第2話:翌日、クラスに転校してきた彼女が、なぜか空き缶を筆箱として使っている件
「もう二度と、会うこともないだろう」
昨晩、寒空の下で俺はそう呟いた。
映画のラストシーンのような、少しセンチメンタルな気分だった。
あの一夜の不思議な出会いは、俺の貧乏生活における一瞬の幻として、記憶のアルバムにしまわれるはずだったのだ。
――はずだったのだが。
「初めまして。九条院アリスです。父の教育方針により、本日付けでこちらの学び舎に編入することになりました」
翌日のホームルーム。
教壇に立っていたのは、幻でも幽霊でもなく、透明感のある黒髪の美少女だった。
制服の着こなしは完璧。背筋はピンと伸び、教室中の男子(と一部の女子)がどよめくほどの美貌を振りまいている。
担任の教師が、なぜか脂汗をかきながらハンカチで額を拭っていた。
「えー、九条院さんは……その、特別な事情での編入だ。みんな、粗相のないように……いや、仲良くするように」
(先生、言葉選びが間違ってますよ。「粗相のないように」って何だ)
九条院は教室を見渡すと、俺と目が合った瞬間に、ほんの数ミリだけ口角を上げた。
そして、空いていた俺の隣の席へ、優雅に滑り込む。
「奇遇ですね、庶民」
「……お前なぁ」
「静かに。授業が始まります」
彼女は鞄から教科書とノートを取り出した。
そして、最後にコトリと机に置いた『それ』を見て、俺は目を疑った。
「おい」
「何でしょう?」
「それ、昨日の空き缶じゃねーか!」
そこにあったのは、昨日俺が130円で奢った『微糖コーヒー』のスチール缶だった。
だが、何かがおかしい。
缶の中央からパカッと縦に割れる構造になっており、そこには金色の蝶番が取り付けられていた。内側には高級そうな真紅のベルベット生地が貼られ、シャーペンや消しゴムが恭しく鎮座している。
「捨てろよ! ゴミだろそれ!」
「訂正してください。これはゴミではありません」
九条院は心外だと言わんばかりに、その空き缶筆箱を撫でた。
「昨晩、専属の金工職人――人間国宝の方ですが――を叩き起こして作らせた、特注の筆箱です。名付けて『スターゲイザー(星を見るもの)・モデル』」
「職人の無駄遣いにも程があるだろ!?」
「機能美とリサイクル精神の融合です。それに……この冷たい鉄の感触こそが、私にとっての『初心』ですから」
九条院はふふん、とドヤ顔で空き缶を机に飾った。
こいつ、本当に俺との思い出を大事にしてるのか、ただ面白がってるだけなのか読めない。
◇ ◇ ◇
波乱の授業が終わり、昼休みになった。
俺は購買でパンを買うために席を立つ。すると当然のように、九条院が背後についてきた。
「どこへ行くのですか?」
「購買だよ。昼飯の調達」
「なるほど。庶民の兵站を確認する必要がありますね。同行します」
「弁当ないのか?」
「現地調達こそがサバイバルの基本と聞きましたので」
自信満々の九条院だったが、その自信は購買部の前で粉々に砕け散ることになった。
「うおおおお! 焼きそばパン残ってろォォォ!」
「おばちゃん! メロンパン! 早く!」
「どけえぇぇ! 俺が先だァァ!」
そこは戦場だった。
腹を空かせた生徒たちが、狭いカウンターに殺到し、怒号と千円札が飛び交っている。
九条院は呆然と立ち尽くしていた。
「……暴動? クーデターですか?」
「ただの昼飯争奪戦だよ」
「コンシェルジュはどこです? 予約や整理券の配布もなしに、どうやって秩序を保っているのですか……?」
(整理券とかは知ってるのな)
「秩序なんてねえよ。あるのは『力』と『速さ』だけだ」
俺は九条院を廊下の隅に待たせると、戦場へとダイブした。
人波をかき分け、関節を滑り込ませ、一瞬の隙を突いておばちゃんに硬貨を叩きつける。これは貧乏生活で培った、生存のためのスキルだ。
数分後。
俺は戦利品を手に、九条院の元へ帰還した。
「ほら、取ってきたぞ」
「……生還しましたか」
俺たちが手に入れたのは、ラップに包まれたコッペパン。
中にはこれでもかと詰め込まれた茶色の麺。
そう、購買部のエース『焼きそばパン』だ。
中庭のベンチに座り、二人で包みを開ける。
九条院は、その物体を怪訝な顔で検分していた。
「カケル。これについて議論が必要です」
「なんだよ」
「焼きそばパン……という名称から推測するに、これは『パン(小麦)』の中に『麺(小麦)』を挟んだ食品ですよね?」
「そうだけど」
「正気ですか? 炭水化物の中に炭水化物を格納するなど、栄養学的な重複が過ぎます。寿司をおかずに白米を食べるような、狂気の沙汰です」
出たな、理屈屋。
俺は大きく口を開け、焼きそばパンにかじりついた。
「いいから食ってみろって。このカロリーの暴力こそが、午後の授業を耐え抜く燃料になるんだよ」
「……概念は知っていますが、理解に苦しみます」
九条院は疑り深くパンを睨みつけ、小さく、上品に端っこを齧った。
「……む」
動きが止まる。
濃いソースの味、マヨネーズの酸味、そしてコッペパンの甘み。
ジャンクフードの王道にして頂点。その暴力的な味が、お嬢様の繊細な舌を襲撃する。
「……計算外です」
「どうだ?」
「非論理的です。炭水化物と炭水化物が口の中で衝突し、ソースという名の潤滑油によって強引に統合されていく……。まるで、口の中が小麦の祝祭です」
九条院は悔しそうに言いながら、二口目を大きく頬張った。
「美味しいのか美味しくないのか、どっちだよ」
「……美味しい、と認めるのは癪ですが。脳が糖質を求めているのは事実のようです」
結局、九条院は一つをペロリと平らげた。
満足げに吐息を漏らす彼女の口の端には、青のりがちょこんと付いている。
指摘してやろうかと思ったが、あまりに幸せそうなので黙っておくことにした。
「庶民の食文化、興味深いですね。……そういえば、カケル」
「ん?」
「昨日、気になっていた店があります」
九条院は中庭の向こう、学校の外を指差したような気がした。
「派手な看板の店です。『早い、安い、美味い』という矛盾したキャッチコピーを掲げる、あのお店……」
「ああ、牛メシか」
牛メシ屋(通称:牛メシ)。大手牛丼チェーン店だ。
手軽に食べられる丼物の専門店で、店舗によってはカレーなども人気メニューとなっている。
「はい。あのシステムにおける『牛丼』なる概念を、この舌で検証したいのです。……連れて行ってくれますか?」
上目遣いで見つめられ、俺は苦笑して頷いた。
「いいぜ。今日はバイトだから明日の放課後な。でも、お前の家の人が許すのか?」
「問題ありません。これは社会科見学の一環ですから」
九条院は不敵に微笑んだ。
その笑顔を見ていると、なんだか背筋がゾクリとした。
風のせいだろうか?
いや、なんとなく……中庭の植え込みの陰から、誰かに値踏みされているような、妙な視線を感じた気がしたのだ。
(昨日の今日で、過敏になりすぎか)
俺は首を振り、予鈴の鳴る校舎へと足を向けた。
明日は牛丼屋だ。財布の中身と相談しておかないとな。
次回 第3話:『つゆだく』とは、スープの海に米を沈める儀式のことですか?




