第13話:『アニオリ』は邪道ですか? いいえ、それも一つの正解《ルート》です
気がつけば、窓の外は茜色に染まっていた。
俺の部屋のテーブルには、空になったスナック菓子の袋と、ジュースの缶が散乱している。
テレビ画面の中では、『デーモンバスター(通称:デーバス)』がクライマックスを迎えていた。
「そこです! 右翼が手薄です! なぜ攻め込まないのですか!」
アリスが身を乗り出し、画面に向かって指示を飛ばしている。
普段の冷静さはどこへやら。彼女はクッションを抱きしめ、前のめりになっていた。
「おいアリス、ちょっと休憩しないか? あと一話で最終回だし、トイレとか……」
「却下します!」
アリスは画面から目を離さずに叫んだ。
「今、戦況は決定的瞬間です! ここで視聴を中断すれば、没入感がリセットされてしまいます。尿意など気合いで抑制しなさい!」
「お前なぁ……」
完全にハマっている。
興行収入日本一というフレーズに惹かれていた彼女が、今や立派なアニオタの顔つきだ。
◇ ◇ ◇
画面の中で、主人公が必殺技を放つ。
『うおおおぉ! バーンング・フレイム・ファイアァァ!!』
「……またです。なぜ彼は、攻撃の前に技名を叫ぶのですか?」
アリスが眉をひそめてツッコミを入れた。
「発声によるタイムラグは致命的です。敵に攻撃種別とタイミングを教えるなど、利敵行為に他なりません。無言で急所を突くのが最適解です」
「分かってないなアリス。叫ぶことで気合いが入るし、視聴者にも何が起きたか伝わるんだよ。様式美というやつだ」
「非効率です。私なら、サイレンサー付きの銃で背後から処理します」
◇ ◇ ◇
そんなドライなことを言っていたアリスだったが。
最終回のラスト、主人公が全ての力を振り絞ってラスボスに特攻するシーンでは――。
「行けぇぇぇッ!!」
俺よりでかい声で叫んでいた。
様式美、理解してるじゃないか。
そして、エンディングテーマが流れ終わる。
第1期最終回のクレジットが、黒バックに白文字で静かに流れていく。
あれから何度目かの鑑賞会を経て、ようやく全二十五話を完走したところだ。
「……終わりましたね」
「ああ……終わったな」
俺たちは心地よい疲労感と共に、天井を仰いだ。
『デーバス』。それは作画の良さで話題になった作品だが、本質はそこではない。
人間とデーモン、双方に譲れない正義があり、恋人や家族のために命を燃やす群像劇だ。
どちらの陣営にも感情移入できるからこそ、観る者の倫理観が問われる重厚な作品だった。
「……カケル。質問です」
「ん?」
「続き(セカンド・シーズン)は、いつ履修しますか?」
アリスが食い気味に聞いてきた。目がランランと輝いている。
「気が早いな。まあ、期末テスト明けにでも観るか? 2期も面白いぞ。新キャラも増えるし、バトルも激しくなる」
「必須事項ですね。それに、例の『興行収入日本一』の劇場版……。あれを見るためには、TVシリーズの完走が前提条件なのですよね?」
「ああ。劇場版は2期の直後の話だからな。そこまで見れば、アリスが気にしてた『日本記録』の理由も分かるはずだ」
「望むところです。……ふふ、楽しみが増えました」
アリスは嬉しそうに微笑んだ。
どうやら『九条院フィルター』さえ回避できれば、彼女も普通の高校生と同じようにアニメを楽しめるらしい。
「で、どうだった? とりあえず1期を総括して」
「……情報の処理に時間がかかります」
アリスは熱っぽく語り出した。
「単なる勧善懲悪ではありませんでした。デーモン側にも社会構造があり、愛があり、守るべきものがあった。……正義とは視点によって変わる『相対的な概念』であることを再認識しました」
「それ! それなんだよなあ。見せた甲斐があったよ」
俺は残っていたコーラを飲み干し、ふと気になっていたことを尋ねた。
「ちなみに、アリスは『推しキャラ』ってできたか?」
「オシ……?」
「言ってみれば、一番のお気に入りキャラクターのことだ。この作品、観る人の性格によって好きになるキャラが結構変わるんだよ」
アリスは少し考え込み、真剣な顔で答えた。
「……『黒塚』ですね」
「黒塚?」
俺は思わず聞き返した。
それは主人公でもライバルでもヒロインでもない。敵組織であるデーモン軍団の総大将だ。
「……デーモンのボスか」
(意外だな。たしかにカリスマ性のある人気キャラではあるけど……女子高生の『推し』に挙がるのは珍しい気がする)
「理由は?」
「彼の組織運営能力です。作戦に失敗し、損害を出した部下をその場であっさり切り捨てましたよね?」
「ああ、処刑シーンな。トラウマものだけど」
「情に流されず、組織の存続のために『損切り』ができる。あの冷徹な判断力と合理性は、指導者として学ぶべき点が多いです」
「お、おう……」
(あんまり意外じゃなかったわ。アリスならそう言うよな)
「逆に、主人公の『縁』は今ひとつ評価できません」
「えっ、主人公だぞ?」
「彼の行動原理は『根性』と『友情』のみです。作戦立案もなしに敵陣に突っ込み、ピンチになれば叫んで解決する。……あのような部下がいたら、私は即座に解雇通知を出します」
「その向こう見ずな性格を支える仲間の連携がいいんだよ!」
「たしかに……知恵を絞ってフォローしている姿は良かったですね」
どうやら、アリスの推し選びの基準は「優秀な上司になれるか」らしい。
夢がないというか、現実的すぎるというか。
「それと、もう二名……気になったキャラクターがいます」
「誰だ?」
「『梅王丸』と『千代』です」
「ああ……あの兄妹か」
それは物語の中盤で登場する、敵側の兄妹デーモンだ。
病弱な妹・千代を救うために、兄の梅王丸が人間を襲う悲劇のエピソード。
アリスが観たこのアニメ版では、二人は最後まで救われず、折り重なるようにして悲劇的な死を遂げた。
「あの二人の最期についてですが……私は良かったと思います」
「えっ、そうなのか?」
俺は少し驚いた。
かなり救いのない、鬱展開とも呼ばれるシーンだ。アリスなら「非合理的です」と怒るかと思っていたのだが。
(実は、あのシーン……放送当時はひと悶着あったんだよな)
俺は当時のネットの反応を思い出す。
原作の漫画版とは、二人の運命が大きく異なっていたからだ。
ファンからは『どうしてこんな悲しい結末に?』『原作の方が良かった』という阿鼻叫喚の声が上がっていた。俺も最初はショックを受けた一人だ。
だが、アリスは静かに画面を見つめている。
「悲しい結末ですが、納得はできます。……私にも兄がいるので。妹の千代の気持ちは、少し分かりますから」
俺は手を止めた。
「アリス、お兄さんがいたのか?」
「はい。一人」
初耳だ。
まあ、今まで家族構成なんて聞いたこともなかったが。
「どんなお兄さんなんだ?」
「……完璧な人です」
アリスは遠くを見るような目をした。
「学業、武術、芸術、帝王学。全てにおいて頂点に立つ、九条院家の最高傑作。……私のような『失敗作』とは違う、雲の上の存在です」
「失敗作って……お前だって十分すごいだろ」
「いいえ。私はお兄様の足元にも及びません」
アリスの言葉には、謙遜ではなく、明確な諦めと、微かなコンプレックスが混じっていた。
「千代は、自分が兄の重荷(足かせ)になっていることを知っていました。だから、彼女が死ぬことで兄を呪縛から解放した……。あれは悲劇ではなく、妹ができる最大の『献身』であり、合理的な解決策です」
(……そうか)
アリスは、千代に自分を重ねているんだ。
優秀すぎる兄を持つがゆえの、歪んだ自己犠牲の精神。
だから彼女は、原作の展開を知らなくても、この悲劇的な最期を「良かった」と感じたのだ。
「……なるほどな。それも一つの正解か」
俺は否定せず、頷いた。
彼女がそう感じたのなら、それも正しいはずだ。
だが。
「でもな~、俺はやっぱり漫画版も好きなんだよなあ」
「……アニメとは違うのですか?」
「ああ。詳しくは言えないけどな。アリスにも読んでほしいな。あの漫画版を読んだら、どんな感想を持つか……ちょっと興味がある」
俺はテーブルに置いてある原作漫画を指差した。
「次回は読書会にするか?」
「……はい。比較検証が必要です。予約しておきます」
時計を見ると、もう解散の時間だ。
九条院家の最高傑作である兄。
どんな奴なのか想像もつかないが、アリスにここまで「自分は失敗作」と思わせる相手だ。
いつか会うことがあるのだろうか。
俺はアリスを駅まで送る準備を始めた。
彼女の背中が、行きしなよりも少しだけ小さく見えたのは、気のせいだろうか。
次回 第14話:お好み焼きをひっくり返すのに、物理演算は必要ですか?




