第40話:『借り物競争』は、他人の善意に依存した運ゲーではありませんか?
6月の太陽が照りつけるグラウンド。
銀杏高校体育祭は、午前の部を終えて昼休みに入っていた。
「……A組の勝率は現在38%。午後の『全員リレー』で1位を獲得すれば、総合優勝の可能性が残されています」
教室に戻った俺たちの前で、アリスが黒板に確率を書き出している。
あの日焼け対策の完全防備は解除され、今はみんなと同じ体操服姿だ。さすがに全校生徒の前で、あの全身黒ずくめの装備はよろしくないので何とか説得した。
「まだ諦める時間じゃないってことだな」
「当然です。勝負は最後まで計算できません」
アリスはチョークを置き、自席に戻った。
さあ、午後の決戦に向けてエネルギー補給の時間だ。
◇ ◇ ◇
机をくっつけて、俺、アリス、宮本さんの三人でランチタイムとなる。
「いただきまーす!」
宮本さんが広げたのは、可愛らしい二段弁当。
俺は早起きして作った、茶色いおかず多めの「男飯」弁当だ。
「あ、佐藤くんの唐揚げ美味しそう! 私の卵焼きと交換しない?」
「お、いいよ。宮本さんの卵焼き、甘い派? しょっぱい派?」
「甘い派だよー」
俺と宮本さんが箸でおかずを交換していると、隣から強烈な視線を感じた。
アリスだ。
彼女は自分の目の前に置かれた、漆塗りの重箱――九条院特製弁当の蓋を開けたまま、じっとこちらを見ていた。
「……カケル。宮本さん。その『物々交換』の儀式、私も参加を希望します」
「えっ、九条院さんも?」
「はい。他者の弁当から食材を採取する、という概念。これは給食のない高校生活における、重要なコミュニケーション・プロトコルのはずです」
アリスはやる気満々だ。
だが、俺と宮本さんは、彼女の重箱の中身を見て凍りついた。
一の重:伊勢海老のテルミドール。
二の重:黒毛和牛のしぐれ煮。
三の重:彩り豊かな京野菜の炊き合わせ。
……料亭かよ。
「あー、その……アリスさんや。俺たちの弁当に、それと釣り合うものがないんですが」
宮本さんも首を振る。
冷凍食品のミートボールと伊勢海老を交換するなど、わらしべ長者でもありえない暴挙だ。
「価値の定義は主観に依存します」
アリスは気にせず、箸を伸ばした。
そして、俺の弁当の隅っこにある『赤い物体』を指差した。
「私は、カケルの弁当にある『それ』を所望します」
「これ? タコさんウインナーだけど」
「……素晴らしい。豚肉加工品に切り込みを入れ、加熱による収縮率の差を利用して頭足類の形状を再現する……。高度な食品加工技術です」
アリスは目を輝かせている。
どうやら、お嬢様にとっては伊勢海老よりもタコさんウインナーの方が「未知のテクノロジー」として価値が高いらしい。
「いいけど……じゃあ、俺は何をもらえば?」
「推奨は伊勢海老です。殻を剥く手間はシェフが処理済みですので」
「等価交換じゃねえよ! 海老で鯛を釣るどころか、ウインナーで伊勢海老を釣っちまったよ!」
俺は恐縮しながら伊勢海老を受け取り、アリスの重箱にタコさんウインナーを鎮座させた。
シュールだ。高級食材の中に、ポツンと赤いタコがいる。
「……いただきます」
アリスはタコさんを恭しく口に運んだ。
パリッ、という皮の音。
「……美味です」
彼女はほう、と息を吐いた。
「安っぽい油の味と、過剰な塩分。そして無駄に愛らしい形状……。これが『家庭の味』というやつですね」
「お口に合ったようで何よりだ」
その後、宮本さんのプチトマトとも交換を行い、アリスは「庶民の弁当はエンターテインメント性に富んでいます」と満足げに重箱を閉じた。
◇ ◇ ◇
午後一番の競技。
グラウンドにアナウンスが響く。
『続いては、プログラム12番。借り物競争です。出場選手の皆さんは入場門へ』
借り物競争。
うちの高校では、リレーと並ぶ人気競技となっている。
ルールは簡単。コースの途中でカードを拾い、そこに書かれた条件に合う人や物を連れてゴールする。
お題は「眼鏡の人」「部活のキャプテン」「特技がある人」など、誰も傷つかない内容になっているのが特徴だ。
だが、陰キャにとっては少々ハードルが高い。
見知らぬクラスメイトに声をかけ、手を引いて走る。そんなコミュニケーション能力が試されるからだ。
もっとも、お祭りムードの生徒たちは協力的で、「条件に合う人ー!」と叫べば「はーい!」と立候補してくれる優しい世界ではあるのだが。
「……行ってきます」
2年A組の参加者の中にはアリスもいた。
彼女の表情は、戦場に向かう兵士のように硬い。
「大丈夫か? 大きな声で『お願いします』って言うんだぞ」
「シミュレーション済みです。対象を検索し、確保し、連行する。……最短記録を狙います」
アリスがスタートラインに立つ。
パン! とピストルが鳴った。
速い。
例のCQCステップで、アリスは瞬く間にカード置き場へ到達した。
バッとカードを拾い上げ、中身を見る。
「…………」
アリスの動きが一瞬止まった。
お題を確認しているのだろう。
彼女はクルリと顔を上げ、グラウンドを見渡す――ことはしなかった。
迷いなく。
一直線に。
俺たちが座っている応援席の方へ、猛ダッシュを開始したのだ。
「えっ? こっち?」
俺が呆気にとられている間に、アリスは砂埃を巻き上げてテントに突入してきた。
「カケル! 確保します!」
「うわっ!?」
アリスは俺の腕をガシッと掴むと、そのまま強引に引っ張り出した。
「ちょ、お題は!? 俺で合ってるのか!?」
「問答無用です! 走ってください!」
俺は状況も飲み込めないまま、アリスに引きずられるようにしてグラウンドへ連れ出された。
速い。手加減がない。
俺は転ばないように必死で足を動かす。
「ゴーーール!」
アリスは俺の手を握ったまま、トップでゴールテープを切った。
息を切らせながら、審判の教師にカードを突きつける。
「……判定をお願いします」
審判の先生がカードを受け取り、読み上げた。
「えー、1位、2年A組九条院さん。お題は……『頼りになる人』」
会場がざわついた。
『頼りになる人』。
先生、部活の先輩、あるいはクラスのリーダー格。
普通ならそういった人物を選ぶお題だ。
だが、アリスが選んだのは、冴えない貧乏学生の俺だった。
「……九条院さん。彼で、いいのかい?」
審判の先生も、少し意外そうに尋ねる。
アリスは呼吸を整え、真っ直ぐに先生を見据えて言った。
「はい。異論は認めません」
その声は、マイクを通してグラウンド中に響いた。
「彼は、私の『翻訳機』兼『精神的支柱』です。私の難解な言語出力を意訳し、クラスという社会システムへの接続を補助し、さらに非常時には物理的・精神的な防壁となります」
アリスは俺の方を向き、真顔で続けた。
「機能性、稼働率、そして信頼性において、彼ほど『頼りになる』個体は、この学校には存在しません」
「ひぃい……」
俺は情けない音を出すしかなかった。
シーン……。
一瞬の静寂の後。
ヒューヒュー! と冷やかす口笛と、爆笑と、拍手が巻き起こった。
「すっげー! 公開告白かよ!」
「機能性ってなんだよ! 愛が重いなオイ!」
「佐藤、お前そんなにハイスペックだったのか!」
俺は顔から火が出るかと思った。
なんだその説明は。
褒められているのか、道具扱いされているのか分からない。
でも、「信頼性において右に出る者はいない」と言い切った彼女の瞳には、一点の曇りもなかった。
「……判定は?」
アリスが首を傾げる。
審判の先生は苦笑いしながら、大きく丸を作った。
「……はい、オッケーです! 文句なし!」
◇ ◇ ◇
退場門へ向かう途中。
「……お前なぁ。あんな言い方したら、誤解されるだろ」
「誤解? 事実は正確に伝達したはずですが」
「『頼りになる』ってのは、もっとこう……力持ちとか、リーダーシップがあるとか、そういう意味だろ普通」
「それは一般的な定義です。私にとっての『頼りになる』は、カケルです」
アリスは平然と言ってのけた。
その横顔を見て、俺は脱力した。
勝てない。この天然たらしなお嬢様には、一生勝てる気がしない。
「……まあ、いいけどさ。役に立ってるなら」
「はい。カケルは非常に高性能なデバイスです」
「物扱いすんな!」
テントに戻ると、宮本さんがニヤニヤしながら待ち構えていた。
「お帰りー、ナイスカップル! いやー、熱いねぇ」
「宮本さん、誤認です。これは競技におけるパートナーシップであり、恋愛感情とは別次元の――」
「はいはい、ごちそうさまー」
アリスが必死に弁解しようとするが、誰も聞いていない。
俺は赤くなった顔をタオルで隠しながら、次の種目の準備を始めた。
次は、全員リレー。
アリスが「科学的根拠」に基づいて編成した、俺がアンカーを務めるあのレースだ。
「……頼りになる、か」
ボソリと呟く。
あんな風に言われて、燃えない男はいないだろう。
俺は靴ひもをきつく結び直した。
お嬢様の期待に応えるためにも、最後くらいはカッコいいところを見せてやらないとな。
次回 第41話:バトンパスは、最も非効率な『物資輸送』です




