第20話:『高校デビュー』は入学時だけとは限りません。二年生からの逆襲です
期末テストが終わり、俺たちは解放感に包まれていた。
結果は……まあ、アリスのスパルタ教育のおかげで、赤点は回避できた。
アリスは当然のように学年一位。
「歴史の出題傾向に不満はありますが、点数を取るゲームとしてはイージーでした」とのことだ。
そして三月中旬。
公立銀杏高校の卒業式が行われた。
俺たち1年B組は、体育館の後ろの方でパイプ椅子に座り、知らない先輩たちが泣きながら答辞を読むのを眺めていた。
部活に入っていない俺たちにとって、先輩との接点は皆無だ。
正直、眠気との戦いでしかなかった。
「……カケル。この儀式に何の意味が?」
「しっ、静かに。雰囲気を味わうもんだよ」
「非生産的です。卒業証書授与のプロセスを短縮すれば、あと四十分は短縮可能です」
アリスは小声でブツブツと言いながら、周囲を見渡した。
「それに、なぜ彼らは泣いているのですか? 現代にはSNSという恒久的な接続手段があります。今生の別れでもあるまいし、感情のコストパフォーマンスが悪すぎます」
「理屈じゃねえんだよ。『区切り』ってやつに弱いのが日本人なんだ」
「……ふむ。集団催眠の一種として記録しておきます」
隣で冷徹な分析をするアリスをなだめつつ、式はようやく終了した。
◇ ◇ ◇
教室に戻り、最後のホームルーム。
担任の話が終わると、クラスの空気が一気に華やいだ。
「みんなー! このあと駅前のカラオケ砦で打ち上げやるけど、行く人ー!」
クラスの中心人物たちが声を上げる。
テストも終わり、明日からは春休み。解放感も相まって、ほとんどの生徒が手を挙げた。
その時。
俺の隣で、アリスが背筋を伸ばした。
(……来た)
俺は知っている。
アリスがこの日のために、あのカラオケボックスで『誰もが知っている国民的J-POP』を密かに練習していたことを。
彼女の膝の上で、拳がギュッと握られている。白い指先が少し震えているのが見えた。
(頑張れ、アリス)
さあ、手を挙げるんだ。今こそ練習の成果を見せる時だ。
アリスが、意を決して右手を上げようとした――その時。
幹事の男子が、名簿を見ながら人数を確認していく中で、アリスの席の前まで来た。
「えっと、九条院さんは……」
アリスが口を開こうとした、その瞬間。
「あ、九条院さんはパスだよな? 迎えの車来てるし、こういうの苦手だもんな?」
幹事は気を遣った笑顔で、爽やかに言った。
悪意はない。むしろ「高貴な九条院さんを、安いカラオケなんかに誘って、騒がしい場所に連れて行くのは失礼だ」という、彼なりの精一杯の配慮だ。
周囲の生徒も「だよねー」「しかたないか」と納得している。
「あ……」
アリスの唇が、小さく動いた。
上がりかけた右手が、空中で行き場を失う。
しかし、彼女は一瞬で「九条院家の令嬢」の鉄壁の仮面を被り、涼しげに微笑んだ。
「……ええ。ご配慮、感謝します」
完璧な対応だった。
幹事は「じゃあ、気をつけて帰ってね!」と去っていった。
教室が打ち上げの話題で盛り上がる中、アリスは静かに鞄を手に取り、立ち上がった。
誰の目も見ずに、教室の出口へと向かう。
「……カケルは、行くのですか?」
すれ違いざま、アリスが俺にだけ聞こえる声で聞いた。
「いや、俺もパスだ。金ないし」
俺は嘘をついた。
本当は誘われていたが、この状況でアリスを一人で帰すわけにはいかない。
「そうですか。では、ごきげんよう」
アリスは凛とした姿勢で教室を出て行った。
その背中が、今日ばかりは痛々しく見えた。
俺が声をかけたら、クラスのみんなと一緒に行けたのかな?
「九条院も行きたいってよ」と、俺が代わりに言ってやれば良かったのか?
助けるべきだったのかもしれないけど、勇気が出なかった。
いつも俺と話しているようにすれば、みんな受け入れてくれると思うんだけどな。
そう言うのは簡単だ。
その言葉は、そのまま俺にも返ってくる。
俺もクラスではあまり話すタイプじゃない。大人数でウェイウェイするのは苦手だ。
結局、俺もアリスと同じで、踏み出すのが怖かっただけなのかもしれない。
◇ ◇ ◇
昇降口までの廊下。
俺はアリスに追いつき、並んで歩いた。
校舎の外からは、部活生たちの元気な声が聞こえてくる。
「……練習、してたのにな」
「盗み聞きですか? 趣味が悪いですよ」
アリスは前を向いたまま、淡々と言った。
「あの曲のサビの振り付けも、動画サイトを見て完璧にマスターしました。タンバリンの叩き方も、三種類のパターンを用意していました」
「三種類……?」
「基本の8ビート、裏打ち、そして超高速連打の奥義『ローリング・サンダー』です」
「ガチじゃねーか。カラオケで奥義出すなよ」
俺は少し笑って、そして真顔に戻った。
「ですが、披露する場が与えられませんでした。……需要と供給のミスマッチです」
アリスは悔しそうに唇を噛んだ。
彼女なりに、クラスに馴染もうと努力していたのだ。
だが、染み付いた「高嶺の花」のイメージは、そう簡単には拭えない。
「……私は、失敗しました」
校門が見えてくる。
いつもの黒塗りのリムジンが、威圧感を放ちながら待機しているのが見えた。
あれがある限り、誰も彼女を「普通の女子高生」とは見てくれないだろう。
「一年間という時間をかけても、クラスというコミュニティに接続できませんでした。私の戦略ミスです」
(一月に転校してきたから、せいぜい三カ月程度だけどな)
「まあ、まだチャンスはあるだろ。クラス替えもあるし」
「いいえ。このままでは、二年生になっても同じ結果を招く可能性が高いです。現状維持は衰退と同義。抜本的な改革が必要です」
アリスは立ち止まり、俺の方を向いた。
泣いているかと思った。
けれど、その瞳には、諦めの色はなかった。
むしろ、逆境に燃える起業家のような、不屈の闘志が宿っていた。
「カケル。宣言します」
「な、何を?」
「私は、来月から始まる二年生編にて……いわゆる『高校デビュー』を果たします」
「……アリス、もう高校一年が終わるんだぞ? デビューの時期、間違ってないか?」
「概念は知っています! 『長期休暇明けにイメージチェンジを行い、カースト上位に食い込む手法』ですよね?」
アリスは拳を握り締めた。
「春休み中に作戦を練ります。髪を染めるべきか、スカート丈を物理的に短縮すべきか、あるいは『マジ卍』等の流行語を乱用すべきか……」
(マジ卍の情報をどこで仕入れたんだ。ていうか、今どき使ってる奴見たこと無いぞ)
「全部やめろ! 方向性が迷子だ! お前はそのままでいいんだよ」
「いいえ、変化が必要です。……カケル、春休み中の予定は?」
「え? まあ、バイト以外は空いてるけど」
「では、作戦会議を行います。街に出て、最新のトレンドを視察し、私の『高校デビュー』のための装備を調達します」
アリスはビシッと俺を指差した。
「付き合ってください、師匠。これは補習授業です」
「……はいはい。わかったよ」
断れるわけがない。
結局、俺たちの春休みも、こうして騒がしく過ぎていくのだろう。
「見ていてください。二年生の私は、一味違いますよ」
そう言って、アリスは不敵に微笑み、優雅なカーテシーを一回。
そのままリムジンへと乗り込んでいった。
「……あいつ、メンタル強ぇな」
俺は走り去る車を見送りながら、苦笑した。
普通なら落ち込むところを、次の「攻略」へのモチベーションに変える。
そのポジティブさと、少しズレた行動力こそが、九条院アリスという少女の才能なのかもしれない。
「高校デビューか……」
黒髪清楚なアリスが、茶髪で「ウェーイ」とか言い出したらどうしよう。
それはそれで面白いけど、九条院家が許さないだろうな。
空を見上げると、校門の桜の蕾が、少しだけ膨らんでいるのが見えた。
こうして、俺たちの噛み合わない、でも賑やかな一年目が幕を閉じた。
春はもう、すぐそこまで来ている。
(一年生編・完)
次回 第21話:お花見の「場所取り」は、ブルーシートで行う陣地取りゲームですか?




