第33話:『子供なぞなぞ大百科』は、最高難易度の哲学書ですか?
5月。新緑が眩しい季節。
世間はゴールデンウィークという大型連休に浮かれていたが、俺たち学生にとっては、その後に控える『中間テスト』への助走期間でもあった。
連休明けの放課後。
俺とアリスは、いつものように教室に残っていた。
「……カケル。顔色が優れませんね。肌の水分量が低下し、疲労の色が濃いです」
「そりゃそうだよ。GW中、毎日バイトだったからな」
俺は机に突っ伏しながら答えた。
コンビニのシフトに加え、連休限定のイベント設営バイトを入れたのだ。
ヒーローショーや女児向けアニメのイベント会場設営。
日給は破格だったが、炎天下での力仕事は肉体を酷使した。
「カケルは働き者ですね。……報酬は弾みましたか?」
「おかげさまでな。九条院の方はどうだったんだ?」
「家族で欧州へ。ウィーンの舞踏会と、パリの美術館を視察しました」
アリスは何でもないことのように言った。
スケールが違いすぎる。俺が汗水垂らしてパイプ椅子を並べている間に、こいつはドレスを着てワルツをでも踊っていたのか。
「お土産です。オーストリア王室御用達のザッハトルテです」
「うおっ、マジか!」
「お母さまと食べてください」
「ありがとう。母さんも喜ぶよ」
渡されたのは、桐箱に入っていそうな高級チョコレートケーキ。
俺がお返しできるものなんて、何もないぞ。
「……で、カケル。貴方の戦利品は?」
「えっ」
「イベント設営のバイトということは、何らかの物品を入手したのでは?」
アリスが期待の眼差しを向けてくる。
俺は鞄の中を探り、バイト先で「余ったからあげるよ」と貰ったノベルティを取り出した。
「……これしかないけど」
「ほう。極彩色の装丁……。専門書ですか?」
「ある意味、専門書か」
アリスが手に取ったのは、ペラペラの冊子。
表紙には、デフォルメされた動物のイラストと、ポップなタイトルが書かれている。
『決定版! 子供なぞなぞ大百科』
「なぞなぞ……概念は知っています。言葉遊びに近いクイズだとか」
「ああ。子供向けのイベントで配ってたやつだ。勉強の息抜きにちょうどいいかと思ってさ」
「ふむ。テスト勉強の合間の脳のストレッチ……合理的です。挑んでみましょう」
アリスはやる気満々で冊子を開いた。
こうして、放課後の教室で「第一回・なぞなぞ大会」が開催されることになった。
◇ ◇ ◇
「では、第一問」
俺は冊子を読み上げた。
「『パンはパンでも、食べられないパンはなーんだ?』」
超初級問題だ。幼稚園児でも即答できる。
しかし、アリスにはそういった誰もが通った道を、通っていないことが多い。
アリスは眉間に深いシワを寄せ、腕組みをして沈黙した。
(通ってない道だったか)
「……食べられないパン」
彼女の脳内で、膨大なデータベースが検索されているのが分かる。
「賞味期限切れによるカビの発生、あるいは硬度が高すぎて歯が立たない『乾パン』の類でしょうか。いいえ、物理的に摂取不可能となると……食品サンプルの模型?」
「考えすぎだ! もっとシンプルに、音の響きで考えろ」
「音……? PAN……」
アリスはハッとした。
「分かりました! 『パン(Pan)』ですね! ギリシャ神話の牧神であり、フルートの語源ともなった……神様は食べられません!」
「違うわ! そんな高尚な答えじゃない!」
「では何ですか! 食べられないパンなど、食品衛生法違反です!」
「正解は『フライパン』だ」
俺が答えを告げると、アリスはポカンと口を開け、それからわなわなと震え出した。
「……詐欺です」
「は?」
「フライパンは調理器具であり、食品の『パン(Bread)』とは語源が異なります! 日本語のカタカナ表記による同音異義語を利用した、悪質なミスリードです!」
「それがなぞなぞなんだよ! 理屈こねるな!」
アリスは納得がいかない様子で、「フライパン……調理器具……」とブツブツメモを取っている。
先が思いやられる。
「第二問。『お昼になると大きくなって、夜になると小さくなるもの、なーんだ?』」
「……生物の成長サイクルですか?」
「違う」
「では、株式市場の変動グラフ?」
「もっと違う。小学生でも知ってる現象だ」
アリスは再び思考の迷宮に入り込んだ。
「昼に最大化し、夜に最小化する……。太陽光発電の出力? いいえ、夜はゼロになりますし……。瞳孔の大きさは逆ですし……」
「ヒント。晴れた日にしか見えません」
「晴れた日……。太陽との位置関係……幾何学的な投影……」
アリスが顔を上げた。
「『影』ですか?」
「正解!」
「……解せません」
アリスは不満げだ。
(当たったのに)
「影の長さは光源の入射角に依存します。正午(お昼)は太陽が南中するため、影は最も短くなります。つまり『お昼になると小さくなって、夕方になると大きくなる』が物理的に正しい記述です。この出題者は天文学を知らないのですか?」
「子供の感覚だよ! 『お昼(活動時間)』=『影が目立つ』くらいのニュアンスなんだよ!」
「非科学的です。定義が曖昧すぎます」
アリスは『なぞなぞ大百科』を、まるで悪書でも見るような目で見つめた。
「カケル。この書物は危険です。言葉の定義をあやふやにし、論理的思考を阻害する『詭弁』の塊です。子供の教育に悪影響では?」
「頭を柔らかくするためのもんだよ。お前みたいにガチガチに固まった脳みそには、劇薬かもしれないけどな」
◇ ◇ ◇
「第三問」
俺はページをめくった。
そこには、俺がバイトしていたヒーローショーの写真が小さく載っていた。
「『いつもは弱いけど、ピンチになると強くなるもの、なーんだ?』」
アリスは即答しようとして、口を閉じた。
そして、じっと考え込んだ。
「……アドレナリンの分泌による火事場の馬鹿力……と言いたいところですが、なぞなぞの文脈では不正解でしょうね」
「お、さすがの学習能力」
「この冊子の傾向から推測するに、答えは『ヒーロー』、あるいは『正義の味方』ではありませんか?」
俺はニヤリと笑った。
「正解。よく分かったな」
「カケルがGW中に『ヒーローショー』の設営をしていたと言っていましたから。そこからの連想です」
アリスは少し誇らしげに胸を張った。
だが、すぐに真剣な顔に戻る。
「ですが、疑問が残ります」
「何が?」
「『ピンチになると強くなる』という事象です。通常、ダメージを受ければ戦闘能力は低下します。追い詰められてから逆転するなど、戦術的にリスクが高すぎます。最初から最大火力で圧倒すべきでは?」
出た、効率厨。
俺は苦笑しながら、バイトで見た光景を思い出した。
「まあ、リアルな喧嘩ならそうだろうな。でもな、ヒーローってのは『希望』なんだよ」
「希望?」
「一度やられて、倒れて、それでも立ち上がる。その姿を見て、子供たちは『頑張れ!』って応援するんだ。その声援を受けて強くなる。……それがヒーローなんだよ」
俺が熱弁すると、アリスはきょとんとして、それからふわりと微笑んだ。
「……なるほど。物理的なエネルギーではなく、精神的なエネルギー(応援)を力に変換するシステムなのですね」
「まあ、そんなとこだ」
「非合理的ですが……嫌いではありません。カケルが汗水垂らして設営したステージには、そのようなロマンが詰まっていたのですね」
アリスは『なぞなぞ大百科』を丁寧に閉じた。
「勉強になりました。この冊子は、論理学ではなく『哲学書』として読むべきもののようです」
「大袈裟だって」
チャイムが鳴り、完全下校の時刻を告げる。
結局、テスト勉強は一文字も進まなかった。
ウィーンの舞踏会より、パリの美術館より。
この放課後の教室で、くだらないクイズに頭を抱える時間の方が、今の俺たちには似合っている気がした。
さて、明日からは真面目にテスト勉強をしないと、本当に赤点で「ピンチ」になってしまう。
俺たちに逆転のパワーをくれる応援なんてないのだから。
次回 第34話:『テスト範囲』の変更は、契約違反に当たりませんか?




