海戦 - 4
語り:ミレイユ・カロ
ダリウスが帝国船に飛び移った瞬間から、甲板は地獄になった。
傭兵たちが一斉に雪崩れ込み、剣と盾がぶつかる乾いた音が重なる。
怒号、罵声、命乞い――それらが一塊になって、空気を震わせていた。
私は少し離れた位置から、その光景を見ていた。
近づくべきではないと、本能が告げている。
ダリウスは、ためらわなかった。
振り下ろす剣に躊躇はなく、振り抜いた後に振り返ることもない。
相手が武器を落としたかどうか、膝をついたかどうか――
そんなことは、彼の動きを一瞬たりとも止めなかった。
踏み込み、斬り、押し返し、また次へ。
そこにあったのは怒りでも興奮でもなく、
必要な動作を、必要な順に実行しているだけという印象だった。
容赦がない、というより、感情が介在していない。
敵を「敵」として認識していないかのような、障害物を排除する作業に近い動き。
それが、かえって凄惨だった。
血が甲板に飛び散り、誰かが海へ落ちる。
悲鳴が途切れ、別の悲鳴が上がる。
それでも、戦況は明らかにこちらに傾いていた。
帝国兵の動きは鈍り、数も減っていく。
抵抗は散発的になり、剣を持つ腕が震え始めている。
セラは、いつの間にか投石をやめていた。
彼女は戦況を見極め、もう介入の必要がないと判断したのだろう。
ただ、矢を射られる警戒は解いていないようだった。
そのときだった。
「この船、乗っ取ったぞ!」
傭兵の一人が、掠れた声で叫んだ。
帝国兵の抵抗が完全に崩れたようだった。
帝国兵で立っているものは誰もいない。
皆殺し、というわけではないと信じたいけれど、どうだろう。
私は、胸の奥に溜めていた息を、ようやく吐くことができた。
(……ひとまず)
目先の戦闘には、勝った。
だが、それで終わりではない。
自然と視線を海へ向けていた。
「……ほかの船は?」
視界の先では、まだ戦いが続いていた。
帝国船とノルドハイムの船が並走し、互いに弓を射かけ合っている。
矢が宙を交差し、海面に突き立ち、時折、人が倒れるのが見えた。
「助けに行くぞ!」
誰かの声で、甲板が再び動き出す。
索具が引かれ、弓が用意され、指示が飛ぶ。
――その最中。
(……音?)
最初は、風のせいだと思った。
帆の残骸が擦れる音、索具が鳴る音――
その延長にある、曖昧な響き。
だが、消えない。
一定の高さを保ち、重なり、うねる。
歌のようなもの。
気のせいかと思い、もう一度耳を澄ます。
やはり、聞こえる。
隣にいたセラに声をかけた。
「セラ……何か、聞こえませんか?」
セラは一瞬だけ目を閉じ、すぐに頷いた。
「ええ。……聞こえる。」
その時点で、偶然ではないと確信した。
歌は、次第にはっきりしていく。
言葉はない。
それなのに、意識に触れてくる。
最初に倒れたのは、水夫だった。
次に、弓を構えていた傭兵が膝をつく。
甲板にいる者が、一人、また一人と崩れていく。
(……歌がはっきりするほど、倒れる者が増えている)
空から、はっきりとしたヴォカリーズが降ってくる。
私は、反射的に空を見上げた。
五つの影が、旋回していた。
翼を持つ人型――
ハーピー。
その中で、一匹だけ。
金色の翼を持つ個体がいた。
胸の奥が、冷たく締めつけられる。
――あの時の。
アルビオン島からフランカ帝国へ渡る、その途中。
私は、忘れていたのではないのだと理解してしまった。




