ、という音と共に、氷が溶けていく。


(……甘い)


 強烈な甘みが広がる。

 俺は神経を舌に集中させた。

 この香り、この風味……。間違いない。


「……メロンだ。あの駄菓子っぽいメロンの風味がする」

「ファイナルアンサーですか?」


(ファイナルアンサーって海外でも使うのか?)


「ああ。絶対メロンだ」


 俺は自信満々に答えた。

 目隠しを外そうと手をかけると、アリスが冷徹な声で告げた。


「不正解です。それは『イチゴ』でした」

「……は?」


 俺は手ぬぐいをずらして確認した。

 アリスが持っているスプーンの先には、赤いシロップが残っている。


「嘘だろ!? 今の、どう味わってもメロンっぽかったぞ!?」

「カケルの脳が混乱している証拠です。では、次」


 再び目隠しをされる。

 次こそは間違えない。慎重にいこう。


「はい、あーん」

「んむ……」


 冷たい。甘い。

 ……あれ?

 さっきと同じ味がする。

 いや、微かに爽やかな……酸味のようなものを感じる気がする。酸味といえばレモンだが、ここにあるのはイチゴ、メロン、ブルーハワイだ。

 となると、あの独特の清涼感……。


「……ブルーハワイだろ。サイダーっぽい味がした」

「残念。今のは『メロン』です」

「なっ!?」


 俺は目隠しを剥ぎ取った。

 そこには、緑色に染まったスプーンがあった。


「馬鹿な……。俺の舌が壊れたのか?」

「いいえ。これが『味覚の真実』です」


 アリスは勝ち誇った顔で、スプーンをくるくると回した。


「目隠しをして、さらに鼻をつまめば、正答率はほぼ0%に収束するというデータもあります。貴方が今まで感じていた『味』は、着色料という視覚情報が見せた幻影イリュージョンだったのです」

「……完敗だ」


 俺はガックリと項垂れた。

 17年間の夏の思い出が、ただの「色のついた砂糖水」だったなんて。

 科学とは、時に残酷なものだ。


証明終了(Q.E.D)。……ですが」


 アリスは残った最後の一つ、『ブルーハワイ』を手に取った。


「カケル。逆に問います。この『ブルーハワイ』とは、一体何の味なのですか?」

「えっ」

「イチゴやメロンは、果実の香料で再現可能です。ですが、青い果実は自然界にほぼ存在しません。『ハワイ味』とは……現地の海水の味ですか?」

「いや、海水だったら塩辛いだろ」


 アリスは不思議そうに、青い氷をスプーンですくった。


「定義不能です。カクテルのような柑橘系? それともサイダー? ……実食して確認します」


 パクッ。

 アリスがブルーハワイを口に含んだ。


「……甘いです。成分的には他と同じですが……サイダーと言われればそう感じますし、南国の風と言われればそう感じなくもありません」

「だろ? ブルーハワイは『夏の味』なんだよ」

「夏の味……。詩的な表現ですね」

「それに、こいつには最大の機能がある」


 俺は溶けかけのブルーハワイを一口食べた。

 そして、アリスに向かってベーっと舌を出した。


「見てみろ。真っ青だろ?」

「……! カケル、舌が壊死しています!」

「してねえよ! 着色料だ! こうやって青くなった舌を見せ合って、『馬鹿だなー』って笑うためのアイテムなんだよ、これは」


 俺が笑うと、アリスは「……非合理的です」と呆れつつ、自分のスプーンを進めた。

 パクパクと、残りの氷を食べていく。


「……カケル」

「ん?」

「私の舌も……青変ブルー・シフトしていますか?」


 アリスが顔を近づけ、小さく口を開けた。

 薄桃色の唇の奥から、鮮やかな青色に染まった舌が、ちょこんと覗く。


「……っ」


 その無防備な仕草に、俺の心臓が大きく跳ねた。

 浴衣姿の美少女が、上目遣いで舌を見せてくる。

 破壊力が高すぎる。これは何のテストだ。


「……あ、ああ。真っ青だ。エイリアンみたいだぞ」

「失礼な。……ですが、不思議です」


 アリスは舌を戻し、口元を拭った。


「成分は同じはずなのに、口の中が他より涼しく感じます。色が寒色系だからでしょうか」

「それも錯覚なのかな」

「ええ。ですが……この錯覚は、悪くありませんね」


 アリスはふわりと微笑んだ。

 その口元は少し青くて、幼くて、最高に可愛かった。


 ヒュルルルル……ドンッ!


 夜空に大輪の花火が咲いた。

 祭りのクライマックスだ。


「……綺麗ですね」

「ああ、すごいな」


 俺たちは並んで夜空を見上げた。

 シロップの味が全部同じだとしても。

 今日、この浴衣姿の彼女と食べたかき氷の味は、きっと一生忘れない特別な味になる。

 それは錯覚でも、科学でも説明できない、俺だけの真実だ。


「……カケル。足が限界です。下駄の鼻緒が……」

「お、おんぶするか?」

「……黒服を呼びます」


(ですよねー)


 少しだけアリスの顔が赤く染まっているような気がした。

次回 第45話:『流しそうめん』は、上流階級による食料廃棄の縮図ですか?

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