第23話:クラス替え。『隣の席』になる確率は、天文学的数字ではありません
4月。桜が散り、新緑が芽吹き始める季節。
俺たちは二年生になった。
始業式の朝、昇降口のクラス分け掲示板の前は、生徒たちの悲喜こもごもで溢れかえっていた。
俺、佐藤カケルも人波をかき分け、自分の名前を探す。
「えーっと、佐藤、佐藤……あった。2年A組」
そして、俺は無意識に――いや、確信を持ってその「隣」を見た。
出席番号順ではない。名簿の並びとして、俺の名前の真横に、その名前はあった。
『九条院アリス』
(……やっぱりな)
俺は小さく息を吐いた。驚きはない。
特定の人間と二年連続で同じクラスになり、あまつさえ席が前後や隣になる確率。
計算するまでもない。天文学的な数字だ。
(また席が隣だ。となると、俺のことも知られているのか)
いや、よく考えりゃそりゃそうだろ。
あの九条院家が、大事な令嬢と連日遊び回っている男の素性を調べないわけがない。
映画館に行った時も、俺のボロアパートにアリスを入れた時も、九条院家からは何もアクションはなかった。
黒服に刺されることも、東京湾に沈められることもなかった。
(……許されている、のか?)
俺のような貧乏人でも、アリスの隣にいることは「害なし」と判断されたのだろうか。
だとすれば……。
この作為的なクラス分けは、九条院家からの無言のメッセージ――「引き続き、お守りを頼む」ということかもしれない。
「……ありがたい話だよ、まったく」
俺は口元を緩め、新しい教室へと向かった。
◇ ◇ ◇
2年A組の教室へ向かう廊下で、俺はアリスと合流した。
「ごきげんよう、カケル。無事、同じクラスに所属できたようですね」
「ああ。奇跡的な確率だな」
「ええ。神の采配、あるいは『人為的な調整』に感謝します」
アリスは何食わぬ顔で言った。やっぱりこいつ、分かっててやってるな。
俺は彼女の姿を一瞥した。黒髪ロングの清楚な佇まい。制服の着こなしも完璧だ。
「そういえば、高校デビューはどうしたんだ? 髪染めるとか言ってただろ」
「検討しましたが、校則違反による内申点低下のリスクが見合いませんでした。よって、作戦を変更しました」
アリスは持っていた風呂敷包みを、どさりと持ち上げた。
「『物質的な配布による好感度買収作戦』です」
「……なんだそれ」
「中身は『ビヨンド・エルメ』のマカロンです。クラス全員分、40個用意しました」
俺はのけぞった。一個数百円はする高級洋菓子だ。それを40個……数万円が飛んでいる。
「挨拶代わりにこれを配ります。糖分を与えられて怒る人間はいません。餌付けは外交の基本です」
「重いよ! 初手でマカロン配る女子高生とか、逆に壁ができるわ!」
「大丈夫です。友好の証として受け入れられるはずです」
自信満々のアリスと共に、教室に入る。
ホームルームが始まり、自己紹介の時間がやってきた。
担任は、アリスの家庭の事情を知らされているのか、彼女の名前を呼ぶ声が少し震えていた。
「つ、次、九条院さん」
アリスが席を立ち、黒板の前に立つ。
教室中の視線が集まる。その美貌に、男子たちがどよめく。
アリスは完璧な所作で一礼し、口を開いた。
「九条院アリスです。趣味は……」
一拍置いて、彼女は真顔で言い放った。
「『マジ卍なスポットの探索です」
シーン……。
教室が凍りついた。
時が止まったかのような静寂。
死語以前に、使い方が合っているのかすら分からない。何より、深窓の令嬢が真顔で言う破壊力が凄まじすぎた。
「……」
「……」
アリスが「あれ? ウケない?」という顔で小首を傾げる。
やばい。このままでは「変な人」で確定してしまう。
(もう手遅れにも思うが)
「あー! 九条院は冗談が好きでさ! ネットスラングにハマってるんだよな! よろしく!」
たまらず俺が助け舟を出すと、クラス中が「あ、ああ……冗談か」「びっくりしたー」と安堵の息を漏らした。
アリスは不服そうに席に戻った。
◇ ◇ ◇
昼休み。
結局、マカロンを配るタイミングを完全に逸したアリスは、自分の席で風呂敷包みを抱えて落ち込んでいた。
「……高校デビューは、初日から座礁しました」
「だから言ったろ。いきなり『マジ卍』はハードルが高いって」
「なぜです? 最新の流行語だと検索結果に出ましたが」
「その検索エンジン、五年くらい更新されてないぞ、多分」
俺は風呂敷の中のマカロンを一つ摘んだ。
「マカロンって食べたことないんだよな。これ、一つ貰っていいか?」
「……どうぞ。在庫処分です」
俺は高級マカロンを口に放り込んだ。
サクッ。
軽い食感の後に、濃厚なクリームの甘みが広がる。
「……っ!」
驚いた。
俺の中のマカロンのイメージは、パサパサしていて砂糖の味しかしない、色のついた砂糖菓子だった。
全く違った。
生地はしっとりと柔らかく、アーモンドの香ばしさとフルーツの酸味が絶妙なバランスで融合している。
(ボソボソしてそうなイメージだったのに……意外としっとりしてて、めちゃくちゃ美味い)
「……うめぇ。さすが一個数百円」
「でしょう? 市場価値に見合う味です。なのに、なぜ配れなかったのでしょう」
「アリス」
俺は感動を飲み込み、諭すように言った。
「友達作りは『等価交換』や『貢物』じゃないんだよ。高い菓子を配るより、『昨日のドラマ見た?』とか『消しゴム貸して』とか、そういう些細な貸し借りから始まるんだ」
「……消しゴムの貸与契約ですか?」
「そう。金じゃなくて、共感で繋がるんだよ」
アリスは少し考え込み、手帳を取り出してメモを取り始めた。
「……『貢物よりも共感』。高度な交渉術です。マニュアル化が必要です」
「難しく考えすぎだっつーの」
まあ、前途多難ではあるが。
俺は隣の席のアリスを見た。
窓から差し込む春の日差しが、彼女の黒髪を照らしている。
「でも、カケルが隣でよかったです」
アリスがふと、顔を上げて微笑んだ。
「貴方がいれば、こうして私の誤った出力を翻訳してもらえますから」
「へいへい。今年も世話係継続かよ」
文句を言いながらも、俺は内心で安堵していた。
九条院家の圧力だろうが、天文学的な偶然だろうが構わない。
今年も一年、こいつの隣で、このズレた日常を見守れることが嬉しかった。
「さあ、2年A組の攻略を開始しますよ、カケル」
「おう。お手柔らかにな」
俺たちの二年生編は、大量の余ったマカロンの消費から始まった。
次回 第24話:カプセルトイの『ダブり』は、不具合ではありません




