第27話:美容院で『お任せ』にするのは、思考放棄ではありませんか?
昼休み。
俺が伸びてきた前髪を鬱陶しそうにかき上げていると、隣のアリスが定規を取り出して俺の顔に当ててきた。
「……カケル。視界が遮られています」
「危ないな、何すんだよ」
「計測しました。前髪が眼球に到達するまであと2ミリ……。散髪を推奨します」
「ああ、そろそろ行くか。今日の帰りにでも」
俺が適当に答えると、アリスはスマホを取り出した。
「では、私の行きつけのサロン『ダ・ヴィンチ』を予約します。カリスマ美容師のレオナルド(指名料:時価)なら、カケルの頭蓋骨の形状に合わせて最適解を出してくれます」
「値段の想像がつかないよ! 俺はいつもの『1000円カット』で十分だ」
「……1000円? シャンプー代にもならないのでは?」
「総額だ。今は物価高で1200円になったけどな」
アリスはきょとんとした。
どうやら彼女の辞書に「激安カット」という概念はないらしい。
「興味深いです。1200円で人間の外見を整える……。その採算度外視のシステム、見学を希望します」
「見学って……まあ、知り合いの店だからいいけど」
◇ ◇ ◇
放課後。
俺たちは商店街の外れにある、こぢんまりとした店舗『カットハウス・ミキ』の前にいた。
店頭には、赤・黄・青のランプが光る信号機のような看板が立っている。
「……カケル。ここは交通管制センターですか?」
「違う。混雑状況を示してるんだよ。青だから待ち時間なし。突入だ」
ドアを開けると、カランコロンとベルが鳴った。
中は理容椅子が二つだけの、シンプルな内装だ。
「カケルくん、いらっしゃい。久しぶりね」
店主のミキさん(母さんの学生時代からの友人)が、ハサミを持ったまま笑顔で迎えてくれた。
「ミキさん、今日もお願いします」
「はいよ。……あら?」
ミキさんの視線が、俺の後ろにいるアリスに止まる。
そして、ニヤニヤと俺を見た。
「カケルくん、彼女できたの!?」
「ち、違うよ! ちょっと変わったクラスメイトだ。1000円カットの概念を知らないから見学したいんだって」
俺が慌てて否定すると、アリスは物珍しそうに店内をキョロキョロと見回していた。
「……ここが、激安の殿堂……」
「概念? まあ、今は他にお客さんも居ないから大丈夫だよ。そこのソファで見ててね」
「訳わかんないことを言うかもしれないけど気にしないでね」
「面白そうな子ね」
ミキさんは快く承諾してくれた。
俺は券売機で1200円のチケットを買い、席に座る。
「……カケル。散髪の権利を食券のように購入するのですね。合理的です」
「アリスが好きそうなシステムだろ?」
アリスは待合用のソファに腰を下ろした。
そして、横にある本棚に気づき、眉をひそめた。
「……これは?」
そこには、古の名作コミック『ゴルゴル007』や、数年前からある『年刊少年ダウン』、そしてなぜか『家庭の医学』が乱雑に並べられている。
「待合用の図書コーナーだよ。自由に読んでいいぞ」
「……紙が茶色く変色しています。これは古文書ですか?」
「ただの古い漫画だよ!」
「ラインナップに統一性がありません。店主の趣味嗜好がカオス理論のように混在しています……」
アリスはおっかなびっくり『ゴルゴル007』を手に取り、パラパラとめくり始めた。
どうやら主人公の眉毛の角度が気になっているらしい。
「で、今日はどうする?」
クロスを巻かれながら、ミキさんが問う。
俺はいつものように答えた。
「全体的に短めで。あとは『お任せ』で」
「オッケー」
その瞬間、背後から鋭い視線を感じた。
鏡越しに見ると、アリスが信じられないものを見るような顔をしている。
「……正気ですか?」
声にならないような声だった。
「設計図もなしに施工を開始するなんて! 『お任せ』とは思考放棄と同義です! 自分のアイデンティティを他人に丸投げする暴挙では!?」
そんなアリスの懸念をよそに、施術は始まった。
チョキチョキチョキ!
迷いのないハサミ捌きとバリカン捌き。無駄な会話は一切ない。
ミキさんは熟練の職人芸で、俺の伸びた髪をバサバサと切り落としていく。
「……早すぎます」
アリスが小声で呟く。
「カウンセリングは? 紅茶のサービスは? シャンプーによるリラクゼーションは? ……これは美容ではありません、工業的な『毛髪除去作業』です」
「アリスの好きな効率的な行動、だろ?」
「効率……それはたしかに……でも……」
そして、十分後。
カットが終了した。
「はい、終わり。じゃあ吸うわよー」
「お願いします」
ミキさんが天井からぶら下がっている太いホースを下ろした。
先端にはブラシがついている。
スイッチを入れると、シュゴオオオオオ! という轟音が響いた。
「ヒィッ!?」
アリスが椅子から飛び退いた。
「カ、カケルが……脳みそごと吸われています!!」
「吸われてねえよ! 切った髪を吸い取ってるんだよ!」
「あれは拷問器具ですか!? それとも最新のサイバー・ヘッドスパ!?」
「ただの掃除機だよ! シャンプーの時間短縮だ!」
アリスは顔面蒼白で、俺が掃除機に頭を吸われる光景を凝視していた。
そんなに怖いか、これ。
俺が席を立つと、ミキさんが床に落ちた髪の毛をほうきで掃き集めた。
それを見たアリスが、またしても神妙な顔をする。
「……大量のDNAサンプルです」
「ゴミだよ」
「これを回収し、闇市場に流すことで利益を得ているのでは……?」
「んなわけあるか! 想像力が豊かすぎるぞ!」
◇ ◇ ◇
店を出た俺は、頭をさすりながら爽快感を味わっていた。
「あースッキリした」
「……生還、おめでとうございます」
アリスはまだ少し怯えていたが、俺の頭をじっと観察した。
「……悔しいですが、清潔感は担保されています。所要時間十五分。時給換算でのコストパフォーマンスは驚異的です」
「だろ? 早くて安いが正義なんだよ」
「ですが……」
アリスが俺の前に立ちふさがった。
「仕上げ《フィニッシュ》が甘いです。ワックス等の整髪料によるセットがされていません」
「あー、そこはセルフだからな。帰ってからやるよ」
「いいえ。今やります」
アリスは鞄から、高級そうなヘアワックスを取り出した。
なぜ持っている。
「ちょっと屈んでください」
「えっ、ここで?」
「動かないで。……素材は良いのですから、少しの手間で化けるはずです」
アリスの白くて細い指が、俺の髪に触れる。
至近距離。真剣な眼差し。
甘い香りがして、俺は思わず息を止めた。
「……ふふ。若いっていいわねぇ」
背後から、見送りに出てきたミキさんの冷やかすような声が聞こえる。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。
「……完成です」
数分後。
アリスは満足げに俺の顔を覗き込んだ。
「うん。やはり前髪の分け目は7:3の比率が黄金比です。……この髪型は、私専用のカスタムということで」
「……恥ずかしいからやめろ!」
俺は赤くなった顔を隠すように、早足で歩き出した。
後ろから、アリスの楽しそうな足音がついてくる。
1200円のカットと、プライスレスなヘアセット。
まあ、悪くない放課後だったかもしれない。
第28話:『シャトルラン』は、持久走ではなく「往復するだけの苦行」ではありませんか?




