船上の夜 - 2
語り:ミレイユ・カロ
甲板の上を渡る風は、昼間よりずっと優しかった。
帆が軋む音も、波が船腹を叩く音も、今はすべてが遠い。
夜空には雲がなく、星がやけに近く見えた。
月は半分ほど欠けていて、その光が海に細い道を作っている。
ダリウスは、しばらく黙ったまま、星を見上げていた。
オレンジはもう食べ終わっている。
「俺は……間違いなく無力だ。」
ダリウスの低い声。
私を向いた様子はない。
「婦女子を守るは騎士の務めだが、俺は、肝心なところで何もできていない。」
風が、彼の髪を揺らした。
月明かりに照らされた横顔は、戦場で見るそれよりもずっと静かだ。
「剣も弓も、人相手なら役に立つ。
……だが、魔物となると話が違う。」
短く息を吐く。
「昼間のハーピーの時だって、セラと鵺が前に出て、俺は後ろで見ていただけだ。」
そんな言い方はない、と思った。
けれど、ここで「強い」と言っても、彼の言葉は届かないだろう。
私は、夜空に視線を戻した。
「……星、綺麗ですね。」
「……ああ。」
「昨晩は船旅に慣れてなくて、星を綺麗と思う余裕なんてありませんでした。」
月の光が、波に砕ける。
船が揺れるたび、その道は歪み、また繋がる。
「ダリウスは……力の話をしていますけど――」
私は言葉を選んだ。
「私は、力だけで守られているとは思っていません。」
ダリウスが、こちらを見る気配がした。
「戦場に立って、剣を振るえる人は、たくさんいます。
でも……」
少し、風が強くなる。
帆が大きく鳴った。
「守ると決めて、そばにい続けてくれる人は、そう多くないと思います。」
私は、手すりに置いた指に力を込める。
「怖くても、逃げてもいい場面で、それでも残ってくれる人がいる。
それだけで、心が落ち着くんです。」
ダリウスは、何も言わなかった。
ただ、月を見ている。
「……力が足りない、と感じるのは――」
私は続けた。
「それだけ、ちゃんと向き合っているからじゃないですか。」
風が、私たちの間を通り抜ける。
「どうしたらダリウスの憂いが晴れるのか……正直、私には分かりません。」
正直な言葉だった。
「でも、私たちの助けになろうとしてくれる意志は……とても、心強いです。」
ダリウスが、小さく笑った。
「……意志、か」
「はい」
私は頷く。
「力は、比べられます。
でも、意志は……比べようがありません。」
月が、雲の縁にかかる。
光が少しだけ弱まった。
「私は、意志のほうが……安心できます。」
しばらく、二人とも黙っていた。
星は変わらず瞬き、
船は風を受けて進み続ける。
ダリウスが、ぽつりと言った。
「……それでいいのかもしれないな。」
それが、答えなのかどうかは分からない。
でも、少なくとも今夜の海は、否定しなかった。
私は、再び空を見上げた。
星と星の間に、ほんのわずかな余白がある。
その余白に、今は言葉を置かなくてもいいと思えた。




