第12話:『デーバス』鑑賞会。その「緊急回避行動」は、俺の心臓に悪いです
中間テストも終わり、とある放課後。
俺とアリスは、駅前の大型古本屋『オン・ザ・ブック』の通路にいた。
目的は、これから俺の部屋で行う『デーバス』鑑賞会のための資料(原作漫画)探しだ。
「……埃っぽいです。それに何ですか? この匂いは」
アリスは店内の独特な匂いに、少しだけ鼻を鳴らした。
「この匂いに関しては慣れるか我慢するしかない」
(正直、俺もこの匂いは好きじゃない)
「カケル。なぜわざわざ物理媒体を探すのですか? 電子書籍なら、ダウンロードは一瞬。在庫切れのリスクもなく、蔵書スペースもゼロです」
「出たな、電子派」
俺は「100円コーナー」の棚から、少し背表紙が日焼けしたコミックを抜き取った。
「一番の理由は値段だ。電子だと定価に近いけど、ここなら一冊100円で買える。最新刊まで揃えても相当安く済むんだ」
「……なるほど。コストパフォーマンスの追求ですね」
「それとな、俺はこの『ページをめくる』動作そのものが好きなんだよ」
俺はパラパラと漫画をめくってみせた。
「紙の擦れる音、指に伝わる感触、そして『ここまで読んだ』という厚みの変化。そこに、物語を摂取しているという実感があるんだ」
「……ロマンチシズムですね。情報の取得という目的において、媒体の質量はノイズでしかありません」
アリスは冷徹に切り捨てたが、ふと狭い通路で客とすれ違う際、俺の服の袖をギュッと掴んだ。
棚と棚の間。人が一人通れるだけの狭い空間。
俺の肩に、彼女の体が触れる。
「……ですが」
「ん?」
「……物理的な接触も、悪くはありませんね」
アリスは少し顔を赤らめて、ボソリと呟いた。
古本の匂いに混じって、彼女の甘い香りがした気がして、俺は慌てて視線を本棚に戻した。
◇ ◇ ◇
買い物を終え、俺のアパートへ移動する。
二度目の来訪となるアリスは、慣れた様子で「お邪魔します」と靴を脱ぎ、コックピット(六畳間)に鎮座した。
ちゃぶ台の上には、買ってきたばかりの『デーバス』の単行本と、激安ディスカウントストア『メガ・ジャングル』で買ってきたお菓子、ジュースが並べられた。
「さて。準備は整ったな」
「はい。兵站は確保済みです」
「で、アリス。どっちからいく?」
「どっち、とは?」
「原作の漫画から読むか、アニメから入るかだ」
俺は単行本と、テレビのリモコンを交互に指差した。
「この作品はアニメ化で一気に人気に火がついた作品なんだけど、原作の漫画もかなり面白くてな。絵の勢いとか、台詞回しのテンポとか、漫画ならではの良さがある」
「ふむ」
「俺は漫画から入った口なんだけど、アリスはどうする? 漫画を読んでからアニメで補完するか、アニメで衝撃を受けてから漫画で深掘りするか」
アリスは少し考え込み、顎に手を当てた。
「……アニメーションを選択します」
「理由は?」
「予告編で見た『動き』に興味があるのと、音声と映像が同期している方が、短時間での情報摂取量が多いからです」
「なるほどな。まあ、デーバスに関してはアニメから入るのも正解だ。あのアクションシーンは必見だしな」
方針が決まった。
俺がテレビのリモコンを操作しようとすると――アリスが素早くスマホを取り出した。
「待ってください。再生前に、ウィキペディアで結末を確認します」
「はあ!? 何してんだ!」
俺は慌てて彼女の手からスマホを奪い取った。
「ネタバレ禁止! これから観るのに結末を知ってどうする!」
「予習です。誰が死ぬのか、どのような結末を迎えるのか。事前に情報を把握することで、伏線回収の技巧を冷静に分析できます」
「それを『野暮』って言うんだよ!」
アリスは不満げに頬を膨らませた。
「理解できません。さっき『漫画から読むか』と提案したのはカケルでしょう? 先に物語を知るという意味では、漫画もウィキペディアも同じ『ネタバレ』ではありませんか」
「全然ちげーよ! 漫画は『物語を体験すること』だ! ウィキのあらすじはただの『データ』だ! 体験と情報を一緒にするな!」
「……むぅ」
「その『初見の衝撃』こそがエンタメの醍醐味だろ! いいから騙されたと思って、情報を遮断して観ろ!」
「……カケルがそこまで言うなら」
アリスは渋々スマホを諦めた。
全く、この効率厨のお嬢様には困ったものだ。
◇ ◇ ◇
部屋のカーテンを閉め、少し薄暗くする。
テレビ画面に『デーモンバスター』のオープニングが流れ始めた。
「……作画枚数が多いですね。滑らかです」
「だろ? ここからが凄いんだ」
物語が始まる。
主人公の家族がデーモンに襲われ、日常が崩壊する第一話。
アリスの天敵である「グロテスクな描写」や「容赦のない暴力」が描かれる。
「ッ……!」
アリスが息を呑んだ。
俺はコタツの横に座り、アリスはその隣、少し距離を空けて座っていた……はずだった。
中盤。主人公の師匠的なキャラが、デーモンに無惨に食い殺されるシーン。
事前のネタバレを封じられたアリスにとって、それは完全な「予想外の死」だった。
(そういえば一話目から結構グロシーン多かったんだよな)
「ひゃっ!?」
アリスが可愛らしい悲鳴を上げた。
次の瞬間。
ドン、という衝撃と共に、俺の左腕に温かい重みが乗っかった。
「……え?」
気づけば、アリスが俺との距離を一気に詰め、俺の左腕を両手で抱え込んでいた。
彼女の肩が俺の肩に密着し、額を俺の二の腕に押し付けている。
ガタガタと震える振動が、直接伝わってきた。
「あ、あの、九条院さん?」
「……しっ。静粛に」
「いや、近くないか? さっきまでもっと離れてただろ?」
俺が指摘すると、アリスは画面から目を逸らさずに、早口でまくし立てた。
「緊急回避行動です! ネタバレ遮断により、ストレス値が許容範囲を超えました! よって、最も近くにある構造物を支柱として利用し、姿勢制御を行います!」
「構造物扱いかよ! それに近いって!」
「我慢してください! これは私の生存に関わる問題です!」
アリスは俺の服の袖をギュッと握りしめ、さらに体を寄せてくる。
二の腕に感じる、彼女の体温と柔らかさ。ふわりと香るシャンプーの匂い。
画面の中では主人公が絶叫しているが、俺の心臓も別の意味で早鐘を打っていた。
(……これ、何の修行だよ)
結局。
第一話が終わるまでの二十分間、俺はお嬢様の恐怖を受け止める「安全地帯」として、身動きが取れなくなる羽目になった。
エンディング曲が流れる頃、アリスはようやく落ち着きを取り戻し、パッと俺から離れた。
「……ふぅ。危険な任務でした」
「俺の腕が痺れたわ……」
「ですが、カケルの理論も一理ありました」
アリスは少し赤い顔で、テレビ画面を見つめた。
「ネタバレを封印したことによる、未知の展開への恐怖。……心臓に悪いですが、ドーパミンの分泌量は通常の三倍を記録しました」
「だろ? それが『楽しむ』ってことだよ」
「……悔しいですが、認めましょう。ネタバレなしも、悪くありません」
彼女はチラリと俺を見て、小さな声で付け加えた。
「それに……安全地帯の居心地も、悪くありませんでしたし」
「……聞こえてるぞ」
俺たちは顔を見合わせ、なんとなく気恥ずかしくなって、同時に視線を逸らした。
分かり合えない価値観。
埋まらない経済格差。
けれど、こうして同じ画面を見て、同じ時間を共有することはできる。
まあ、腕は痺れたけど。
こういうのも、たまには悪くないのかもしれない。
次回 第13話:『アニオリ』は邪道ですか? いいえ、それも一つの正解です




