表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
概念少女の庶民学(コモン・センス)~「概念は知っています」が口癖の箱入り令嬢と、牛丼の食べ方について議論する~  作者: 上山マヤ
一年生編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/50

第1話:深窓の令嬢と、130円の懐炉

 1月の風は、貧乏人の財布を狙い撃ちにするかのように冷たい。

 バイト帰りの夜道。俺、佐藤カケルは、かじかんだ指先でポケットの中の小銭を数えていた。


「百、百一、百二……よし、百三十円ある」


 全財産ではない。だが、今日の晩飯代を引いた余剰資金がこれだけだ。

 この百三十円を、目の前の自動販売機に投資して『あたたか〜い』缶コーヒーという名の暖を取るか。それとも、家に帰るまでガムシャラに走って自家発電で凌ぐか。

 それが問題だ。


 俺が経済と熱力学の狭間で葛藤していた、その時だった。


「……む」


 公園のベンチに、異物が鎮座していた。

 人間だ。それも、この極寒の空の下で、レースのあしらわれた薄手のドレス一枚という、自殺志願者みたいな格好をした少女だった。


 月明かりに透けるような艶のある黒髪。陶磁器のように白い肌。

 まるでショーケースの中のフランス人形が、そのまま抜け出してきたような美貌だ。

 だが、そのフランス人形は、小刻みに震えながらガチガチと歯を鳴らしていた。


「あ、あの……大丈夫ですか?」


 関わりたくない。でも、ここで見捨てて翌朝のニュースになるのはもっと嫌だ。

 俺が声をかけると、少女はゆっくりと顔を上げた。宝石のような碧眼が、俺を射抜く。


「……何かしら、庶民」

「いや、何かしらじゃなくて。めっちゃ震えてますけど」

「ふ、震えてなどいませんわ。これは、筋肉を高速収縮させることによる、熱エネルギーの生成実験です」

「それを震えてるって言うんだよ」


 強がり以前の問題だった。唇が紫色になっている。

 どうやら「迎えの車」とやらを待っているらしいが、連絡手段であるスマホのバッテリーが切れて立ち往生しているとのことだった。


「待ってろ。いま温かいモン買うから」

「……?」


 俺はなけなしの百三十円を握りしめ、自販機に向かった。

 少女がヒョコヒョコと、生まれたての子鹿みたいな足取りでついてくる。


「これが……自動販売機ベンディング・マシン……」

「初めて見たのか?」

「概念は知っています。硬貨を投入し、等価交換で物資を排出する無人店舗ですよね? 至近距離で見るのは初めてです」


 彼女はまじまじと、自販機のサンプル棚を見上げた。

 そして、眉間にシワを寄せる。


「……理解できません」

「何が?」

「なぜ『あたたか~い』と『つめた~い』が隣接しているのですか? これでは内部の断熱材にかかる負荷が非効率的です。それにこんなに沢山並んでいては、どれを選べばいいのか――」

「文句多いな! いいから飲むんだよ、温まるから!」


 俺は小銭を投入し、一番端のボタンを押した。


(あ、いつもの調子で缶コーヒーを選んじゃった。紅茶の方が良かったか? まあいいか)


 ピッ。ガコン!

 取り出し口に重い音が響く。

 すると少女は、ビクゥッ! と肩を跳ねさせた後、なぜか真剣な顔で、いま俺が押したプラスチックのボタンを凝視し始めた。


「……今の、何?」

「何って、ボタンだけど」

「押下した瞬間の、指先に伝わる反発キックバック……。ピアノの鍵盤より重く、タイプライターよりは軽い。そしてクリック音と共にランプが点灯する、このフィードバック……」


 彼女はおもむろに、白い指先を伸ばした。

 売り切れランプの点いている隣のボタンを押す。


 ポチッ。


「……っ!」

 少女の瞳が輝いた。


 ポチッ。ポチッ。ポチポチポチ。


「おい」

「素晴らしい……。このバネの弾性係数スプリング・レート、絶妙です。指先の神経を通じて、脳の前頭葉が直接マッサージされているような快感があります」

「あのー、お嬢様?」

「これは単なるスイッチではありません。現代人のストレスを解消するために計算され尽くした、至高の『無限プチプチ』装置……!」


(無限プチプチは知ってるのな)


 ポチポチポチポチポチ!


 無表情のまま、ものすごい速度で連打し始めた。

 俺は溜息をつき、彼女の細い手首を掴んで止める。


「ストップ。それ以上押しても何も出ないし、後ろに人が並んだら迷惑だろ」

「はっ……!」


 我に返った少女が、コホンと咳払いをする。耳まで赤くなっていた。


「こ、高尚な機構の解析を行っていただけです! 決して、指遊びが楽しかったわけではありませんわ!」

「はいはい。ほら」


 俺は取り出し口から缶コーヒーを掴み出すと、それを不意打ち気味に、少女の冷え切った頬に押し当てた。


「ひゃうっ!?」

「熱源だ。コーヒーの味なんてどうでもいい。今はそれが、130円で買える最強の懐炉カイロだ」


 少女は目を丸くし、渡されたスチール缶を両手で包み込んだ。

 冷え切った指先から、熱が伝わっていく。


「……温かい」

「だろ?」

「陶器のティーカップでは得られない、直接的な熱伝導……。物理法則は嘘をつきませんね」


 彼女は納得したように頷くと、プルタブに指を掛けようとした。


「……構造は理解しています。テコの原理を利用し、支点を中心に……」


 だが、カチカチと爪が当たる音がするだけで、缶は開かない。

 寒さで指がかじかみすぎて、力が入らないのだ。

 彼女は震える指先で何度もトライするが、プルタブはびくともしない。


「……機能不全です。指先の神経伝達が遅延しています」

「貸して」


 見かねた俺は、彼女の手から缶を取り上げた。

 指を掛け、軽い力で引き上げる。


 プシュッ。


 小気味よい音と共に、湯気がふわりと立ち上った。


「ほら」

「あ……」


 手渡すと、少女は少しだけバツが悪そうに、けれどほっとした顔で缶を受け取った。


「……感謝します」


 彼女は湯気の立つ飲み口に口をつけた。

 一口、こくりと飲む。

 顔をしかめるかと思ったが、彼女はほう、と白く長い息を吐いた。


「……苦い。それに、鉄の味がします」

「文句言うなら返せ」

「ですが……悪くありません。この安っぽい味も、今の私には『生存の味』として記録されました」


 そう言って、彼女が初めて年相応に微笑んだ、その時だった。


 キィィィィィッ!


 静寂を引き裂くブレーキ音と共に、目の前に黒塗りの高級セダンが滑り込んできた。

 ヘッドライトが俺たちを強烈に照らし出す。


「確保ォォッ!!」

「お嬢様ァァァッ!!」


 ドタドタと車から降りてきたのは、サングラスに黒服の男たち。どう見てもカタギではない。

 俺は思わず後ずさった。

 やはり、関わってはいけない相手だったのだ。


 一人の黒服が、少女の元へ駆け寄り、最敬礼をする。

 そして彼女の手にある空き缶に気づき、顔色を変えた。


「なっ、お嬢様! そのようなドブ水を! 直ちに処分を……貸してください、私が捨てて参ります!」


 黒服が手を伸ばす。

 だが。


「――触らないで」


 氷点下の声だった。

 さっきまでボタンをポチポチして遊んでいた少女とは、別人のような威圧感。

 彼女は空き缶を、まるで王笏おうしゃくか何かのように胸に抱いた。


「これは、貴重なサンプルです。私が持ち帰ります」

「は、はっ! 失礼いたしました!」


 少女は黒服たちを従え、車の後部座席へと向かう。

 そして乗り込む直前、一度だけ振り返った。


 ドレスの裾を優雅につまみ、完璧なカーテシー(淑女のお辞儀)を俺に見せる。


「貴方のおかげで、有意義な観測ができました。……この『鉄の味』と温もりは、忘れません」


 バタン、と重厚なドアが閉まる。

 車はそのまま、夜の闇へと消えていった。


 あとに残されたのは、冷たい風と、再び一人になった俺だけ。


「……完璧な所作だったな」


 俺はポケットに手を突っ込み、小さく苦笑した。

 住む世界が違うってのは、こういうことか。名前も聞かなかったが、俺みたいな貧乏学生が関わっていい相手じゃない。


 さようなら、変なお嬢様。

 もう二度と、会うこともないだろう。

次回 第2話:翌日、クラスに転校してきた彼女が、なぜか空き缶を筆箱として使っている件

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ