第31話:クレーンゲームのアームは、商品を撫でるための機能しかありませんか?
放課後。
激辛ラーメンで火照った体を冷ますため、俺たちは駅前のゲームセンターに立ち寄っていた。
電子音が鳴り響き、極彩色のライトが点滅する店内。
制服姿の学生やカップルで賑わう中、アリスはまたしても、とある筐体の前で足を止めていた。
「……カケル。停止してください」
「ん? どうした?」
「運命の出会いを果たしました」
アリスが吸い寄せられるように近づいたのは、通路の一等地に置かれた巨大なUFOキャッチャーだ。
ガラスケースの中に山積みされているのは、可愛らしいクマでも、流行りのアニメキャラでもない。
ヌメっとした質感の布で作られた、茶色くて平べったい生物のぬいぐるみだった。
『超リアル! オオサンショウウオ(特大サイズ)』
「……これかよ」
「美しい……」
アリスはガラスに手を当て、うっとりとその物体を見つめた。
「見てください、この流線型のフォルム。短い四肢と、つぶらな瞳。両生類としての進化の極致です。以前捕獲した『マッチョ・アザラシ』とも親和性が高いデザインと言えます」
「相変わらず、好みのベクトルが独特だな……」
まあ、本人が気に入ったなら止める理由はない。
1プレイ100円。500円で6回。
アリスは財布から100円玉を取り出し、投入口に入れた。
「確保します。物理演算上、この配置なら容易です」
「やったことあるのか?」
「初めてですが、概念は知っています。対象をクレーンで掴み、穴へ落とす。簡単な作業です」
(こりゃ、ダメそうだな)
アリスの目は真剣そのものだ。
狙うのは、山の一番上に乗っている個体。重心は露出しており、アームの爪が引っかかる隙間も十分にある。
「座標確認。X軸、移動完了。Y軸、ターゲットロック」
アリスは迷いなくボタンを離した。
アームが降下する。
位置は完璧だ。ガシッ! と金属の爪がオオサンショウウオの胴体をしっかりと掴んだ。
「把持成功。……持ち上がります!」
ウィーン、というモーター音と共に、アームが上昇する。
ぬいぐるみは見事に持ち上がった――かに見えた。
その時だ。
アームが頂点に達した瞬間、カクン、と爪が脱力した。
スルッ。
まるでやる気を失ったかのように、爪が開く。
オオサンショウウオは重力に従い、ボスッ! と元の位置へ落下した。
アームは何も持たずに、虚しく取り出し口へと帰還していく。
「…………」
アリスが固まった。
そして、わなわなと肩を震わせ、筐体を指差した。
「……機能不全です!!」
彼女は叫んだ。
「見ましたかカケル! あのアーム、商品を搬送する意思が欠落しています! 一度は掴んだのに、空中で勝手に離しました! これは握力設定のミス……いえ、詐欺筐体です!」
「落ち着け。それがクレーンゲームだ」
「納得できません! ただ表面を優しく愛撫して帰っていっただけではありませんか! あのアームは商品を撫でるための機能しかないのですか!?」
アリスの怒りはもっともだが、ここはゲーセンだ。物理法則よりも店の設定が優先される無法地帯である。
「いいかアリス。クレーンゲームっていうのはな、『持ち上げる』ゲームじゃないんだ」
「は?」
「『ずらす』ゲームなんだよ」
俺はガラス越しにアームを指差した。
「あのアームのバネは、わざと弱く作られてる。ガッチリ掴んで持ち上げることは最初から想定されてない。爪の角度や、閉じる時の力を使って、少しずつ穴の方へ押し出したり、転がしたりして落とす……それがセオリーだ」
「……非効率です」
アリスは愕然としていた。
「Craneとは本来、重量物を吊り上げて移動させるための重機のはずです。なぜミリ単位の地道な移動作業を強いられるのですか! 名称を『ナッジ(ずらす)・マシーン』に変更すべきです!」
「欲しけりゃ従うしかないんだよ」
アリスは不満げに唸りながらも、再び100円玉を投入した。
負けず嫌いの彼女が、ここで撤退するはずがない。
◇ ◇ ◇
それから数分後。
戦況は泥沼化していた。
「くっ……! 重心が移動しません! 摩擦係数が計算と異なります!」
アリスは果敢に「ずらし」に挑戦していたが、苦戦していた。
頭を狙えば足が引っかかり、足を狙えば頭が重くて動かない。オオサンショウウオのヌメッとした質感が、皮肉にもアームを滑らせている。
「もう千円使ってるぞ。そろそろ諦めたらどうだ?」
「撤退はありえません! ここまで投資した以上、回収しなければ埋没費用が無駄になります!」
「典型的なギャンブラーの思考だな……」
アリスは額に汗を浮かべ、操作ボタンを睨みつけている。
だが、その操作は焦りからか、徐々に雑になっていた。
「貸してみ。俺がアシスト《支援》する」
見かねた俺は、アリスの隣に立った。
「……カケルに可能なのですか?」
「一人でやるよりマシだろ。俺がボタンを押す。アリスは横から見て、正確な位置を指示してくれ」
「二人羽織作戦ですか。……了解しました。私が司令塔を務めます」
俺はコントロールパネルの前に立ち、ボタンに手を添える。
アリスは筐体の側面に回り込み、ガラスに顔をくっつけるようにして位置を確認した。
「行きます。……X軸、前進」
俺はボタンを押し続ける。アームが右へ動く。
「……ストップ! そこです!」
俺は即座に指を離す。
アリスの指示はコンマ一秒の狂いもない。
「次、Y軸。……今です!」
アームが奥へ進み、ピタリと止まる。
狙うのは、オオサンショウウオの頭ではなく、尻尾の付け根あたり。そこを押して、反動で穴に落とす作戦だ。
「下降します。……接触!」
アームが降りる。
爪の片方が、狙い通り尻尾の隙間に突き刺さった。
「いけっ……!」
アリスが祈るように手を組む。
アームが閉じる。その力で、ぬいぐるみの体が大きく浮き上がった。
持ち上げるのではない。テコの原理で、ひっくり返すのだ。
「ちゃぶ台返しの要領で……」
「反転!」
アリスが叫ぶと同時に、オオサンショウウオの巨体がゴロンと回転した。
そのままバランスを崩し、取り出し口へと雪崩れ込む。
ゴトンッ!!
重い落下音が響き渡った。
「……!」
一瞬の静寂。
そして。
「……確保しました!」
アリスが歓声を上げ、取り出し口から巨大なぬいぐるみを引っ張り出した。
全長60センチはあるだろうか。抱きかかえると、アリスの上半身が隠れてしまうほどのサイズだ。
「やりましたカケル! 完全勝利です!」
「おう、上手くいったな」
アリスは興奮冷めやらぬ様子で、ぬいぐるみに頬ずりしている。
その拍子に、俺の方へ振り返った。
距離が近い。
抱きしめられたオオサンショウウオ越しに、アリスの上気した顔がある。
「……あ」
アリスも気づいたのか、少し動きを止めた。
周囲の喧騒が一瞬遠のく。
共同作業の熱が、まだ二人の間に残っていた。
「……ナイス、連携だったな」
「……はい。カケルの反応速度、悪くありませんでした」
アリスは少し照れくさそうに笑い、オオサンショウウオの頭をポンポンと撫でた。
◇ ◇ ◇
帰り道。
アリスは自分の体ほどもあるぬいぐるみを、大事そうに抱えて歩いていた。
すれ違う人々が「でかっ」「なんだあれ」と振り返るが、彼女は気にしていない。
「……重いです。質量を感じます」
「持とうか?」
「いいえ。これは戦利品ですから、自分の手で搬送します」
アリスは愛おしそうに、つぶらな瞳のサンショウウオを見つめた。
「カケル。この子の名前は『サンショウ・ウオ子』にします」
「……女の子だったのか。そんな単純な名前で怒らないのかウオ子は」
「シンプル・イズ・ベストです。識別子(ID)としては優秀です」
アリスはウオ子の手(前足?)を動かしながら、ふと夜空を見上げた。
「……それにしても、クレーンゲームとは残酷なシステムですね」
「なんでだよ。取れただろ?」
「結果的には。ですが……欲しいものほど、アームの力は弱く設定され、指の間からすり抜けていくように設計されています」
アリスは少し寂しげに言った。
「まるで、人生の縮図です。本当に大切なものは、力ずくでは掴めない。……少しずつ距離を詰め、タイミングを計り、計算と直感を総動員して、ようやく手に触れることができる」
「……ぬいぐるみで、そこまで悟るのか」
一理あるかもしれない。
アリスとの距離感も、まさにそんな感じだ。
焦って掴もうとすれば逃げられる。少しずつ、こうして日常を積み重ねていくしかない。
「でもまあ、一人で無理なら、協力すればいいってことだろ」
「……そうですね。共同戦線の有効性を確認しました」
アリスはウオ子を抱き直し、俺の隣を歩く。
その足取りは、行きよりも少しだけ軽やかに見えた。
今夜から、九条院家の豪奢なベッドには、マッチョなアザラシ軍団に加えて、巨大なオオサンショウウオが鎮座することになる。
アリスの部屋がどんどんカオスになっていくのが心配だが、アリスが笑ってるならそれでいいか。
次回 第32話:テスト勉強再び。『赤点』は、情熱の赤ではありません




