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概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
二年生編

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第26話:『雑談』のスキルツリーを解放するには、単語帳が必要ですか?

次回 第27話:美容院で『お任せ』にするのは、思考放棄ではありませんか?

 2年生になって1週間。

 クラスの雰囲気は徐々に固まりつつあるが、九条院アリスの周囲だけは、相変わらず「聖域サンクチュアリ」のような静けさが漂っていた。


 休み時間。アリスは真剣な顔で、小さなカードの束をめくっていた。


「……カケル。単語帳を作ってきました」

「単語? 英単語か?」

「いいえ。『日常会話チャット』用のデッキです」


 アリスが見せてきた単語帳には、達筆な文字でこう書かれていた。


 『消しゴム貸して?』

 『シャーペン替芯ある?』

 『プリントどこに提出?』


「……日本語の勉強してる留学生かよ」

「クラスメイトとの接触機会を増やすための、定型文テンプレートです」


 アリスは真面目だ。


「しかし、シミュレーションをしていて問題が発生しました。……私は、消しゴムもシャーペンの芯も、予備を含めて完璧に所持しているのです」

「まあ、そうだろうな」

「持っているのに『貸して』と頼む……。これは虚偽申告です。もし相手に『持ってるじゃん』とバレた場合、信用が低下する危険性リスクが高いように思います」

「難しく考えすぎだろ。それは本当に忘れたときにだけ言おうな」


 アリスは「了解」と頷き、単語帳をパラパラとめくった。


「では、予行演習リハーサルを行います。カケル、相手役をお願いします」

「おう、いいぞ」


 アリスはキリッとした顔で一枚のカードを引き、俺の目の前に突きつけた。

 そして、抑揚のない機械的な声で言った。


「……『ネエ、宿題、オワッタ?』」

「……」

「……」

「怖いよ! なんで無表情なんだよ! 借金の取り立てか!」


 アリスは眉をひそめた。


表情筋フェイシャルの制御が甘かったですか。では、笑顔を付加アドオンします」


 アリスは口角を無理やり引き上げ、目が笑っていない笑顔を作った。


「『ねえ、宿題、終わった?(ニチャァ)』」

「もっと怖い! 終わってなかったら殺されそうだわ!」

「難しいですね……。自然な笑顔の出力には、まだ調整が必要です」


 アリスは悔しそうに単語帳を閉じた。

 前途多難だ。


「……カプセルトイで出会った少年のことを覚えていますか?」

「ああ、トレードした子な」

「彼のように、相手が欲しがっている物を渡せば、取引は成立します。それは『物』ではなく『言葉』でもいいはずです」


 アリスは人差し指を立てた。


「相手の欲しがっている言葉を渡す。それがコミュニケーションの第一歩となるはずです」


(……すごく、それっぽいことを言ってるな)


「でも、相手の欲しがっている言葉ってどう判断するんだ?」

観察オブザーベーションです」


 アリスは鋭い視線を、前の席の女子生徒に向けた。


「例えば、私の前の席の宮本さん。彼女は昨日と髪型が違います。毛先を2センチほどカットし、前髪の分け目を3ミリ右に変えています」

「細かいな!」

「それを指摘することで『私はあなたのことを注意深く監視していますよ』というサインを送ることができます」

「言い方! 『監視』じゃなくて『気にかけてる』だろ! ストーカーみたいになってるぞ!」


 アリスはきょとんとした。


「そうですか? 対象の変化を記録するのは、好意の表れでは?」

「まあ、そうかも知れないけど……普通はそこまで細かく見ないって」

「私は見ていますよ」


 アリスは当然のように言って、じっと俺の顔を見た。


「カケル。貴方は今日、寝不足ですね? 瞬きの回数が平均より15%多く、右目の下にコンシーラーで隠しきれないクマの色素沈着が見られます」

「うっ」

「それに、制服の第二ボタンの糸が緩んでいます。昨日までは張力テンションが正常でした。」

「……観察眼が鋭すぎるんだよ」


 俺は思わず襟元を隠した。

 嬉しいような、怖いような。やはり、実践にはまだ壁があるようだ。


 ◇ ◇ ◇


 授業中。現代文の時間。

 黒板には、先生の板書がびっしりと書かれている。


 カリカリカリカリ……!


 俺は必死にシャーペンを走らせていた。

 先生が書く文字、補足説明、全部書き写さないと気が済まない。テスト前に何が重要になるか分からないからだ。


 ふと横を見ると、アリスの手は止まっていた。

 彼女のノートは、スカスカだ。

 重要な単語と、それらを繋ぐ矢印、そして簡潔な要約が数行あるだけ。

 まるでビジネス書の要約サイトのようだ。


「……カケル。なぜ黒板を丸写しにするのですか?」

「え? いや、全部書かないと不安だろ」

「非効率です。板書はあくまで教師の思考ログに過ぎません。重要なのは『構造』と『結論』です。情報を圧縮して記録すべきです」

「それができりゃ苦労しねえよ……」


(この天才め)


 俺が涙目で書き写していると、前の席の女子――宮本さんが、困ったように振り返った。


「あ、あの……」

「!」


 アリスがビクッと反応した。

 宮本さんは、少しおずおずとアリスを見た。


「九条院さん、だよね? さっき先生が言ってたここの要約、聞き逃しちゃって……。ノート、見せてもらえないかな?」

「……!」


 来た。接触機会チャンスだ。

 アリスの瞳孔が開く。

 『欲しがっているノート』を渡す絶好の機会。


「……構いません。データ共有を許可します」


 アリスはノートを差し出した。ここまでは完璧だ。

 だが、そこからが長かった。


「ここの記述は、作者の意図を論理的に再構築したものです。前提条件AとBから導き出される結論C……。さらに、背景にある社会情勢コンテキストを加味すると、この感情は『悲しみ』ではなく『諦念』と定義されます。補足として、関連文献のデータも追記しておきましたので――」


 アリスの口から、機関銃のように解説が放たれる。

 宮本さんの目が白黒し始めた。


「あ……いや……そこまでじゃ……えっと……」

「さらに、この行間のメタファーについては――」

「あ、アリス! ストップ!」


 俺はたまらず割って入った。


「宮本さんは『ここ』が知りたいだけだから! 学術論文の発表会じゃないんだから!」

「……え?」

「ごめんな、宮本さん。九条院のやつ、張り切りすぎて」

「あ、ううん! ありがとう九条院さん! 字、すっごく綺麗だね!」


 宮本さんはアリスのノートを写メに撮り、「助かったー」と笑顔を見せた。


「……また、見せてもらってもいい?」

「……はい。いつでも、アクセスしてください」


 アリスは少し呆然として、それから小さく頷いた。

 宮本さんが前を向いた後、アリスは俺の方を見て、小声で言った。


「……カケル。今の取引トランザクションは、成功ですか?」

「大成功だよ。次は宮本さんの髪型が変わったことをマイルドに指摘してあげたら?」

「……挑戦チャレンジ……してみます」


 アリスは手元の単語帳に、新しいページを書き加えた。

 『ノート見せて』『字が綺麗』『髪型変わったね』。

 

 どうやら彼女の辞書に、少しだけ生きた言葉が増えたようだ。

 そして俺は、家に帰ったらボタンを付け直そうと心に誓った。

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