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聖環  作者: 北寄 貝


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海戦 - 7

語り:ミレイユ・カロ

 セラが舌打ちした。

 甲板の縁に立ち、空を睨み上げたまま、吐き捨てるように言う。

「追いかけっこよ。

 馬鹿にされてるみたい。」

 褐色の翼がこちらへ寄っては退き、鵺が割り込めば別角度から影が差す。

 守らせ、戻させ、削る。

 二百メートル先で始まったはずの戦いは、いつの間にか百、八十、そして今は、もう目と鼻の先で起きていると言っていい距離まで縮んでいた。

 私は胸の奥の焦りを押し込み、ダリウスに向き直った。

「ダリウス……私、魔化すべきでしょうか。」

 彼は矢筒に指をかけたまま、首だけをこちらへ寄せて、即座に否定した。

「だめだ。」

 言葉は短いが、理由は明確だった。

「四匹が一体で来てる。

 今、制御不能な味方が増えるのはまずい。」

 耳に痛い。

 好き勝手動かれたら、きっと邪魔なのだろう。

 だが、何もしないよりは――と、焦りが口を滑らせたのだ。

「……分かりました。」

 言葉だけは整えたが、声が少し沈んでしまった。

 ダリウスは空へ視線を戻し、セラへ告げた。

「セラ。最初に鵺が一撃入れたやつの動きが鈍い。

 あれを潰せ。」

 セラが眉を寄せる。

「ここを離れたら、こっちが手薄になる。

 皆を守れない。」

 だが、ダリウスは引かなかった。

「このままじゃジリ貧だ。

 潰せるところから潰す。

 数を減らさなければ局面を変えられない。」

 セラは、ダリウスに賛同していないのかもしれない。

 けれど、次の瞬間――その目が定まった。

「……分かった。」

 セラが遠目に見える、翼の動きが噛み合っていない個体を見据える。

 傷の部位は分からない。

 ただ、他より一拍遅れる。

 その「遅れ」だけが目印だった。

 鵺が、風を踏んで走った。

 狙われた褐色翼は、こちらを狙うのをやめたのか、鵺をセラから引き離すように、私たちとは逆の方向へ飛び去った。

 残った三匹が動く。

 それぞれが迂回し、左、右、上と異なるルートでこちらへ向かう。

 互いの間隔が、じわじわと詰まっていく。

 ――狙いが一点に絞られている。

 その意図が、ここに来て私にもはっきり分かった。

 セラだ。

「ダリウス!」

 セラが叫ぶ。

 ダリウスは矢をつがえる。だが弓は引かない。

 腕を伸ばし、体は静止したまま、視線だけが獲物を追っている。

 明らかに何かを待っているのだ。

 距離が縮む。

 七十、六十――五十を切ったかというところで。

 ダリウスが動いた。

 溜めていた息を一気に吐くような、鋭い一歩。

 体重移動が滑るように決まり、弓が弧を描いてしなり、矢が空へ解き放たれる。

 迷いがない。

 見てから撃ったのではない。

 来る場所へ置いた――そんな射だった。

 右から来た褐色の影が、ひとつ弾けるように揺れた。

 次の瞬間、頭部が後ろへ跳ねる。

 褐色翼が回転し、海へ落ちていく。

(……すごい、当てた)

 感嘆というより、驚愕に、声が漏れそうになる。

 だが、私がその結果を噛みしめるより早く、ダリウスはもう次の矢をつがえている。

 二本目。

 狙いは、左からくる個体。

 矢は一直線に伸びる。空を裂く線だ。

 ハーピーが反転する。翼を畳み、体を裏返し、矢を避ける。

 だが、避ける代償として、セラへ突っ込む軌道から外れていった。

 狙いを外させただけで十分だ。

「……次」

 ダリウスが三本目に移ろうとした、その瞬間。

 残った一匹が、進路を変えた。

 狙いがセラから――ダリウスへ。

 一気に間合いが詰まる。

 鉤爪が振るわれる。

 ダリウスが身をよじる。

 肩を引き、胸を捻る。

 だが、間に合わない。

 肩口が裂けた。

 血が一瞬、霧のように散り、遅れて赤い筋が衣服を染める。

「ぐあぁっ――!」

 今度は、音が届いた。

 距離が近い。甲板の上の悲鳴は、否応なく耳を打つ。

「ダリウス!」

 クラリスが叫び、セラの表情が凍る。

 私は反射的に一歩前へ出かけ、止まった。

 今、私が動けることは何もない。

 ダリウスは歯を食いしばり、肩を押さえながら、それでも視線を空へ戻した。

「気にするな! セラ、早く潰せ!」

 痛みを押し殺した声だった。

 命令というより、叫びに近い。

 セラは唇を噛み、意識を鵺へ向ける。

 鵺は、遠い。

 だが、確実に追いついていた。

 私の目には、黒い影が褐色の影に重なり、次の瞬間、褐色が回転しながら海へ落ちていく様子が見えた。

 鵺が反転する。

 今度は猛然と、こちらへ戻ってくる。

 風の道が太くなる。空気の密度が変わる。

 近づくにつれて、黒い毛並みの輪郭が鮮明になる。

「クラリス……癒しを……頼めるか……」

 ダリウスの絞り出すような声。

 クラリスが、はっと我に返ったように目を見開いた。

「わ、分かった!」

 彼女は駆け寄り、ダリウスの肩へ手をかざす。

 癒しの腕輪が淡く光り、彼女の掌の下で、傷口の赤がゆっくりと収束していくのが見えた。

 空では、矢を避けたハーピーが、金色の翼のもとへ退いていった。

 鵺がこちらへ戻る。

 黒い影が甲板の上空を横切り、風が帆の残骸を揺らした。

 そのとき。

 金色の翼が、ゆっくりと降り始めた。

 歌声が――止んだ。

 あの、意識を引きずるヴォカリーズが、ふっと途切れる。

 金翼のハーピーは、褐色翼を引き連れ、優雅に滑空してきた。

 こちらへ向かう軌道には、焦りがない。

 空気を切る角度さえ、見せつけるように美しい。

 そして、船首へ降り立った。

 金色の翼が畳まれ、頭がこちらへ向く。

 妖艶な笑み。

 私たちはこの笑みを知っている。

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