第11話:テスト勉強をファミレスでする意味が、私には分かりません
中間テスト一週間前。
放課後のファミレス『ガストリア』は、近隣の高校生たちでごった返していた。
ドリンクバーの機械音が鳴り響き、あちこちで笑い声や愚痴が飛び交っている。
そんな喧騒の中、向かいの席に座るアリスは、般若のような形相で周囲を睨みつけていた。
「……動物園ですか、ここは」
「ファミレスだよ」
「理解不能です。テスト勉強とは、静寂な図書館か、個室の自習室で行うべきものです。なぜ好んでこのような『騒音地獄』に身を置き、しかも金を払うのですか?」
「家だと誘惑が多いからな。漫画とかゲームとか。こういう場所の方が、人の目があって集中できるんだよ」
「『同調圧力』を利用するということですか。……非効率的ですが、庶民の知恵として記録しておきます」
アリスは渋々納得し、通学鞄から勉強道具を取り出した。
ドスン。ドスン。
テーブルが軋む音がした。
彼女が出したのは、教科書ではない。辞書のように分厚いハードカバーの洋書が三冊だ。
「……なんだそれ」
「参考書です。今回の世界史の範囲は『フランス革命』ですので、当時の思想家ルソーの原著と、ロベスピエールの伝記を持ってきました」
「いや、教科書でいいだろ! テストに出ないぞそんなの!」
アリスは不思議そうに小首を傾げた。
「なぜです? 歴史とは『流れ』と『思想』を理解するものです。年号や単語の暗記になんの意味が?」
「俺もそう思うけどな! でも日本のテストは『語呂合わせ』と『穴埋め』が全てなんだよ!」
俺は自分の世界史のノートを開いて見せた。
そこには『いちごパンツ(1582)の本能寺』みたいな、涙ぐましい語呂合わせがびっしりと書かれている。
「……暗号文書ですか?」
「生き残るための術だ。いいかアリス、お前は頭が良いのは分かるが、学校のテストじゃ『答え』が決まってるんだ。余計な知識は邪魔になる」
「納得いきませんが……カケルがそこまで言うなら」
アリスは不満げに洋書をしまい、俺の貸したプリントに向かい始めた。
◇ ◇ ◇
勉強を開始して数十分。
俺たちのテーブルに、軽快な電子音が近づいてきた。
『おまたせワン! ご注文の料理をお届けするワン!』
現れたのは、イヌの顔がディスプレイに表示された、配膳ロボットだった。
俺が頼んだ山盛りポテトフライを乗せている。
「なっ……!?」
アリスが椅子から飛び退いた。
まるで未知の地球外生命体に遭遇したかのような反応だ。
「カケル! 警戒してください! 自律走行型のドロイドです!」
「ただの配膳ロボットだよ。最近はどこもこれだぞ」
「これが……ファミレスの科学力……。床のマーカーを読み取っているのですか? それともLiDARによる空間認識?」
アリスは真剣な顔でロボットの周囲を回り込み、センサーの位置を確認し始めた。
「すごい……。障害物回避のアルゴリズムが洗練されています。九条院家の警備ロボットよりも愛嬌がある。フレンドリーなデザイン設計……」
「感心してないでポテト取れよ。帰っちゃうぞ」
「待ってください。コミュニケーションを試みます」
アリスは恐る恐る手を伸ばし、ロボットの「耳」の部分を撫でた。
『くすぐったいワン!』
「!!」
アリスの瞳が輝いた。
「会話が成立しました! カケル、この子は知性を持っています!」
(会話ではないだろ……)
「定型文だよ。ほら、完了ボタン押して」
『ありがとワン! また呼んでワン!』
ロボットが去っていくのを、アリスは名残惜しそうに見送っていた。
「……ファミレス。侮れませんね。あのような高度なAIが、わずか数百円のポテトを運んでいるとは」
「平和利用でよかったな。さあ、手動かそうぜ」
◇ ◇ ◇
ポテトをつまみながら、勉強を再開する。
アリスは理数系は完璧だ。俺が数学の計算で詰まっていると、横から覗き込んで「ここは微分すれば一瞬です」と教えてくれる。
だが、問題は文系科目だった。
「……カケル。この現代文の設問、出題ミスでは?」
「どれどれ?」
アリスが指差したのは、『主人公の心情を答えよ』という定番の問題だ。
問:夕焼けを見て涙を流した主人公の気持ちを、40字以内で答えなさい。
「これの正解は『美しい夕焼けを見て、故郷に残した母を思い出して寂しくなったから』だろ。前のページに母ちゃんの手紙が出てくるし」
「論理の飛躍です」
アリスは断言した。
「夕焼けを見て涙が出る原因は複数考えられます。眼球の乾燥、紫外線による刺激、あるいは花粉症によるアレルギー反応。……『寂しい』などという感情は、医学的根拠がありません」
「お前なぁ……文脈を読めよ」
「それに、他人の心など本人にしか分かりません。正解を知りたければ、この作者をここに呼んで尋問するべきです」
「それを『野暮』って言うんだよ!」
アリスは納得いかない顔でポテトを齧った。
「人間の感情は非論理的です。数式のように綺麗に解けません」
「だから『答え』があるテストなんだよ。作者の気持ちじゃなくて、『出題者がどう答えてほしいか』を推測するゲームだと思え」
「……なるほど。相手の意図を読む心理戦ということですね」
アリスは不敵に笑い、ペンを走らせ始めた。
方向性はちょっとズレているが、まあやる気になったなら良しとしよう。
◇ ◇ ◇
さらに一時間後。
「……カケル。このドリンクバーというシステムは、集中力を削ぐ魔性の装置ですね」
「飲み過ぎだ」
アリスはすでに三往復はしている。
彼女はペンの先でコツコツとテーブルを叩いている。
「周囲の話し声が気になります。隣の席の女子生徒たちが『彼氏のLIMEが既読にならない件』について、すでに二十分も議論しています。結論は『脈なし』以外にあり得ないのに」
「馬鹿! しっ! 聞こえるだろ!」
(俺も気になってはいたけど)
「やはり集中できません。耳栓を装着してもよろしいですか?」
「それじゃあファミレスに来た意味がないだろ。……ほら」
俺はスマホを取り出し、イヤホンを片方外してアリスに差し出した。
「音楽聴きながらやれば、雑音は消えるだろ」
「……音楽?」
「集中力アップ用のBGMだ。俺のプレイリストでよければ」
アリスは少し躊躇ってから、差し出された白いイヤホンを左耳に装着した。
俺の右耳と、アリスの左耳が、一本のコードで繋がる。
距離にして約五十センチ。
テーブル越しに、ふわりと彼女の黒髪から良い匂いがした。
(……やべ、逆に俺が集中できなくなってきた)
流したのは、歌詞のないローファイ・ヒップホップ。
環境音に近いゆったりとしたリズムが、二人の間に流れる。
「……悪くありません」
アリスがボソリと呟いた。
「周囲の雑音が、環境音の一部に変わりました。これなら……自分の世界に入れます」
「だろ?」
「それに……」
アリスはプリントに視線を落としたまま、ペンを走らせる。
「カケルと同じ音を聞いていると思うと……不思議と、焦燥感が消えます。これが『同調圧力』の正しい効能なのですね」
「……たぶん、ちょっと違うけどな」
まあ、いいか。
俺も自分のノートに視線を戻す。
それからの一時間は、驚くほど静かで、濃密な時間だった。
時折、アリスが「この古文の文法、現代語とかけ離れすぎています。言語として欠陥では?」とか小声で文句を言ってくる。
俺がそれに適当にツッコミを入れながら、問題を解いていく。
一人で勉強していたら、きっと三十分で飽きてスマホをいじっていただろう。
でも、目の前に真剣な顔で机に向かう彼女がいるだけで、俺も「負けてられない」という気持ちになる。
これが、ファミレス勉強の正体か。
あるいは――。
「……終わりました」
ふぅ、とアリスが息をつき、伸びをした。
外はもう暗くなっている。
「ノルマ達成か?」
「はい。カケル式暗記術(語呂合わせ)と、読心術(出題者の意図読み)、完璧にインプットしました。不本意ですが」
「点数が取れりゃいいんだよ」
俺たちは片付けをして、レジへ向かった。
割り勘で支払いを済ませ、店の外に出る。
夜風が、勉強で火照った頭に心地よい。
「……カケル」
「ん?」
「ファミレス学習。……非効率的で、騒がしくて、カロリーも過剰摂取になりますが」
アリスは隣を歩きながら、少しだけはにかんだ。
「一人で静寂な部屋にいるよりも、ずっと頭に入りました。……また、付き合ってくれますか?」
「おう。赤点回避のためにな」
俺がぶっきらぼうに答えると、アリスは嬉しそうに笑った。
繋がっていたイヤホンはもう外れているけれど。
俺の耳の奥には、まだ彼女と同じリズムが残っているような気がした。
次回 第12話:『デーバス』鑑賞会。その「緊急回避行動」は、俺の心臓に悪いです




