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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
二年生編

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39/50

第39話:紫外線は、肌を焼く『殺人光線』と同じです

 6月中旬。

 梅雨の晴れ間。湿気を帯びた空気が、初夏の日差しで熱せられ、グラウンドに蒸し暑い熱気を生み出していた。

 体育祭の練習期間だ。


 2年A組の生徒たちは体操服に着替え、グラウンドに集合していた。

 男子は「あちー」とシャツをパタパタさせ、女子は「焼けるー」と日陰に避難している。


 そんな中。

 俺の隣に、不審者が立っていた。


「……誰だお前」

「九条院アリスです。声紋認証、及び骨格データから判別可能では?」


 その人物は、こもった声で答えた。

 無理もない。彼女の顔は、農作業用のような巨大な黒いサンバイザー(顔全体を覆うUVカットフィルター付き)で完全に遮断されていたからだ。

 さらに首元にはネックカバー、腕には黒いアームカバー。

 露出しているのは指先くらいで、全身黒ずくめのダースベイダー状態である。


「怪しすぎるだろ! 銀行強盗かよ!」

「生存戦略です」


 アリスはサンバイザーの奥から、鋭い(たぶん)眼光を空に向けた。


「紫外線《UV》は、肌の細胞核DNAを直接破壊する電磁波です。直射日光を浴びるなど、防具なしでレーザー砲の射線上に立つことと同義です」

「光合成しろよ……不健康だぞ」

「光合成は植物の機能です。人間にとって紫外線は『老化』と『皮膚癌』のリスク因子ファクターでしかありません」


 俺の冗談をマジレスで返すアリスは、鉄壁の防御を崩そうとしない。

 クラスメイトの宮本さんも、「九条院さん、完全防備だね……養蜂場の人みたい」と引き気味だ。


 ◇ ◇ ◇


 今日の練習メニューは、体育祭の花形であり、全員強制参加の種目『クラス対抗全員リレー』だ。

 走る順番を決めるため、体育委員を中心に作戦会議が開かれていた。


「えーっと、じゃあ走るのが速い人を前半と後半に固めて……」

「女子と男子、交互にする?」


 みんながああだこうだと言っているのを眺めながら、俺はずっと抱いていた疑問を口にした。


「なあ。リレーの走る順番って、そんなに意味あるのかな?」

「え?」

「だって、全員が走るんだろ? 誰がどこで走ろうが、全員のタイムの合計が最終的なゴールタイムになるわけだし。どの順番で走っても結果は同じじゃないのかなって」


 数学的な足し算の理屈だ。

 10秒で走る奴と、20秒で走る奴。どちらが先に走っても、合計は30秒だ。順番でタイムが変わらない気がする。


「……カケル。それは違います」


 黒い不審者(アリス)が、人差し指を立てて割って入った。


「貴方の思考は、摩擦や空気抵抗を無視した『真空中の物理実験』と同じです。現実のレースには、計算式には表れない『心理的・物理的変数』が介在します」

「変数?」

「科学的根拠を示しましょう。まず第一に『狩猟本能による加速効果』です」


 アリスはホワイトボード(なぜか持参していた携帯用)に図を描き始めた。


「人間は、前を走る対象を『獲物』と認識した際、無意識にリミッターを解除し、通常時以上の速度を発揮することが行動心理学で証明されています」

「それだと、誰かの後ろを走るのが前提になってないか?」

「2年A組は他クラスよりも運動部の比率が少ないので、基礎スペックにおいて構成的には不利と言えます。……しかし、だからこそ」


 アリスはバン! とボードを叩き、力説した。


「私たちは常に『追う側』に回ることになります。つまり――先行する他クラスの背中を『獲物ターゲット』として視界に捉え続けることで、全走者が『狩人ハンター』の心理状態を維持できる、最強の布陣となるのです」


「な、なるほど……?」

「先行する走者は敵ではありません。我々のタイムを引き上げるための『無料のペースメーカー』として利用するのです」


 クラス中がざわめいた。

 「足が遅い」というデメリットを、「本能を引き出すための環境」と言い換えたのだ。

 詭弁のようだが、妙な説得力があった。


「第二に『バトンパスの運動エネルギー保存則』です。速い走者から遅い走者に渡す場合、減速ロスが発生します。逆に、加速中の走者に渡すことでトップスピードに乗る時間を延ばせる。走力グラフの波形を合わせる必要があります」


 クラス全員が、アリスの講義に聞き入っている。

 サンバイザー姿のせいで、怪しいセミナーにしか見えないが。

 不断ならこうして前に出ることは無いが、仮面のお陰でクラスメイトの前でも堂々と話せるようだ。


「そして第三に『初期加速』と『精神耐性』です。第一走者は、静止状態からの加速力が求められるため、瞬発力に優れた軽量級が有利。対してアンカーは、ゴール直前の重圧プレッシャーに耐えうるメンタルが必要です」


 アリスは再びバン! とボードを叩いた。


「よって、単純な足し算ではありません。配置オーダーによって、最終タイムは数秒単位で変動します。これは戦略シミュレーションです」

「す、すげえ……」

「九条院さん、監督やってよ!」


 クラスの空気が変わった。

 アリスは「……やれやれ」といった風情で(顔は見えないが)、腕を組んだ。


「仕方ありません。私のデータベースにある全員の身体能力データを元に、最適解オプティマル・ソリューションを構築します」


 こうして、2年A組のリレーの順番は、謎の黒ずくめ監督によって完全に管理されることになった。


 ◇ ◇ ◇


 休憩時間。

 日差しはますます強くなり、ジリジリと肌を焼く。

 俺は木陰のベンチに座り、ペットボトルの水を飲んでいた。


「……あつ」


 ふと腕を見ると、肌が赤くなっている。

 色白な方なので、すぐに赤くなる体質なのだ。ヒリヒリと痛い。


「……カケル。警告レベルです」


 いつの間にか、アリスが隣に立っていた。

 サンバイザーの奥から、俺の腕を凝視している。


「皮膚の炎症反応を確認。メラニン色素の生成が追いついていません。軽度の熱傷やけどです」

「まあ、この時期は仕方ないよ。夏は焼けるもんだ」

「愚かです。紫外線は蓄積ダメージとなり、数十年後の貴方の肌を復讐者アヴェンジャーのように襲うのですよ?」

「多少焼けてるくらいが健康的でいいだろ」


 俺がのんきに言うと、アリスは「はぁ」と深いため息をついた。

 そして、ポーチから高級そうなチューブを取り出した。


「修正措置を行います。腕を出してください」

「え、いいよ。ベタベタするの嫌いだし」

「拒否権はありません。これは医療行為です」


 アリスは俺の腕を強引に掴むと、チューブから白いクリームを絞り出した。

 ひんやりとした感触。

 高級ブランド特有の、上品なフローラルの香りが漂う。


「……冷たっ」

「動かないでください。ムラなく塗布コーティングしなければ、防御効果が半減します」


 アリスは黒い手袋を外し、素手でクリームを塗り広げていく。

 白くて細い指が、俺の焼けた肌の上を滑る。

 アリスの指は、驚くほど冷たくて、柔らかかった。


「……っ」


 俺は思わず息を止めた。

 なんだこれ。

 ただ日焼け止めを塗られているだけなのに、妙にドキドキする。

 アリスは真剣なたぶんで、俺の二の腕から手首まで、丁寧に、慈しむように指を滑らせている。


「……カケルの肌は、無防備すぎます」


 アリスがぽつりと呟いた。


「装甲が薄い。すぐに傷つく。……私がメンテナンスしないと、ボロボロになってしまいます」

「……過保護だな」

「資産管理の一環です。カケルという人材リソースが劣化するのは、私にとっても損失ですから」


 憎まれ口を叩いているが、その手つきは優しかった。

 クリームが肌に馴染んでいく。

 ヒリヒリしていた痛みが、少しずつ引いていく気がした。


「……よし。施工完了です」


 アリスは満足げに俺の腕を放した。

 俺の腕は、微かに白く、そして良い匂いがした。


「サンキュー。……なんか、女子の匂いがするけど」

「SPF50+、PA++++の最強の盾です。感謝してください」


 謎の暗号を口にしたアリスは再び手袋をはめ、サンバイザーの位置を直した。

 完全防備の不審者に戻ってしまったが、今の俺には、その姿が少しだけ頼もしく見えた。


 ◇ ◇ ◇


 練習再開のチャイムが鳴る。

 俺たちはグラウンドへ戻った。


「さあ、後半戦です。カケル、貴方は最終走者アンカーに設定しました」

「はあ!? 俺、足遅いぞ!?」

「問題ありません。リレーは『総力戦』です」


 アリスは不敵に笑った(たぶん)。


「貴方の前には、陸上部のエースを配置しました。彼が稼いだマージンを、貴方の『労働者の根性』で死守する。それが勝利の方程式です」

「……責任重大じゃんかよ」


 胃が痛くなってきた。

 だが、隣にいる黒ずくめの監督が「大丈夫です」と頷くのを見ると、なんとかなるような気がしてくるから不思議だ。


 初夏の日差し。

 日焼け止めの香り。

 そして、隣にいる変な格好のお嬢様。


 今年の体育祭は、今までで一番熱くなりそうだ。

次回 第40話:『借り物競争』は、他人の善意に依存した運ゲーではありませんか?

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