海戦 - 9
語り:ミレイユ・カロ
ダリウスの指示に従い、私たちは即座に動いた。
上空の褐色翼を気にしながら、私はセラの側へ寄った。
ダリウスは半歩前、クラリスはセラの反対側。
四人が自然に菱形を作る。
ダリウスは弓を構えたまま、空を睨んでいる。
矢は一本だけつがえるだけで、引き絞らない。
肩の傷口はまだ完全には塞がっていないはずなのに、彼の呼吸は乱れていなかった。
セラは、顔を歪めていた。
歯を噛み、喉の奥で息を止めている。
鵺の痛覚が、彼女へ流れ込んでいるのだろう。
海にたたきつけられた痛み。
鉤爪が食い込む痛み。
「セラ……!」
クラリスが、堪らないとばかりに右手を差し出した。
癒しの腕輪が淡く光る。
クラリスの手がセラの肩に触れると、セラの呼吸がわずかに整った。
痛みが和らいだのだろうか。
セラの瞳に闘志が宿る。
そのとき――空が動いた。
ハーピー・クイーンが、鵺を掴んだまま再び落ちる。
急降下する姿は、残酷なまでに優雅だった。
次の瞬間、海面が爆ぜた。
鵺が叩きつけられ、水柱が立つ。
船体がわずかに揺れた。
「――ああっ!」
セラが悲鳴を上げた。
声が掠れている。
セラは甲板に手をつき、指先で木を掴むように力を込めた。
クラリスがさらに強く手をかざし、癒しの光が震える。
海面に黒い影が浮かぶ。
鵺が浮上した瞬間――
金翼がすでに上にいる。
影が重なる――掴んだ。
また引き上げられる。
セラの顔が、再び歪む。
だが次の瞬間、鵺が体を激しく振った。
尾がしなり、蛇が跳ねる。
私は思わず目を凝らした。
鵺の尻尾――蛇が、ハーピー・クイーンの脚に噛みついたのだ。
金翼の脚がわずかに痙攣する。
ハーピー・クイーンが、ほんの小さく身を震わせた。
悲鳴は大きくない。
だが、その表情がわずかに崩れたのが分かった。
次の瞬間、鉤爪が緩む。
掴み上げられていた鵺が、宙で放たれた。
落ちる――と思ったのは一瞬だけだった。
鵺は空中で体を丸め、前肢を伸ばし、見えない足場を踏んで姿勢を立て直した。
甲板の上で、セラが息を吐く。
クラリスの癒しが効いているのか、痛みの波が一度途切れたようだ。
「……ありがとう。」
セラがクラリスに短く礼を言う。
そして彼女は顔を上げ、空の金翼を真っ直ぐに睨みつけた。
距離がある。
表情など読み取れないはずなのに――
私には、ハーピー・クイーンがニヤリと笑ったように見えた。
鵺が吠える。
風が唸り、黒い影が跳ぶ。
猛然と宙を駆けて、ハーピー・クイーンへ迫った。
今の鵺は、以前よりはるかに速い。
ヴァレリーと出会った森での出来事を経て、鵺は明らかに速く、強くなった。
けれど――追いつかない。
ハーピー・クイーンはくるりと背を向け、距離を保ったまま滑るように逃げる。
逃げるというより、追わせている。
空の流れを読んでいるのか、鵺が加速する分だけ、同じだけ先へ伸びる。
それは追跡ではなく、空中の駆け引きだった。
(速い……あれほど速いのに、届かない?)
胸の奥がざわつく。
そして、その瞬間を待っていたかのように――二匹の褐色翼が動いた。
こちらへ突っ込んでくる。
低く、速く、一直線ではなく、波を打つような軌道で。
ダリウスが弓を引く。
一本、放つ。
間髪入れず二本目。三本目。四本目。五本目。
同時に射たのかと錯覚してしまう。
矢が置かれていく。
空の逃げ道に、次々と杭が打たれるように。
褐色翼の二匹は、左右へ逸れ、上へ跳ねて矢を躱す。
反転して距離を取り、再び空へ上がった。
距離を置いたまま、ギャーギャーと騒ぎ立てる。
言葉には聞こえない。
ただ、会話のようにリズムがある。
――やがて、二匹は方向を変えた。
遠くの船へ。
こちらから一番離れた、ノルドハイムの船だ。
「……まさか」
嫌な予感が、胸を刺す。
褐色翼が、甲板へ降りる。
姿勢が跳ね、翼がばたつく。
遠すぎて細部は見えない。
だが、動きが戦闘ではないことだけは分かる。
楽しそうに跳ね回っている。
獲物の上で遊ぶように。
船の上には、倒れている人間がいるはずだ。
歌のせいで動けない者が大勢いる。だから――
(虐殺が始まった)
理解した瞬間、胃の奥が冷えた。
助けに行けない。
空を飛べない限り、手が届かない。
凄惨さを想像するほど、胸が痛む。
己の無力さが、同じ形で痛い。
ダリウスが、苦しそうに吐き出した。
「……あれじゃ、どうしようもない」
低い声を絞り出す。
手段がないことに苛立っているようだ。
「そんな……!」
クラリスが悲鳴に近い声を上げた。
「あの船には、うちの水夫がいるの。
見殺しにはできないわ!」
彼女の肩が震えている。
癒しの手を止めたまま、遠くの船を睨んでいる。
その目は、怒りと恐怖が滲んでいた。
私は言葉を失った。
空では、ハーピー・クイーンと鵺がまだ空中の駆け引きを続けていた。
鵺が迫る。
ハーピー・クイーンがその先を行く。
追いつけない距離を、絶妙に保っている。
そして、その下で――私たちは地に縫い付けられたまま、なす術がなかった。




