第4話:『圧縮陳列』は知っていますが、ここはジャングルですか?
牛丼屋での共闘から数日後。
放課後の教室で、俺は鞄に教科書を詰めていた。今日はトイレットペーパーと洗剤が切れている。駅裏のディスカウントストアに寄らなければならない。
「カケル」
凛とした声と共に、清浄さのある黒髪の美少女が俺の席の前に立った。九条院だ。
「これから帰宅ですか? であれば、同行を許可します」
「なんで上から目線なんだよ。……俺はこれから買い物だぞ」
「買い物? 百貨店ですか?」
「いや、駅裏の『メガ・ジャングル』っていう激安店だ。ごちゃごちゃしてて、お前には合わないと思うぞ」
「ジャングル……! 冒険の匂いがします。行きます、是非!」
目を輝かせて食いついてきた。
まあ、あのごちゃごちゃした陳列を見たら、この整理整頓お嬢様がどんな反応をするか、楽しみではある。
◇ ◇ ◇
「……カケル。前言撤回を要求します」
「ん?」
「ここは『店』ではありません。物資で作られた要塞、あるいは迷宮です」
駅の裏手にある激安ディスカウントストア『メガ・ジャングル』。
その入り口で、九条院は戦慄していた。
無理もない。
天井まで積み上げられた段ボール。通路を侵食する商品棚。
極彩色の手書きPOPが視界を埋め尽くし、店内には『ジャンジャンジャン♪』という中毒性の高いBGMが大音量でループしている。
「これが『圧縮陳列』……。空間認識能力を狂わせ、客を購買の熱狂へ誘う心理トリックですね」
「ただのごちゃごちゃした店だよ。ほら、はぐれるなよ」
「了解。斥候の背後を死守します」
九条院は俺の服の裾をギュッと掴んだ。
少し震えている。どうやらこの情報の洪水は、深窓の令嬢には刺激が強すぎるらしい。
◇ ◇ ◇
「まずは日用品だ。洗剤と……あと、トイレットペーパーだな」
俺は生活用品コーナーへ向かい、特売の『12ロール入り・シングル』を手に取った。
その瞬間、背後から冷ややかな視線が突き刺さる。
「カケル。貴方は自分の『お尻』を憎んでいるのですか?」
「はい?」
「なぜ『シングル』を選ぶのです。それは紙ではありません。薄く引き伸ばされたヤスリです」
九条院は棚から『極上ふわふわ・ダブル(保湿成分配合)』を手に取り、俺に突きつけた。
「トイレットペーパーは『ダブル』一択です。重ねられた空気の層こそが、肌への慈悲。それは人間の尊厳に関わる問題です」
(出たな、ダブル派の貴族め)
俺はシングルの袋をパンと叩く。
「甘いな九条院。ここを見ろ。シングルは1ロール60メートル。ダブルは30メートルだ」
「それが何か?」
「同じ値段で、長さが2倍なんだよ! つまりシングルを買えば、ダブルの2倍生き延びられる。貧乏人にとって、尻の感触よりも『交換頻度の少なさ』こそが正義なんだ!」
「なっ……量で質をねじ伏せると言うのですか!?」
九条院は愕然としていた。
「60メートルのヤスリで拭くなど……正気の沙汰ではありません」
「慣れればシングルも悪くないぞ。薄いなら、自分で畳んで3枚重ねにすればいい」
「……その発想はありませんでした。DIYの精神ですね」
結局、俺はシングルをカゴに入れた。
九条院は「私の尊厳のために」と言って、自分のお小遣いで高級ダブルをカゴに追加した。
俺の家で使う気か、こいつ。
◇ ◇ ◇
日用品を確保した俺たちは、通路の角を曲がった。
すると突然、九条院が立ち止まり、陳列棚を凝視し始めた。
「……カケル。未確認物体を発見しました」
「なんだ?」
「これです。この筒状の物体……。1本15円?」
九条院が指差したのは、カゴに山積みされた国民的駄菓子『おいしい棒』だ。
「ああ、おいしい棒か。食べたことないのか?」
「ありません。ですが、原価計算が合いません。包装材と輸送費を引いたら、中身の原価はほぼゼロ……。つまりこれは、食用発泡スチロールか何かですか?」
「コーンスナックだよ! 子供のお小遣いの味方だ」
俺は明太味を一本手に取り、九条院に見せる。
「真ん中に穴が空いてるだろ? あれで強度を保ちつつ、食感を良くしてるんだ。企業努力の結晶だぞ」
「……空洞構造によるコストダウンと食感の向上。合理的です」
九条院は感心したように頷き、真剣な顔でチーズ味を一本手に取った。
「採用します。この『15円の衝撃』を、舌に刻む必要があります」
「おう、買っとけ買っとけ。大人買いしても150円だ」
「10本……! これが、大人の財力……!」
(いや、子供でも買えるけどな)
九条院は震える手で、チーズ味とコーンポタージュ味をカゴに入れた。
◇ ◇ ◇
その後、俺たちは店の奥にある『家電・ゲームコーナー』へと迷い込んだ。
「カケル、見てください。古代の遺物が山積みです」
「ああ、ワゴンセールか」
そこには、売れ残ったゲームソフトや型落ちの周辺機器が無造作に放り込まれていた。
俺は何気なくその中を漁り――ある一本のソフトを見つけて手を止めた。
「おっ、これ。『ファイターファイターズV』じゃん。500円か、やっす」
「ファイタ……? 格闘技の教則ビデオですか?」
「格闘ゲームだよ。昔ゲーセンで流行ったんだけど、家庭用が出てたんだな」
(懐かしいな。久しぶりにやりてぇ)
俺がパッケージを眺めていると、九条院が興味深そうに覗き込んできた。
「ゲーム……。電子空間での模擬戦ですね」
「やったことないか?」
「概念は知っています。ですが、実家では許されませんでした。『時間は生産的な活動に使うべき』ですので」
「そっか」
少し寂しそうな顔をする九条院。
俺は少し考え、ワゴンの中から中古のコントローラーをもう一つ引っ張り出した。
「じゃあ、やってみるか? 俺の家、古いけどゲーム機ならあるし」
「! よろしいのですか?」
「おう。ただし、俺は手加減しないぞ」
俺はソフトとコントローラーをカゴに入れた。
九条院はコントローラーのボタンを、愛おしそうに親指で撫でた。
「……ボタンがいっぱいです。ポチポチし放題ですね」
「そこかよ」
◇ ◇ ◇
レジへ向かう途中、九条院が黄色い紙の前で足を止めた。
この店特有の、勢いのある筆文字で書かれたPOP広告だ。
『驚安の宮殿! 他店圧倒! 赤字覚悟の98円!』
「……素晴らしい」
九条院はPOPをまるで美術館の絵画のように見上げていた。
「この躍動感あるフォント。そして『赤字覚悟』という自己犠牲の精神。これは単なる値札ではなく、店員の魂の叫びを記した魔導書ですね」
「ただの広告だよ。早く行くぞ」
会計を済ませ、店を出る。
外の空気は、店内の喧騒とは対照的に静かで澄んでいた。
俺の手には、シングルのトイレットペーパーと、格安のゲームソフト。
そして九条院の手には、高級トイレットペーパーと、おいしい棒、追加のコントローラー。
「ジャングルからの生還、お疲れ様でした」
「ああ。……で、これからどうする?」
「決まっています」
九条院はコントローラーを掲げ、不敵に微笑んだ。
「カケルの秘密基地へ行きましょう。その『格闘ゲーム』とやらで、貴方をボコボコにします」
「はっ、十年早ぇんだよ。わからせてやる」
俺たちは並んで歩き出した。
まさかこの数時間後、ゲーム初心者のはずの九条院に、理不尽なまでの『知識量』で追い詰められることになるとは、今の俺はまだ知らなかった。
次回 第5話:初心者に『待ちガイル』をするのは、国際条約違反ではないのですか?




