海戦 - 8
語り:ミレイユ・カロ
船首に降り立った金色の翼は、戦いの只中にあってなお、異様なほど静かだった。
羽ばたきは最小限。
風を押し退けるのではなく、風が彼女を避けて流れていくように見える。
金翼のハーピーは、唇の端をわずかに持ち上げた。
それは余裕ある表情だった。
「また会ったわね、お嬢さん。」
声はよく通る。
張っているわけでもないのに、甲板の端から端まで澄み切って届いた。
セラは一歩も退かず、真正面からその視線を受け止める。
「私は会いたくなかったけどね。」
短く、突き放すように。
それを聞いて、金翼のハーピーはくすりと笑った。
「そう? でも、これも運命よ。」
その言い方は、抗えない流れを、あらかじめ承知している口調だった。
私は息を詰め、目を離せずにいた。
――美しい。
金色の翼は、単に派手なのではない。
光を受けて輝くというより、もともとその色で空間が構成されているような錯覚を覚える。
人の身体に近い輪郭を持ちながら、決定的に異なる線。
肩から背にかけての羽根の付け根、腰の動き、脚の長さ。
感情の入り込む余地を最初から排したような、完成された造形がそこにあった。
(……女王だ)
私は心の中で、そう呼んだ。
ハーピー・クイーン。
ほかにふさわしい呼び名が思い浮かばない。
裸というわけではない。それなのに――
ちらりと横を見ると、ダリウスが視線の置き場に困っているのが分かった。
戦士としての緊張とは別の種類の居心地の悪さ。
無防備な色気ではないからこそ、目を逸らす理由も見つからないのだろう。
ハーピー・クイーンは、ふと視線を逸らし、鵺を見た。
「ずいぶん成長したようね。」
目を細める。
その仕草に、敵意はない。
だが、鵺は低く唸り、風をまとって身構えた。
虎の前肢が甲板の上で踏みしめられ、空気が張りつめる。
ハーピー・クイーンは気にした様子もなく、再びセラに向き直った。
「あなたは風に選ばれたのかしら。それとも――あなたが風を選んだの?」
セラは一瞬、鵺に視線をやる。
その目には、確かな繋がりがあった。
そして、ハーピー・クイーンへ視線を戻す。
「選ばれたみたいよ。」
迷いのない声だった。
ハーピー・クイーンは、満足そうに頷く。
「素敵ねぇ。」
だが次の瞬間、その声色が変わった。
空気が冷える。殺気が、ゆっくりと滲み出す。
「けれど……私たちの“食事”の邪魔をするばかりか、またも“娘”を害されたとあっては――」
翼がわずかに開く。
美しい。
そう思ってしまうほど、無駄のない動き。
「お仕置きが必要ね。」
私は背筋が凍るのを感じた。
(“娘”……褐色翼のハーピーのこと、よね)
セラは視線を逸らさない。
「食事? それが生きる使命じゃないの?」
張り詰めた声。
だが、揺れてはいない。
ハーピー・クイーンは感心したように笑った。
「よく勉強したみたいね。
褒めてあげるわ。」
そして、翼を大きく広げた。
「だから――私がお相手してあげる。
感謝しなさい。」
次の瞬間、彼女は空へ跳んだ。
あまりにも優雅に、けれど高速で、誰も反応できなかった。
気づいたときには、すでに高空にいる。
そして――
一点に収束するかのような急降下。
「――っ!」
声にならない叫び。
ハーピー・クイーンは鵺を両足の鉤爪で掴み、そのまま空へ連れ去った。
鉤爪が食い込む。
セラが息を詰め、顔を歪めた。
「くっ……!」
痛覚を共有している。
ハーピー・クイーンは高く舞い上がり、反転する。
次の瞬間、猛然と落下。
鵺が、その勢いのまま海へ叩きつけられた。
大きな水しぶきが上がる。
「――ああっ!!」
セラの悲鳴が上がる。
クラリスが堪らないとばかりに駆け出した。
「セラ!」
「伏せろ!」
ダリウスが叫び、クラリスに飛びかかって押し倒す。
その直上を、褐色翼のハーピーが飛び去った。完全に狙っていた。
空で、二匹のハーピーがギャーギャーと楽しそうに鳴きながら旋回する。
海面が割れ、鵺が姿を現す。
その瞬間、ハーピー・クイーンが再び掴み、空へ昇っていった。
「……くそっ。」
ダリウスが歯を食いしばる。
「全員、セラの近くに集まれ! 個別に狙われるわけにはいかない!」
私たちは従う。
だが、鵺は空にある。
守る者が引き離され、
狙われる側だけが残されたこの状況で――
(……生き残れるの?)
不安が、はっきりと形を持って胸に広がっていった。




