第14話:お好み焼きをひっくり返すのに、物理演算は必要ですか?
とある放課後。
俺たちは、鉄板の熱気が充満するお好み焼き屋『鉄の華』の暖簾をくぐった。
「……カケル。室温が高すぎませんか? ここはサウナですか?」
「鉄板があるからな。今日は半額デーだ、ガッツリ食うぞ」
案内されたテーブル席に着くなり、アリスは目の前の鉄板を警戒するように見つめた。
「テーブル自体が加熱調理器……。客の目前で食材を焼くスタイルですか。油跳ねのリスクと、火傷の危険性が常に付きまといますね」
「それがライブ感があっていいんだよ。ほら、まずは焼くぞ」
「え? 自分たちで焼くんですか?」
「焼いてくれるところもあるけどな、ここでは自分で焼けるんだ。一つはアリスも焼いてみろ」
俺が注文したのは、定番の『豚玉』二つ。
店員さんが運んできたボウルには、キャベツ、生地、卵、豚肉が山盛りにされている。
「まずは混ぜる。空気を入れ込むように、ふんわりとな」
俺がスプーンでカカカッ! とリズミカルに混ぜて見せると、アリスは神妙な顔で自分のボウルを手に取った。
「撹拌ですね。……生地の粘度と具材の比重を考慮し、均一に分散させる必要があります」
「難しく考えなくていいから」
アリスは真剣な眼差しで、まるで化学実験のように慎重に混ぜ合わせ、鉄板に落とした。
ジュウウゥゥッ! という食欲をそそる音が響く。
「……いい音です。メイラード反応が進行しています」
「で、ここからが最大の難関だ」
片面が焼けたら、ひっくり返す。
お好み焼きにおけるクライマックスだ。
「コテを差し込んで、手首のスナップで一気に返す。躊躇したら崩れるぞ」
「……」
アリスはコテを両手に持ち、固まった。
その瞳が、高速で左右に動いている。
「……質量約200グラム。鉄板との摩擦係数μは推定0.4。手首の回転角は90度……。必要な角速度とトルクを算出します」
「おい」
「風圧の影響は無視できますが、具材の遠心力が……」
「お好み焼きひっくり返すのに物理演算してんじゃねえよ! 気合いでえいやっ! だ!」
俺が手本を見せるようにひっくり返す。
それを見たアリスはタイミングを計っているのかコテを持つ手が小刻み動く。
(シュミレートしてるのかな?)
「ええい、ままよ!」
アリスは叫けびながらコテを振るった。
結果。
少し形は歪んだが、見事に着地成功した。
(リアルで『ええい、ままよ』を言う人を初めて見たわ)
「……成功です! 計算通り!」
「最後は計算捨ててたけどな」
◇ ◇ ◇
両面が焼けたら、仕上げの工程だ。
ここからが、お好み焼きの個性が光る場面である。
「まずはソースを塗る。端っこを少し焦がすのがコツだ」
「了解。……刷毛で均一な皮膜を形成します」
アリスは書道家のような手つきで、丁寧にソースを塗りたくっていく。
そして、マヨネーズの番だ。
「見てろアリス。これが庶民の奥義『マヨ・ビーム』だ」
俺はマヨネーズのボトルを高く掲げ、手首を細かく振動させながら、細い線を描くように振りかけた。
網目状の美しいマヨネーズ模様が完成する。
「……高い位置からの射出。重力を利用して線幅を細くしているのですね」
「やってみるか?」
「はい。ですが、カケルの網目模様は乱雑すぎます。私は『黄金比』に基づいた螺旋構造を描きます」
アリスはボトルを構え、中心から外側へ、完璧な渦巻きを描こうとした。
だが。
ボフッ。
空気が入り、マヨネーズが「ブチュッ」と塊で落ちた。
「……美しくありません」
一瞬、この世の終わりのような表情でアリスは呟いた。
「ま、まあ、味は変わらないから気にすんな」
気を取り直して、最後の仕上げ。
俺は鰹節の袋を開け、パラパラと振りかけた。
ゆらゆらと、熱気を受けて鰹節が踊りだす。
「……ほう」
アリスが感嘆の声を漏らし、食い入るように鉄板に顔を近づけた。
「動いていますね。まるで生きているようです」
「驚かないのか。『生き返った!』ってビビるのを期待してたんだけど」
「いいえ。この概念は知っていましたから」
アリスは熱心に観察しながら、うっとりと呟いた。
「薄く削られた鰹節が、鉄板からの水蒸気と上昇気流を受けて舞い上がる現象……。熱エネルギーが運動エネルギーへと変換される、物理法則の可視化です」
「……そう言われると、なんか高尚なものに見えてくるな」
「机上の知識では理解していましたが、実際に目にすると、なかなか感動するものですね。まるで、熱の上で演じられるワルツのようです」
アリスは目を輝かせている。
「踊り食いだ」なんて、怯えるかと思ったが、どうやらこの理系お嬢様には、純粋に美しい物理現象として映ったらしい。
こういう所は、意外と肝が据わっている。
◇ ◇ ◇
いよいよ実食だ。
俺はコテで一口大に切り、そのまま直接口へ運んだ。
「はふっ、あつっ、うま!」
「……カケル。貴方の口腔内は耐熱仕様ですか?」
アリスはドン引きしていた。
「鉄板から直など、火傷確定です。皿に取り分け、箸で食すのが文明人のマナーでは?」
「コテで食うのが美味いんだよ。鉄の味とソースの焦げた香りがダイレクトに来るだろ?」
「野蛮です。私は文明の利器(お皿)を使用します」
アリスは丁寧にお皿に取り分け、フーフーと冷ましてから箸で口に運んだ。
「……美味しい。キャベツの甘みとソースの塩分が絶妙です。物理演算の苦労が報われました」
「お好み焼きって過小評価されてる気がするよ。めっちゃ旨いのに」
ここまでは順調だった。
二人の食文化の違いはあれど、許容範囲内。
だが、俺が追加注文をした瞬間、空気が凍りついた。
「すいません、ライスセット一つ」
「……はい?」
アリスが箸を止めた。
店員さんが持ってきたのは、茶碗に盛られた白米と味噌汁。
俺はそれを、お好み焼きの横に置いた。
「カケル。……それは何ですか?」
「え? ご飯だけど」
「なぜ、お好み焼き(炭水化物)をおかずに、白米(炭水化物)を摂取するのですか?」
アリスの目が、かつてないほど冷ややかだった。
ゴミを見るような目、と言ってもいい。
「これがいわゆる『お好み焼き定食』だ。ソース味の濃いお好み焼きは、最高のご飯のおかずになるんだよ」
「理解不能です。狂気です」
アリスは首を横に振った。
「今まで、いくつかのカルチャーショックについて、違うと思ってもカケルに歩み寄ったつもりです」
(……たしかに。焼きそばパンも、牛丼つゆだくも、文句を言いながら受け入れてくれた)
「思えば、結構挑戦してくれたよな」
「はい。ですが……これだけは、全くもって理解できません」
アリスは断固として、俺の茶碗を拒絶した。
「小麦粉の円盤をおかずに米を食すなど、栄養学的にも美的感覚としても破綻しています。それは食事ではありません。主食の重複です」
「いや、でも焼きそばパンはいけただろ? あれがOKなら、これもアリじゃないか?」
「焼きそばパンとはレベルが違います!」
アリスは声を荒げた。
「あれはパンという『器』に麺が入っている構造でした。まだ許容できます。ですが、これは『皿』と『皿』を並べているようなものです! 絶対に認めません!」
「そ、そうか……」
これほどまでの拒絶反応。
どうやら、ここがお嬢様の譲れない一線らしい。
(あと、お好み焼きには『関西式』と『広島式』があるが……この地雷原に触れるのは止めておこう)
俺はアリスを説得するのを諦め、一人でお好み焼き定食を堪能することにした。
アリスは俺が白米を口に運ぶたびに、「信じられない」という顔で見ていたが、一口もくれとは言わなかった。
◇ ◇ ◇
店を出ると、アリスは服についたソースの匂いを気にしながら言った。
「……味は評価します。ですが、あの『定食』という概念だけは、未来永劫理解できる気がしません」
「まあ、人には人の食生活があるってことだよ」
分かり合えないこともある。
でも、それでいい。
全て同じ価値観だったら、きっとこんなに楽しく議論はできないだろうから。
「次は、もっと平和的な食事にしましょう。……例えば、そうですね」
アリスは少しと考えて、提案した。
「回転寿司など、いかがですか? あれならご飯が重複することはありませんから」
「……あそこも大概カオスだけどな」
俺たちは次なる戦場(回転寿司)への遠征を約束し、駅へと向かった。
ソースの匂いと、少しの分かり合えなさ。
それが俺たちには、ちょうどいいスパイスだった。
次回 第15話:『ウミガメのスープ』を食べたことはありますか?




