第29話:生徒会選挙は『公約』という名の『絵空事』を競う大会ですか?
4月半ば。新クラスにも慣れてきた頃、校内は独特の浮ついた空気に包まれていた。
『生徒会役員選挙』の公示だ。
廊下の壁という壁には、立候補者たちのポスターが貼られている。
『学校を変える!』
『清き一票を!』
『目安箱の設置!』
そんなキャッチコピーが並ぶ中、アリスは腕を組み、険しい顔でポスターを検分していた。
「……カケル。このポスターには、具体的な数値目標(KPI)が記載されていません」
「ポスターだからな。名前と顔を売るのが目的なんだよ」
「『学校を明るくします』……? 照明設備の照度を上げるということですか? それともLED化による経費削減の提案ですか? 定義が曖昧すぎます」
「雰囲気だよ、雰囲気」
アリスは納得がいかない様子だ。
彼女にとって「組織の長」とは、明確なビジョンと実務能力を持つ者が就くべきポストなのだろう。
「それに、このフォント選びも戦略ミスです。信頼性を訴求するなら明朝体、親しみやすさならゴシック体……。ポップ体を使用するなど、有権者を舐めているとしか思えません」
「手作り感があっていいじゃん……」
(……アリスに見せてやりたいな)
俺はふと、脳内のアーカイブを検索した。
アニメや漫画の世界には、学園を軍隊のように支配したり、賭博で序列を決めたり、抜刀して戦ったりする『絶対権力を持つ生徒会』がよく出てくる。
あれを見せたら、彼女はどんな感想を持つのだろうか。
案外「これぞ理想の統治機構です!」と目を輝かせるかもしれない。
「……カケル? 何やら不穏な笑みを浮かべていますが」
「いや、なんでもない。選挙って大変だなと思ってさ」
◇ ◇ ◇
教室へ戻る途中、廊下で人だかりができていた。
一人の男子候補者が、すれ違う生徒たちに笑顔で何かを配っている。
「お願いしまーす! 清き一票をー!」
手渡されているのは、手作りのビラと、小さな飴玉だ。
それを見た瞬間、アリスの目が鋭く光った。
「……現行犯です」
「は?」
「見ましたかカケル。今、彼は有権者に『金品』を供与しました。公職選挙法違反、買収工作の疑いがあります!」
「落ち着け! ただの飴だろ! 学校の選挙に公選法は適用されねーよ!」
「甘いです、飴だけに。……小さな利益供与が、やがて巨大な汚職構造へと繋がるのです。直ちに選挙管理委員会へ告発を――」
「ドサクサにしょーもないことを言うのはやめろ! あと騒ぎを起こすんじゃない!」
正義感の暴走するお嬢様を止めるのに一苦労だ。
さらに放課後。
アリスは生徒会室の前に設置された『目安箱』の前で、分厚い封筒を手に佇んでいた。
「何してんだ?」
「『目安箱の設置』を公約に掲げている候補者がいましたので、試験的に運用してみようかと」
「……その封筒の中身は?」
「『銀杏高校・構造改革案』です。A4用紙で15枚ほど。老朽化した空調設備の刷新、および全教室へのAIカメラ導入による出欠確認の自動化を提案します」
「重いよ! 目安箱が物理的に詰まるわ!」
アリスの熱量は、方向性を間違えて加速していた。
◇ ◇ ◇
そして7日後。
選挙運動期間が終わり、今日は立会演説会の日だ。
体育館に全校生徒が集まる……のではなく、教室のプロジェクターで、放送室からの配信を見るスタイルだ。
スクリーンには、緊張した面持ちの候補者たちが次々と映し出される。
『えー、私が生徒会長になった暁には……校則を見直し、スマホの持ち込み制限を緩和します!』
『学食のメニューに、デザートビュッフェを追加します!』
『私服登校できる日を作ります!』
(私服登校は止めてくれ。制服の方が何も考えなくていいから楽なんだよ)
耳触りの良い公約が並ぶ。
クラスの生徒たちは「おー!」「いいじゃん!」と盛り上がっているが、俺の隣からは氷点下の視線が注がれていた。
「……詐欺です」
アリスがボソリと呟いた。手元のノートには、何やら複雑な計算式が書き殴られている。
「学食にビュッフェを導入するための予算を試算しました。食材費、廃棄ロス、専用什器のリース代……。現状の生徒会予算では到底賄えません。実現するには、他の部活動費を一律30%カットする必要があります」
「リアルな数字を出すなよ……」
「財源の裏付けもない『バラマキ政策』です。有権者を甘い言葉で釣る、ポピュリズムの極みですね」
アリスは呆れ果てていた。
そこへ、前の席の宮本さんが振り返った。
「ねえねえ二人とも、誰に入れる? 私は中村先輩かなー」
「ほう。宮本さん、その選択の根拠は?」
アリスが身を乗り出した。
宮本さんは少し照れくさそうに笑った。
「え? だって中村先輩、サッカー部のエースでイケメンだし。話し方も爽やかだったから」
「……!」
アリスが頭を抱えた。
「顔面偏差値……。それが指導者を選ぶ基準になるのですか……?」
(顔面偏差値は知ってるのな)
「え、ダメかな?」
「民主主義の欠陥を目の当たりにしました。……なぜ人類は、優秀な人間ではなく『好感度の高い人間』を選んでしまうのでしょう」
アリスは真剣に悩んでいた。
彼女の理想は、きっと「偏差値と事務処理能力のスコアを開示し、上位者を自動的に就任させるシステム」なのだろう。
だが、ここは学校だ。
「いいか九条院。生徒会ってのは行政機関じゃなくて、『みんなの代表』を選ぶお祭りなんだよ。人気があるってのは、人をまとめる才能の一つだ」
「……非合理的ですが、集団心理としては理解できます。しかし、それでは学校の運営効率が――」
アリスはブツブツ言いながらも、宮本さんの「イケメンだから」という意見をノートに記録していた。
サンプルデータとしては貴重らしい。
◇ ◇ ◇
さらに7日が経過し、投票日当日。
即日開票され、放課後には結果が張り出された。
当選したのは、やはりイケメンで「デザートビュッフェ」を掲げた中村先輩だった。
公約が実現されるかは怪しいが、まあ、生徒たちは「新しい風」を選んだわけだ。
「……結果が出ましたね」
帰り道。アリスは少し疲れた顔をしていた。
「予想通り、人気投票の結果となりました。あの公約が実行不可能なことは、計算すれば明らかなのに」
「まあ、一年任せてみて、ダメなら次は選ばれないさ。それが選挙だ」
「悠長ですね。……もし私が生徒会長なら、即座に不採算部門(弱小部活)を廃止し、校内インフラへの投資を優先させ、銀杏高校の偏差値を5ポイント上げる改革を断行するのですが」
アリスの目がマジだった。
俺は背筋が寒くなった。
「……アリスが生徒会長やったら、学校が超効率化されるけどディストピアになりそうだな」
「いいじゃないですか効率化! 合理的で快適な学校になりますよ?」
「それを『管理社会』って言うんだよ! 俺たちはもっと適当に生きたいの!」
アリスは不思議そうに首を傾げた。
やはり、このお嬢様に権力を持たせてはいけない。
アニメに出てくる「絶対支配の生徒会長」に一番近いのは、実は隣に居るこいつなんじゃないか。
そんなことを考えながら、俺は話題を変えた。
「ま、選挙も終わったし。……腹減ったな」
「そうですね。脳の糖分が不足しています」
「今日はコンビニの『増量キャンペーン』も終わってるし、どこ行くか」
俺たちは日常に戻っていく。
誰が会長になろうと、俺たちの放課後は変わらない。
くだらない議論をして、安くて美味いものを食べる。
それが、俺たちにとっての「清き一票」よりも大事な時間だった。
「そうだ、アリス。選挙で熱くなったことだし、もっと『熱い』ものを食いに行くか」
「熱いもの……? おでんですか?」
「いや、もっと刺激的なやつだ。……赤いスープの、悪魔みたいなラーメン屋があるんだよ」
俺がニヤリと笑うと、アリスは怪訝な顔をした。
まだ彼女は知らない。
世の中には、痛みすら快感に変える「激辛」という文化があることを。
次回 第30話:真っ赤なスープは、生物に対する『警告色』ではありませんか?




