第41話:バトンパスは、最も非効率な『物資輸送』です
体育祭もいよいよ大詰め。
西日がグラウンドを茜色に染め始める頃、最終種目『クラス対抗全員リレー』の招集がかかった。
2年A組の生徒たちは、円陣を組んで気勢を上げている。
その輪の外側で、アリスは不満げにバトンを見つめていた。
「……そもそも、リレーという競技システム自体に疑問があります」
「今更それを言うか?」
「バトンパス……。高速移動中に筒状の物体を受け渡すなど、ミスの温床でしかありません。落下の危険性、受け渡し時の減速ロス。非効率の極みです」
アリスは真顔で提案した。
「最初から一人で走ればいいのでは? クラスで最も速い個体が、全距離を走破するのが最適解です」
「それじゃ持久走だろ。それに、一人じゃ勝てない相手でも、全員で繋げば勝てるかもしれない。……それを繋ぐのが『絆』なんだろ」
俺が言うと、アリスは「絆……」と呟き、少し考え込んだ。
「不確定要素ですね。数値化できませんが、カケルがそう言うなら、計算式に組み込んでおきます」
アリスは鉢巻きを締め直し、配置についた。
俺はアリス監督の采配によりアンカーだ。
責任重大なポジションだが、やるしかない。
◇ ◇ ◇
パンッ!
乾いたピストル音が響き、第一走者が一斉にスタートした。
アリスの作戦通り、序盤は軽量級の女子や、瞬発力のある男子が配置されている。
スタートダッシュは悪くない。A組は3位につけた。
だが、中盤に差し掛かると、運動部の多い他のクラスが本領を発揮し始めた。
「あーっ! 抜かれた!」
「頑張れー!」
バトンが繋がるたびに、少しずつ、ジリジリと差が開いていく。
アリスの言っていた「前の走者を獲物に見立てる作戦」も、相手が速すぎると機能しない。
順位は4位まで落ちていた。
「……くっ、これが基礎スペックの差なのか」
トラックの向こう側で、次走者のアリスが構えた。
バトンが渡る。
「行きます!」
アリスが飛び出した。
その走りは、やはり異質だった。
上体を低く保ち、腕を振るというよりは空気を切り裂くようなフォーム。
無駄な上下動が一切ない、滑るような加速。
「うわっ、九条院さん速ぇ!」
「なんだあの走り方! 忍者かよ!」
会場がどよめく中、アリスは前の走者を一人、二人とごぼう抜きにしていく。
風のように駆け抜け、あっという間に上位集団に食らいついた。
順位を2位まで押し上げ、次の走者へバトンを叩きつける。
「頼みました!」
そこからは、A組の意地の見せ所だった。
アリスが作った流れを、クラスメイトたちが必死に繋ぐ。
そして、アンカーの一つ前。陸上部のエース、田中がバトンを受け取った。
「うおおおおぉっ!!」
本職の意地。
田中は猛烈なスパートをかけ、トップを走るC組の背中を捉えた。
コーナーを曲がり、直線に入る。
並んだ。
「佐藤! 頼んだッ!!」
ほぼ同着。1位タイの状態で、俺の目の前に田中が飛び込んでくる。
俺は走り出し、後ろ手でバトンを掴み取った。
「任せろぉッ!!」
俺はバトンを握りしめ、前だけを見て走り出した。
人生で一番、アドレナリンが出ている気がした。
行ける。このまま逃げ切れば優勝だ。
だが。
現実は非情だった。
ヒュンッ。
風を切る音と共に、横から影が伸びた。
C組のアンカーだ。彼はサッカー部期待の星で、学年一の俊足と噂されている男。
一瞬で並ばれ、そして抜かれた。
「くっ……!」
速い。背中がどんどん遠ざかる。
俺の足は、バイトとシャトルランで鍛えた「持久力」はあるが、「瞬発力」はない。
最高速度の限界値が違うのだ。
(追いつけない……!)
焦りが足を重くする。
さらに、背後からはB組のアンカーが迫ってくる足音が聞こえる。
このままでは抜かれる。3位に落ちる。
みんなが繋いでくれたバトンなのに。アリスが計算してくれた作戦なのに。
(ダメか……俺じゃ……)
心が折れかけた、その時だった。
「――走りなさい!! カケルっ!!」
悲鳴のような、怒号のような声が鼓膜を突き刺した。
アリスだ。
テントの前で、身を乗り出し、なりふり構わず叫んでいる。
「ピンチになると強くなるのでしょう!? 今がその時です! 私の計算を覆してみせなさい!!」
……あいつ、ヒーローショーの理屈を本気で信じてるのかよ。
馬鹿じゃないのか。
でも。
(……力が湧いてきやがる)
単純な俺の体は、その非科学的な声援を燃料に変えた。
火事場の馬鹿力。
足の回転数が、限界を超えて加速する。
「うおおおおおおおおっ!!」
俺は叫びながら、地面を蹴った。
B組のアンカーが横に並ぶ。
C組の背中は遠い。
それでも、俺は一歩でも前へ、一秒でも速く。
ゴールテープが目の前に迫る。
俺は最後の力を振り絞り、体を投げ出した。
◇ ◇ ◇
ゴールラインを越え、俺はそのまま地面に転がり込んだ。
肺が焼けるように熱い。空がぐるぐると回っている。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
結果は……。
C組には届かなかった。
そして、B組のアンカーにも、最後の最後、コンマ数秒差で捲られた。
3着だ。
「……くっそ、ダメじゃん俺……」
悔しさが込み上げてくる。
せっかく1位で渡してもらったのに。
「……お疲れ様です、カケル」
視界に、アリスの顔が入り込んできた。
彼女はタオルを持って、俺を覗き込んでいた。
「……負けたよ。計算通りに行かなくて悪かったな」
「いいえ。計算外の数値が出ました」
アリスはタオルで俺の汗を拭きながら、穏やかに言った。
「ラスト10メートルの加速。あれは私のデータベースにはない数値です。……非効率な輸送手段でしたが、到着した時の達成感は……計算できませんね」
「……ははっ、そうかよ」
そこへ、陸上部のエース、田中がやってきた。
「悪い、佐藤! 俺がもっとぶっち切って渡せればよかったんだ! お前、すげー粘ったよ!」
「田中……」
田中が俺の肩をバシバシと叩く。
クラスメイトたちも集まってきた。
「お疲れ! 最後すごかったぞ!」
「3位でも入賞だよ! やったじゃん!」
誰も俺を責めない。
みんな、やりきった顔で笑っている。
「いぇーい!」
誰かがハイタッチを始めた。
パチン、パチンと、波及していく。
俺も起き上がり、田中の手と合わせる。
そして、その波はアリスの前にも来た。
「九条院さん、凄かったよ! エース兼監督だったよ!」
宮本さんが手を差し出す。
アリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにおずおずと手を出し――パチン、とハイタッチを交わした。
「……いえ。走順には改善の余地がありました。机上と実践ではやはり差異が出ます」
真面目な顔で反省を口にするが、その頬は紅潮している。
次々とクラスメイトの手がアリスに向けられる。
彼女は戸惑いながらも、その一つ一つに応えていった。
(……馴染めてるじゃんか)
俺はその光景を見て、自分の順位のことなんてどうでもよくなった。
あの「マカロン配り」で失敗した彼女が、今は汗まみれの手で、クラスメイトと繋がっている。
バトンが繋いだのは、走る順番だけじゃなかったらしい。
「カケル」
ハイタッチの輪から抜けてきたアリスが、俺の前に立った。
そして、右手をスッと差し出した。
「……貴方とも、同期しておきます」
「おう」
パチン。
乾いた音が、夕暮れのグラウンドに響いた。
体育祭の総合順位は散々だった。
筋肉痛は確定だし、明日もバイトだ。
それでも、このハイタッチの感触だけは、忘れられない記憶として残りそうだ。
アリスの高校デビュー、時間はかかったけど、とりあえずは成功ってことでいいよな。
次回 第42話:中華チェーンの『魔法の粉』は、合法的な調味料ですか?




