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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
二年生編

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34/50

第34話:『テスト範囲』の変更は、契約違反に当たりませんか?

 5月中旬。中間テスト3日前。

 2年A組の教室は、独特の緊張感と、諦めの空気が入り混じっていた。

 5限目の世界史。担当の鈴木先生が、チョークを置いて気だるげに言った。


「あー、そんでだな。授業の進みが遅れてるから、教科書の120ページから135ページ……『冷戦構造の成立』のとこ。ここは今回のテスト範囲から外すわ」


 その瞬間、教室がどっと沸いた。


「マジで!? ラッキー!」

「やったー! そこ覚えるの面倒だったんだよな!」

「先生神!」


 歓喜の声が上がる。

 テスト範囲が減る。それは学生にとって、砂漠でオアシスを見つけるごとき福音ふくいんだ。俺も心の中でガッツポーズをした。


 だが。

 俺は気づいてしまった。

 隣の席から、絶対零度の冷気が漂ってきていることに。


「…………」


 チラリと横を見る。

 アリスは、能面のような無表情で黒板を凝視していた。

 姿勢は良い。手は膝の上。荒ぶる様子はない。

 だが、彼女が握りしめているシャープペンシルの芯が、ボキボキボキッ! と音を立てて砕け散っていた。


(めちゃくちゃ怒っていらっしゃる)


 理由は分からないが、触らぬ神に祟りなしだ。俺は気配を消してチャイムを待った。


 ◇ ◇ ◇


 休み時間。

 先生が教室を出て行った瞬間、アリスが俺の方へクルリと向き直った。


「……カケル」

「は、はい」

「納得できません」


 低い声だ。地底の底から響くような怨嗟の声だ。


「さっきの範囲変更……あれは重大な契約違反デフォルトです」

「えっ、そうか? みんな喜んでたけど」

「愚かです。講義要項シラバスは、学校と生徒の間で交わされた『学習契約』です。一方的な変更は信義則に反します」


 アリスはバン! と自分のノートを開いた。

 そこには、今回除外された『冷戦』のパートが、完璧にまとめ上げられていた。


「私は既に、当該範囲を完璧に暗記済みです。年号、条約名、主要人物の相関図……すべて脳内データベースにインプットしました。これに費やした3時間を返還してください!」

「あー……なるほど。努力が無駄になったのか」

「無駄ではありません! 知識は資産です! ですが……テストという『評価の場』を奪われたことに対する行き場のない憤り……このエネルギーをどこへ排出すればいいのですか!」


 アリスはプルプルと震えている。

 要するに、「せっかく勉強したのに出ないなんて悔しい」という、優等生特有の悩みだ。

 しかし、俺にとってはそれどころではなかった。


「待てよ……。冷戦が出ないってことは、その前の『第二次世界大戦の戦後処理』の比重が増えるってことか?」

「論理的帰結として、そうなりますね」

「やばい! 俺、冷戦のスパイ映画が好きだからそこばっかり勉強してた! その前のヤルタ会談とかポツダム宣言とか、全然やってない!」


 顔面蒼白になる俺を見て、アリスが呆れたような顔をした。


「……カケル。貴方の学習計画は、エンタメ要素に依存しすぎています」

「好きなことなら頭に入るんだから仕方ない。 時間がない! こうなったら……『山を張る』しか!」

「山……? 地形の話ですか?」

「違う! 出そうなところを予想して、そこだけ集中的に覚えるんだ。イチかバチかの賭けだ!」


 俺が教科書をパラパラとめくりながら叫ぶと、アリスは深くため息をついた。


「愚かです。テストとは網羅的な理解度を測るもの。特定箇所への一点張りなど、ロシアンルーレットと同義です。自殺行為スーサイドです」

「じゃあどうすりゃいいんだよ! 今から全範囲なんて間に合わねえよ!」

「……仕方ありません」


 アリスは眼鏡(勉強用)をクイッと押し上げた。


「カケルの生存率を上げるため、私が『科学的な山』を張りましょう」

「科学的な山?」

「ええ。直感インスピレーションではなく、統計と確率に基づいた『プロファイリング』です」


 ◇ ◇ ◇


 放課後。図書室。

 アリスは机の上に、過去3年分の世界史の過去問と、自身のノート、そして『鈴木先生の雑談ログ』という謎のデータを広げた。


「解析を開始します」


 アリスの目が、獲物を狙う猛禽類もうきんるいのように鋭くなる。


「まず、担当の鈴木先生の出題傾向です。過去3年のデータによると、彼は『教科書の太字』よりも『授業中に口頭で補足した内容』を出題する傾向にあります。その相関係数は0.8」

「すごいな……そんなの分析してたのか」

「さらに、黒板の書き方です。彼は重要な単語を書く際、チョークの筆圧が15%ほど強くなる癖があります。私のノートには、その筆圧データも記録されています」


 アリスは自分のノートにある文字の濃淡を指差した。

 変態だ。このお嬢様は、勉強のベクトルが変態的だ。


「そして決定的要因(ファクター)。鈴木先生は先週の授業で、最近のニュースについて触れましたね? 『国連の機能不全』について」

「あー、なんか言ってたかも」

「ならば、今回の範囲にある『国際連合の成立』については、99%出題されます。それも、安全保障理事会の構成国だけでなく、拒否権の問題点について記述させる形式で」


 アリスは次々と「出題予想リスト」を作成していく。


「ここ、ここ、そしてここ。……カケル、このA4用紙1枚分だけを、死ぬ気で暗記してください。それで70点は確保できます」

「お、おう! 信じるぞ!」


 俺はアリスから渡された『予言書』を握りしめ、残りの時間を暗記に費やした。


 ◇ ◇ ◇


 テスト当日。

 世界史の問題用紙が配られる。

 

「始め!」


 合図と共に、俺は恐る恐る紙面を開いた。


(……!)


 震えが走った。

 問1:ヤルタ会談について。

 問2:国際連合の成立と、拒否権の問題点について述べよ。

 問3:……。


(出た! 出たぞ! アリスが言ってたところ、そのまんまだ!)


 まるで未来予知だ。

 鈴木先生の思考が、完全にアリスの手のひらの上で転がされている。

 俺はニヤつきそうになる口元を引き締め、猛烈な勢いでペンを走らせた。


 ふと横を見ると、アリスは開始10分ですべて解き終わり、優雅に窓の外を見ていた。

 その背中が「簡単すぎて退屈です」と語っていた。


 ◇ ◇ ◇


 数日後。テスト返却。

 俺の手元には、『82点』と書かれた答案用紙があった。

 平均点が60点台の難問だったにも関わらず、だ。


「すごいよ九条院! お前、予言者になれるぞ!」

「……予言ではありません。統計学と行動心理学の応用です」


 アリスは自分の答案(当然100点)を鞄にしまいながら、涼しい顔で言った。

 だが、その口元は少しだけ緩んでいる。

 やはり、自分の分析が的中したのは嬉しいらしい。


「ありがとうな。お礼にジュース奢るよ」

「では、野菜ジュースをお願いします」


 俺たちは自販機コーナーへ向かった。

 廊下を歩きながら、アリスが不敵に微笑む。


「……ところで、カケル」

「ん?」

「今回の勝利で満足していませんか?」

「まあ、赤点は回避できたしな」

「甘いです。……今回、範囲から外された『冷戦』については、期末テストで必ず出題されます。しかも、範囲が倍増するため、難易度は跳ね上がるでしょう」


 アリスは鞄から、分厚いプリントの束を取り出した。


「よって、先行投資が必要です。私が作成した『冷戦・完全攻略プリント』です。週末、私の家で補習を行います」

「えっ」

契約履行デフォルト・リカバリーです。私の3時間の勉強の成果を、カケルの脳にインストールすることで供養します」

「結局、勉強させられるのかよ!!」


 俺の悲鳴が廊下に響く。

 テストは終わったが、アリス先生の授業は終わらない。

 

 まあ、あんな凄いヤマ勘(科学)を見せられたら、従うしかないんだけどな。

 俺は観念して、アリスからプリントの束を受け取った。

次回 第35話:サプライズ・パーティーの成功率は、事前の情報統制リーク・コントロールにかかっています

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