第10話:カラオケボックスは、歌うためだけの場所ではありません
公立・銀杏高校、1年B組。
それが俺たちの所属するクラスだ。
昼休み。教室はいつものように騒がしいが、ある一角だけ、不可視の結界が張られたように静まり返っていた。
窓際の後ろから二番目。
そこに座っているのは、転校してきて一週間が経つ九条院アリスだ。
黒髪を揺らし、背筋を伸ばして文庫本を読んでいる。ただそれだけで、そこだけ空気が澄んで見える。
(……相変わらず、遠巻きにされてるな)
クラスメイトたちは、アリスをちらちらと見ているが、誰も話しかけようとはしない。
『高嶺の花』すぎて、どう接していいか分からないのだ。
美術館に飾られた国宝級の壺には、誰も触りたがらないのと同じ理屈だ。
対する俺、佐藤カケルは、隣の席にいる「その他大勢」の一人。
カースト上位でも下位でもない、空気のような存在――のはずだった。
「……カケル」
「うわっ」
アリスが隣の席の俺に声をかけてくる。
クラス中の視線が、一点に集中する。
教室がシン……と静まり返る。
まただ。最近、彼女が俺に話しかけるたびに、クラス中が「なんで佐藤?」という空気のクエスチョンマークで埋め尽くされる。
「どうした、九条院」
俺はあえて名字で呼んだ。学校では「アリス」とは呼ばないようにしている。これ以上目立たないための、俺なりの防衛策だ。
「放課後の予定を確保したいのです」
アリスは真剣な顔で、制服のポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「以前駅前で、このような『招待状』を入手しましたのを忘れていました」
「……招待状?」
俺が受け取ったのは、駅前で配られている『カラオケ砦・室料30%OFF』のティッシュ付きチラシだった。
「これ、ただの割引券だぞ」
「なんと。てっきり、選ばれし者だけが入場を許される音楽ホールへの切符かと」
「誰でも入れるよ。……で、行きたいのか?」
「はい。防音設備完備の個室にて、発声訓練を行いたいのです」
アリスの発言に、周囲の聞き耳を立てていた連中が「カラオケ!?」「あのお嬢様が!?」とざわめくのが聞こえた。
「わかった。じゃあ放課後な」
「契約成立ですね」
アリスは満足げに頷くと、招待状を学生カバンにしまった。
(……視線が痛い)
男子からの「なんでお前なんだよ」という嫉妬と、女子からの「どういう関係?」という好奇心。
俺の平穏な学校生活は、彼女によって着実に崩壊しつつあった。
◇ ◇ ◇
放課後。
俺たちは駅前のカラオケボックスの一室にいた。
「……狭いですね」
アリスは部屋に入るなり、眉をひそめた。
二人用の部屋は、俺の家のコックピット(六畳間)よりもさらに狭い。ソファに座ると、膝が触れ合いそうな距離だ。
(いや、本当に狭い。こんな狭い部屋があったのかというくらい狭い)
「密閉空間。薄暗い照明。防音壁……。ここは本当に歌う場所ですか? 秘密裏に尋問を行うための取調室では?」
「歌う場所だよ。ほら、座れ」
俺たちはドリンクバー(もちろんアリスは元を取ろうとしたが、俺が止めた)からウーロン茶を持ってきて、ソファに並んで座った。
「まずは機械の操作だ。このタブレットで曲を入れる」
「ふむ。検索機能付きのジュークボックスですね」
「アリスは何を歌うんだ? 知ってる曲あるのか?」
アリスは少し考え込み、タブレットを操作した。
「音楽の授業は履修済みです。私の十八番を披露しましょう」
送信ボタンが押される。
スピーカーから重厚なオーケストラのイントロが流れた。
(……え? この曲って)
画面に表示されたタイトルは『魔王』。
「お父ーさんー、お父ーさんー! 魔王がー!」
アリスがマイクを握りしめ、朗々とした美声で歌い出した。
ドイツ語ではないが、音楽の教科書に載っている日本語歌詞だ。
上手い。無駄に上手い。ビブラートが効きすぎて、部屋の壁が振動している。
(……カラオケで『魔王』歌うやつ、初めて見たわ)
曲が終わると、アリスは「ふぅ」と満足げにマイクを置いた。
「どうでしたか? 腹式呼吸は完璧だったはずです」
「いや、上手いけど……上手すぎて引くレベルだわ。カラオケってもっとこう、軽いノリで歌うもんだぞ」
「軽いノリ……?」
「例えば、今流行ってるアニメの曲とかさ。ほら、『デーバス』の主題歌なんて1期の曲なのに未だにランキング入りしてるぞ」
俺が言うと、アリスは悔しそうに唇を噛んだ。
「……『デーバス』。その主題歌も候補にはあったのですが」
「歌わないのか?」
「履修しようとしたのです。サブスクリプションでTVシリーズを視聴しようと。ですが……第1話開始ゼロ分で、画面がブラックアウトしました」
「あー……」
「『九条院フィルター』です。あの作品、敵の討伐描写が生々しいらしく、『教育上不適切』と判断されました」
なるほど。デーモンバスターはアクション作画が凄いことで有名だが、同時に首が飛んだり血が出たりするハードな描写も多い。
「ですので、主題歌の文脈が理解できず、断念しました。……カケル、相談なのですが」
「ん?」
「以前、ホラー映画は貴方の隣で鑑賞することで『セーフ』判定となりました。ならば、アニメも貴方の基地であれば、フィルターを回避できるのでは?」
(なんだその謎理論は!?)
「……まあ、俺ん家はペアレンタルコントロールはついてないけど」
「では、近日中に『デーバス鑑賞会』の開催を申請します!」
「はいはい、わかったよ」
また俺の部屋に招く口実ができてしまった。
まあ、俺も好きな作品だし、解説しながら観るのも悪くないか。
「で、次の曲はどうするんだ? デーバスが駄目なら」
「……分かりません。カケル、ご教授ください」
アリスが真剣な瞳で俺を見た。
「クラスメイトと円滑に交流するために最適な、一般的かつ大衆的な楽曲を」
「それなら、これだ」
俺は、誰もが知っている国民的なJ-POPバンドの曲を予約した。
アップテンポで、サビでタオルを回したくなるような曲だ。
「一緒に歌うぞ。ガイドボーカルつけてやるから」
「はい!」
俺たちはマイクを握り、狭い個室で声を張り上げた。
歌っている間、ふとアリスの方を見る。
彼女は歌詞を追うのに必死で、リズムに合わせて体を揺らしている。
その拍子に、彼女の肩が俺の肩にコツン、と当たった。
「あっ……」
アリスがこちらを向き、目が合う。
薄暗い照明の中、モニターの光に照らされた彼女の顔が、少し赤く見えた。
狭い。
改めて認識すると、この空間は異様に距離が近い。
防音扉で外界と遮断された、二人だけの密室。
歌うのを止めれば、互いの呼吸音が聞こえてしまいそうな静寂。
(……なんか、変な空気になったな)
曲の間奏中。
アリスがマイクを両手で握りしめ、ボソリと言った。
「……カケル」
「ん?」
「この部屋……歌うだけにしては、セキュリティが高すぎませんか?」
「まあ、防音だからな」
「……誰にも、聞こえないのですよね?」
「ああ」
アリスは周囲をキョロキョロと確認し、少しだけ俺の方へ体を寄せた。
(なになになに? なんだこれ)
「あの……相談があるのです」
「相談……って?」
「学校での、私の立ち位置についてです」
アリスの声のトーンが下がった。
さっきまでの『魔王』の迫力はどこへやら、少し弱気な声だ。
「誰も私に話しかけてくれません。私は……クラスに馴染めていないのでしょうか?」
(ああ、気にしてたのか)
俺は苦笑して、マイクのスイッチを切った。
「馴染めてないんじゃなくて、ビビられているんだよ」
「ビビられている?」
「お前、綺麗すぎるし、登校は黒塗りの車だし、雰囲気も高貴すぎるんだよ。みんな、どう接していいか分からないんだ」
「……私は、普通に接してほしいのですが」
アリスは寂しそうに俯いた。
その肩が小さく見えて、俺はつい、余計なことを言いそうになる。
――俺がいるだろ。
なんて、そんなことを言えるわけも無く。
俺は咳払いをして、タブレットを手に取った。
「ま、時間はかかるかもしれないけど、焦ることはないさ。とりあえず……」
「とりあえず?」
「今歌ったみたいな流行りの曲を覚えておけ。これをクラスの打ち上げとかで歌えば、ギャップ萌えで一発で人気者だ」
「……本当ですか?」
「おう。俺が保証する」
「ギャップ……萌え……。新しい概念ですね、覚えておきます」
アリスはパッと顔を輝かせ、「ご教授お願いします、師匠!」とマイクを構え直した。
密室のドキドキ感は、まだ俺たちには早すぎる。
今はこうして、バカみたいに歌っているくらいがきっと丁度いい。
次回 第11話:テスト勉強をファミレスでする意味が、私には分かりません




