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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
二年生編

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27/50

第27話:美容院で『お任せ』にするのは、思考放棄ではありませんか?

 昼休み。

 俺が伸びてきた前髪を鬱陶しそうにかき上げていると、隣のアリスが定規を取り出して俺の顔に当ててきた。


「……カケル。視界が遮られています」

「危ないな、何すんだよ」

「計測しました。前髪が眼球に到達するまであと2ミリ……。散髪を推奨します」

「ああ、そろそろ行くか。今日の帰りにでも」


 俺が適当に答えると、アリスはスマホを取り出した。


「では、私の行きつけのサロン『ダ・ヴィンチ』を予約します。カリスマ美容師のレオナルド(指名料:時価)なら、カケルの頭蓋骨の形状に合わせて最適解を出してくれます」

「値段の想像がつかないよ! 俺はいつもの『1000円カット』で十分だ」

「……1000円? シャンプー代にもならないのでは?」

「総額だ。今は物価高で1200円になったけどな」


 アリスはきょとんとした。

 どうやら彼女の辞書に「激安カット」という概念はないらしい。


「興味深いです。1200円で人間の外見を整える……。その採算度外視のシステム、見学を希望します」

「見学って……まあ、知り合いの店だからいいけど」


 ◇ ◇ ◇


 放課後。

 俺たちは商店街の外れにある、こぢんまりとした店舗『カットハウス・ミキ』の前にいた。

 店頭には、赤・黄・青のランプが光る信号機のような看板が立っている。


「……カケル。ここは交通管制センターですか?」

「違う。混雑状況を示してるんだよ。青だから待ち時間なし。突入だ」


 ドアを開けると、カランコロンとベルが鳴った。

 中は理容椅子が二つだけの、シンプルな内装だ。


「カケルくん、いらっしゃい。久しぶりね」


 店主のミキさん(母さんの学生時代からの友人)が、ハサミを持ったまま笑顔で迎えてくれた。


「ミキさん、今日もお願いします」

「はいよ。……あら?」


 ミキさんの視線が、俺の後ろにいるアリスに止まる。

 そして、ニヤニヤと俺を見た。


「カケルくん、彼女できたの!?」

「ち、違うよ! ちょっと変わったクラスメイトだ。1000円カットの概念を知らないから見学したいんだって」


 俺が慌てて否定すると、アリスは物珍しそうに店内をキョロキョロと見回していた。


「……ここが、激安の殿堂……」

「概念? まあ、今は他にお客さんも居ないから大丈夫だよ。そこのソファで見ててね」

「訳わかんないことを言うかもしれないけど気にしないでね」

「面白そうな子ね」


 ミキさんは快く承諾してくれた。

 俺は券売機で1200円のチケットを買い、席に座る。


「……カケル。散髪の権利を食券のように購入するのですね。合理的です」

「アリスが好きそうなシステムだろ?」


 アリスは待合用のソファに腰を下ろした。

 そして、横にある本棚に気づき、眉をひそめた。


「……これは?」


 そこには、古の名作コミック『ゴルゴル007』や、数年前からある『年刊少年ダウン』、そしてなぜか『家庭の医学』が乱雑に並べられている。


「待合用の図書コーナーだよ。自由に読んでいいぞ」

「……紙が茶色く変色しています。これは古文書アーカイブですか?」

「ただの古い漫画だよ!」

「ラインナップに統一性がありません。店主の趣味嗜好がカオス理論のように混在しています……」


 アリスはおっかなびっくり『ゴルゴル007』を手に取り、パラパラとめくり始めた。

 どうやら主人公の眉毛の角度が気になっているらしい。


「で、今日はどうする?」


 クロスを巻かれながら、ミキさんが問う。

 俺はいつものように答えた。


「全体的に短めで。あとは『お任せ』で」

「オッケー」


 その瞬間、背後から鋭い視線を感じた。

 鏡越しに見ると、アリスが信じられないものを見るような顔をしている。


「……正気ですか?」


 声にならないような声だった。


「設計図もなしに施工を開始するなんて! 『お任せ』とは思考放棄と同義です! 自分のアイデンティティを他人に丸投げする暴挙では!?」


 そんなアリスの懸念をよそに、施術は始まった。

 チョキチョキチョキ!

 迷いのないハサミ捌きとバリカン捌き。無駄な会話は一切ない。

 ミキさんは熟練の職人芸で、俺の伸びた髪をバサバサと切り落としていく。


「……早すぎます」


 アリスが小声で呟く。


「カウンセリングは? 紅茶のサービスは? シャンプーによるリラクゼーションは? ……これは美容ではありません、工業的な『毛髪除去作業』です」

「アリスの好きな効率的な行動、だろ?」

「効率……それはたしかに……でも……」


 そして、十分後。

 カットが終了した。


「はい、終わり。じゃあ吸うわよー」

「お願いします」


 ミキさんが天井からぶら下がっている太いホースを下ろした。

 先端にはブラシがついている。

 スイッチを入れると、シュゴオオオオオ! という轟音が響いた。


「ヒィッ!?」


 アリスが椅子から飛び退いた。


「カ、カケルが……脳みそごと吸われています!!」

「吸われてねえよ! 切った髪を吸い取ってるんだよ!」

「あれは拷問器具ですか!? それとも最新のサイバー・ヘッドスパ!?」

「ただの掃除機だよ! シャンプーの時間短縮だ!」


 アリスは顔面蒼白で、俺が掃除機に頭を吸われる光景を凝視していた。

 そんなに怖いか、これ。


 俺が席を立つと、ミキさんが床に落ちた髪の毛をほうきで掃き集めた。

 それを見たアリスが、またしても神妙な顔をする。


「……大量のDNAサンプルです」

「ゴミだよ」

「これを回収し、闇市場に流すことで利益を得ているのでは……?」

「んなわけあるか! 想像力が豊かすぎるぞ!」


 ◇ ◇ ◇


 店を出た俺は、頭をさすりながら爽快感を味わっていた。


「あースッキリした」

「……生還、おめでとうございます」


 アリスはまだ少し怯えていたが、俺の頭をじっと観察した。


「……悔しいですが、清潔感は担保されています。所要時間十五分。時給換算でのコストパフォーマンスは驚異的です」

「だろ? 早くて安いが正義なんだよ」

「ですが……」


 アリスが俺の前に立ちふさがった。


「仕上げ《フィニッシュ》が甘いです。ワックス等の整髪料によるセットがされていません」

「あー、そこはセルフだからな。帰ってからやるよ」

「いいえ。今やります」


 アリスは鞄から、高級そうなヘアワックスを取り出した。

 なぜ持っている。


「ちょっと屈んでください」

「えっ、ここで?」

「動かないで。……素材ベースは良いのですから、少しの手間で化けるはずです」


 アリスの白くて細い指が、俺の髪に触れる。

 至近距離。真剣な眼差し。

 甘い香りがして、俺は思わず息を止めた。


「……ふふ。若いっていいわねぇ」


 背後から、見送りに出てきたミキさんの冷やかすような声が聞こえる。

 恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。


「……完成です」


 数分後。

 アリスは満足げに俺の顔を覗き込んだ。


「うん。やはり前髪の分け目は7:3の比率が黄金比です。……この髪型は、私専用のカスタムということで」

「……恥ずかしいからやめろ!」


 俺は赤くなった顔を隠すように、早足で歩き出した。

 後ろから、アリスの楽しそうな足音がついてくる。


 1200円のカットと、プライスレスなヘアセット。

 まあ、悪くない放課後だったかもしれない。

第28話:『シャトルラン』は、持久走ではなく「往復するだけの苦行」ではありませんか?

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