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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
一年生編

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4/50

第4話:『圧縮陳列』は知っていますが、ここはジャングルですか?

 牛丼屋での共闘から数日後。

 放課後の教室で、俺は鞄に教科書を詰めていた。今日はトイレットペーパーと洗剤が切れている。駅裏のディスカウントストアに寄らなければならない。


「カケル」


 凛とした声と共に、清浄さのある黒髪の美少女が俺の席の前に立った。九条院だ。


「これから帰宅ですか? であれば、同行を許可します」

「なんで上から目線なんだよ。……俺はこれから買い物だぞ」

「買い物? 百貨店ですか?」

「いや、駅裏の『メガ・ジャングル』っていう激安店だ。ごちゃごちゃしてて、お前には合わないと思うぞ」

「ジャングル……! 冒険の匂いがします。行きます、是非!」


 目を輝かせて食いついてきた。

 まあ、あのごちゃごちゃした陳列を見たら、この整理整頓お嬢様がどんな反応をするか、楽しみではある。


 ◇ ◇ ◇


「……カケル。前言撤回を要求します」

「ん?」

「ここは『店』ではありません。物資で作られた要塞、あるいは迷宮ラビリンスです」


 駅の裏手にある激安ディスカウントストア『メガ・ジャングル』。

 その入り口で、九条院は戦慄していた。


 無理もない。

 天井まで積み上げられた段ボール。通路を侵食する商品棚。

 極彩色の手書きPOPが視界を埋め尽くし、店内には『ジャンジャンジャン♪』という中毒性の高いBGMが大音量でループしている。


「これが『圧縮陳列』……。空間認識能力を狂わせ、客を購買の熱狂フィーバーへ誘う心理トリックですね」

「ただのごちゃごちゃした店だよ。ほら、はぐれるなよ」

「了解。斥候スカウトの背後を死守します」


 九条院は俺の服の裾をギュッと掴んだ。

 少し震えている。どうやらこの情報の洪水は、深窓の令嬢には刺激が強すぎるらしい。


 ◇ ◇ ◇


「まずは日用品だ。洗剤と……あと、トイレットペーパーだな」


 俺は生活用品コーナーへ向かい、特売の『12ロール入り・シングル』を手に取った。

 その瞬間、背後から冷ややかな視線が突き刺さる。


「カケル。貴方は自分の『お尻』を憎んでいるのですか?」

「はい?」

「なぜ『シングル』を選ぶのです。それは紙ではありません。薄く引き伸ばされたヤスリです」


 九条院は棚から『極上ふわふわ・ダブル(保湿成分配合)』を手に取り、俺に突きつけた。


「トイレットペーパーは『ダブル』一択です。重ねられた空気のエア・レイヤーこそが、肌への慈悲。それは人間の尊厳ディグニティに関わる問題です」


(出たな、ダブル派の貴族め)


 俺はシングルの袋をパンと叩く。


「甘いな九条院。ここを見ろ。シングルは1ロール60メートル。ダブルは30メートルだ」

「それが何か?」

「同じ値段で、長さが2倍なんだよ! つまりシングルを買えば、ダブルの2倍生き延びられる。貧乏人にとって、尻の感触よりも『交換頻度の少なさ』こそが正義なんだ!」

「なっ……ボリュームクオリティをねじ伏せると言うのですか!?」


 九条院は愕然としていた。


「60メートルのヤスリで拭くなど……正気の沙汰ではありません」

「慣れればシングルも悪くないぞ。薄いなら、自分で畳んで3枚重ね(トリプル)にすればいい」

「……その発想はありませんでした。DIYドゥ・イット・ユアセルフの精神ですね」


 結局、俺はシングルをカゴに入れた。

 九条院は「私の尊厳のために」と言って、自分のお小遣いで高級ダブルをカゴに追加した。

 俺の家で使う気か、こいつ。


 ◇ ◇ ◇


 日用品を確保した俺たちは、通路の角を曲がった。

 すると突然、九条院が立ち止まり、陳列棚を凝視し始めた。


「……カケル。未確認物体を発見しました」

「なんだ?」

「これです。この筒状の物体……。1本15円?」


 九条院が指差したのは、カゴに山積みされた国民的駄菓子『おいしい棒』だ。


「ああ、おいしい棒か。食べたことないのか?」

「ありません。ですが、原価計算が合いません。包装材パッケージと輸送費を引いたら、中身の原価はほぼゼロ……。つまりこれは、食用発泡スチロールか何かですか?」

「コーンスナックだよ! 子供のお小遣いの味方だ」


 俺は明太味を一本手に取り、九条院に見せる。


「真ん中に穴が空いてるだろ? あれで強度を保ちつつ、食感を良くしてるんだ。企業努力の結晶だぞ」

「……空洞構造によるコストダウンと食感の向上。合理的です」


 九条院は感心したように頷き、真剣な顔でチーズ味を一本手に取った。


「採用します。この『15円の衝撃』を、舌に刻む必要があります」

「おう、買っとけ買っとけ。大人買いしても150円だ」

「10本……! これが、大人の財力……!」


(いや、子供でも買えるけどな)


 九条院は震える手で、チーズ味とコーンポタージュ味をカゴに入れた。


 ◇ ◇ ◇


 その後、俺たちは店の奥にある『家電・ゲームコーナー』へと迷い込んだ。


「カケル、見てください。古代の遺物が山積みです」

「ああ、ワゴンセールか」


 そこには、売れ残ったゲームソフトや型落ちの周辺機器が無造作に放り込まれていた。

 俺は何気なくその中を漁り――ある一本のソフトを見つけて手を止めた。


「おっ、これ。『ファイターファイターズV』じゃん。500円か、やっす」

「ファイタ……? 格闘技の教則ビデオですか?」

「格闘ゲームだよ。昔ゲーセンで流行ったんだけど、家庭用が出てたんだな」


(懐かしいな。久しぶりにやりてぇ)


 俺がパッケージを眺めていると、九条院が興味深そうに覗き込んできた。


「ゲーム……。電子空間での模擬戦ですね」

「やったことないか?」

「概念は知っています。ですが、実家では許されませんでした。『時間は生産的な活動に使うべき』ですので」

「そっか」


 少し寂しそうな顔をする九条院。

 俺は少し考え、ワゴンの中から中古のコントローラーをもう一つ引っ張り出した。


「じゃあ、やってみるか? 俺の家、古いけどゲーム機ならあるし」

「! よろしいのですか?」

「おう。ただし、俺は手加減しないぞ」


 俺はソフトとコントローラーをカゴに入れた。

 九条院はコントローラーのボタンを、愛おしそうに親指で撫でた。


「……ボタンがいっぱいです。ポチポチし放題ですね」

「そこかよ」


 ◇ ◇ ◇


 レジへ向かう途中、九条院が黄色い紙の前で足を止めた。

 この店特有の、勢いのある筆文字で書かれたPOP広告だ。


『驚安の宮殿! 他店圧倒! 赤字覚悟の98円!』


「……素晴らしい」

 九条院はPOPをまるで美術館の絵画のように見上げていた。


「この躍動感あるフォント。そして『赤字覚悟』という自己犠牲の精神スピリット。これは単なる値札ではなく、店員の魂の叫び(ソウル・クライ)を記した魔導書ですね」

「ただの広告だよ。早く行くぞ」


 会計を済ませ、店を出る。

 外の空気は、店内の喧騒とは対照的に静かで澄んでいた。


 俺の手には、シングルのトイレットペーパーと、格安のゲームソフト。

 そして九条院の手には、高級トイレットペーパーと、おいしい棒、追加のコントローラー。


「ジャングルからの生還、お疲れ様でした」

「ああ。……で、これからどうする?」

「決まっています」


 九条院はコントローラーを掲げ、不敵に微笑んだ。


「カケルの秘密基地ベースへ行きましょう。その『格闘ゲーム』とやらで、貴方をボコボコにします」

「はっ、十年早ぇんだよ。わからせてやる」


 俺たちは並んで歩き出した。

 まさかこの数時間後、ゲーム初心者のはずの九条院に、理不尽なまでの『知識量』で追い詰められることになるとは、今の俺はまだ知らなかった。

次回 第5話:初心者に『待ちガイル』をするのは、国際条約違反ではないのですか?

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