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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
二年生編

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41/50

第41話:バトンパスは、最も非効率な『物資輸送』です

 体育祭もいよいよ大詰め。

 西日がグラウンドを茜色に染め始める頃、最終種目『クラス対抗全員リレー』の招集がかかった。


 2年A組の生徒たちは、円陣を組んで気勢を上げている。

 その輪の外側で、アリスは不満げにバトンを見つめていた。


「……そもそも、リレーという競技システム自体に疑問があります」

「今更それを言うか?」

「バトンパス……。高速移動中に筒状の物体を受け渡すなど、ミスの温床リスクでしかありません。落下の危険性、受け渡し時の減速ロス。非効率の極みです」


 アリスは真顔で提案した。


「最初から一人で走ればいいのでは? クラスで最も速い個体が、全距離を走破するのが最適解オプティマル・ソリューションです」

「それじゃ持久走だろ。それに、一人じゃ勝てない相手でも、全員で繋げば勝てるかもしれない。……それを繋ぐのが『絆』なんだろ」


 俺が言うと、アリスは「絆……」と呟き、少し考え込んだ。


不確定要素アンサートゥン・ファクターですね。数値化できませんが、カケルがそう言うなら、計算式に組み込んでおきます」


 アリスは鉢巻きを締め直し、配置についた。

 俺はアリス監督の采配によりアンカーだ。

 責任重大なポジションだが、やるしかない。


 ◇ ◇ ◇


 パンッ!

 乾いたピストル音が響き、第一走者が一斉にスタートした。


 アリスの作戦通り、序盤は軽量級の女子や、瞬発力のある男子が配置されている。

 スタートダッシュは悪くない。A組は3位につけた。

 だが、中盤に差し掛かると、運動部の多い他のクラスが本領を発揮し始めた。


「あーっ! 抜かれた!」

「頑張れー!」


 バトンが繋がるたびに、少しずつ、ジリジリと差が開いていく。

 アリスの言っていた「前の走者を獲物に見立てる作戦」も、相手が速すぎると機能しない。

 順位は4位まで落ちていた。


「……くっ、これが基礎スペックの差なのか」


 トラックの向こう側で、次走者のアリスが構えた。

 バトンが渡る。


「行きます!」


 アリスが飛び出した。

 その走りは、やはり異質だった。

 上体を低く保ち、腕を振るというよりは空気を切り裂くようなフォーム。

 無駄な上下動が一切ない、滑るような加速。


「うわっ、九条院さん速ぇ!」

「なんだあの走り方! 忍者かよ!」


 会場がどよめく中、アリスは前の走者を一人、二人とごぼう抜きにしていく。

 風のように駆け抜け、あっという間に上位集団に食らいついた。

 順位を2位まで押し上げ、次の走者へバトンを叩きつける。


「頼みました!」


 そこからは、A組の意地の見せ所だった。

 アリスが作った流れを、クラスメイトたちが必死に繋ぐ。

 そして、アンカーの一つ前。陸上部のエース、田中がバトンを受け取った。


「うおおおおぉっ!!」


 本職の意地。

 田中は猛烈なスパートをかけ、トップを走るC組の背中を捉えた。

 コーナーを曲がり、直線に入る。

 並んだ。


「佐藤! 頼んだッ!!」


 ほぼ同着。1位タイの状態で、俺の目の前に田中が飛び込んでくる。

 俺は走り出し、後ろ手でバトンを掴み取った。


「任せろぉッ!!」


 俺はバトンを握りしめ、前だけを見て走り出した。

 人生で一番、アドレナリンが出ている気がした。

 行ける。このまま逃げ切れば優勝だ。


 だが。

 現実は非情だった。


 ヒュンッ。


 風を切る音と共に、横から影が伸びた。

 C組のアンカーだ。彼はサッカー部期待の星で、学年一の俊足と噂されている男。

 一瞬で並ばれ、そして抜かれた。


「くっ……!」


 速い。背中がどんどん遠ざかる。

 俺の足は、バイトとシャトルランで鍛えた「持久力」はあるが、「瞬発力」はない。

 最高速度の限界値が違うのだ。


(追いつけない……!)


 焦りが足を重くする。

 さらに、背後からはB組のアンカーが迫ってくる足音が聞こえる。

 このままでは抜かれる。3位に落ちる。

 みんなが繋いでくれたバトンなのに。アリスが計算してくれた作戦なのに。


(ダメか……俺じゃ……)


 心が折れかけた、その時だった。


「――走りなさい!! カケルっ!!」


 悲鳴のような、怒号のような声が鼓膜を突き刺した。

 アリスだ。

 テントの前で、身を乗り出し、なりふり構わず叫んでいる。


「ピンチになると強くなるのでしょう!? 今がその時です! 私の計算を覆してみせなさい!!」


 ……あいつ、ヒーローショーの理屈を本気で信じてるのかよ。

 馬鹿じゃないのか。

 でも。


(……力が湧いてきやがる)


 単純な俺の体は、その非科学的な声援を燃料エネルギーに変えた。

 火事場の馬鹿力オーバーロード

 足の回転数が、限界を超えて加速する。


「うおおおおおおおおっ!!」


 俺は叫びながら、地面を蹴った。

 B組のアンカーが横に並ぶ。

 C組の背中は遠い。

 それでも、俺は一歩でも前へ、一秒でも速く。


 ゴールテープが目の前に迫る。

 俺は最後の力を振り絞り、体を投げ出した。


 ◇ ◇ ◇


 ゴールラインを越え、俺はそのまま地面に転がり込んだ。

 肺が焼けるように熱い。空がぐるぐると回っている。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 結果は……。

 C組には届かなかった。

 そして、B組のアンカーにも、最後の最後、コンマ数秒差で捲られた。

 3着だ。


「……くっそ、ダメじゃん俺……」


 悔しさが込み上げてくる。

 せっかく1位で渡してもらったのに。


「……お疲れ様です、カケル」


 視界に、アリスの顔が入り込んできた。

 彼女はタオルを持って、俺を覗き込んでいた。


「……負けたよ。計算通りに行かなくて悪かったな」

「いいえ。計算外の数値が出ました」


 アリスはタオルで俺の汗を拭きながら、穏やかに言った。


「ラスト10メートルの加速。あれは私のデータベースにはない数値です。……非効率な輸送手段でしたが、到着ゴールした時の達成感は……計算できませんね」

「……ははっ、そうかよ」


 そこへ、陸上部のエース、田中がやってきた。


「悪い、佐藤! 俺がもっとぶっち切って渡せればよかったんだ! お前、すげー粘ったよ!」

「田中……」


 田中が俺の肩をバシバシと叩く。

 クラスメイトたちも集まってきた。


「お疲れ! 最後すごかったぞ!」

「3位でも入賞だよ! やったじゃん!」


 誰も俺を責めない。

 みんな、やりきった顔で笑っている。


「いぇーい!」


 誰かがハイタッチを始めた。

 パチン、パチンと、波及していく。

 俺も起き上がり、田中の手と合わせる。

 そして、その波はアリスの前にも来た。


「九条院さん、凄かったよ! エース兼監督だったよ!」


 宮本さんが手を差し出す。

 アリスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにおずおずと手を出し――パチン、とハイタッチを交わした。


「……いえ。走順オーダーには改善の余地がありました。机上と実践ではやはり差異が出ます」


 真面目な顔で反省を口にするが、その頬は紅潮している。

 次々とクラスメイトの手がアリスに向けられる。

 彼女は戸惑いながらも、その一つ一つに応えていった。


(……馴染めてるじゃんか)


 俺はその光景を見て、自分の順位のことなんてどうでもよくなった。

 あの「マカロン配り」で失敗した彼女が、今は汗まみれの手で、クラスメイトと繋がっている。

 バトンが繋いだのは、走る順番だけじゃなかったらしい。


「カケル」


 ハイタッチの輪から抜けてきたアリスが、俺の前に立った。

 そして、右手をスッと差し出した。


「……貴方とも、同期シンクロしておきます」

「おう」


 パチン。

 乾いた音が、夕暮れのグラウンドに響いた。


 体育祭の総合順位は散々だった。

 筋肉痛は確定だし、明日もバイトだ。

 それでも、このハイタッチの感触だけは、忘れられない記憶データとして残りそうだ。


 アリスの高校デビュー、時間はかかったけど、とりあえずは成功ってことでいいよな。

次回 第42話:中華チェーンの『魔法の粉』は、合法的な調味料ですか?

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