敵国の港 - 3
語り:ミレイユ・カロ
当主は、ヴァレリーからの手紙を最後まで黙って読んだ。
途中で何度か視線が止まり、
読み返すように指で紙をなぞる。
やがて、机の上に手紙を置き、静かに息を吐いた。
「……王子からの頼みだということは分かった。」
そう前置きしてから、こちらを見る。
「だが、今は船は出せん。」
即答だった。
セラが何か言いかけたが、当主は先に続ける。
「この数か月で、仲間の船が何隻もやられた。
帝国の海軍だけじゃない。
正規の艦に紛れて、私掠船まがいの連中も動いている。」
机の端を、指で軽く叩く。
「うちの船も、すでに二隻やられている。
積荷も、人もだ。」
淡々とした口調だったが、その事実の重さに、私は息をのんだ。
――そういえば。
クラリスがフランカ帝国にいた理由も、拿捕された船の追跡だった。
「正規の航路に船を出せば、今度は何が沈むか分からん。」
当主は視線を上げる。
「それでも、手を打たないわけにはいかない。」
少し間を置いてから、言った。
「商船に見せかけた船を出す。
積荷は偽装、乗員の一部にノルドハイムの兵――傭兵も含める。」
私は、思わず背筋を伸ばした。
「帝国の船が食いついてきたところを、返り討ちにする。
海賊退治だ。
成功すれば、その船はアルビオン島の港に寄り、その後、アムステルへ戻る。」
そして、はっきりと言う。
「正直に言えば、今、アルビオン島へ渡るには、その船に乗る以外、手はない。」
選択肢が限られていることは、嫌というほど伝わってきた。
「猶予は一晩だけだ。
よく考えろ。」
当主はそう締めくくり、視線をクラリスに向ける。
「泊まる場所は?」
「用意します。」
クラリスが即座に答えた。
「……今日はここまでだ。」
私たちは一礼し、部屋を出た。
廊下に出た瞬間、私はようやく息を吐いた。
――なるほど。
簡単に船が出ないわけだ。
クラリスが案内してくれた宿屋は、港から少し離れた場所にあった。
一階は食堂になっていて、仕事終わりの船乗りや職人たちで賑わっている。
木の机に、粗削りの椅子。
煮込みの鍋から、湯気と香りが立ち上っていた。
「こういうところのほうが、気を使わなくて済むでしょ。」
クラリスが言う。
「当主の部屋は、さすがに疲れるし。」
「本当に……」
私は正直に頷いた。
料理が運ばれてきて、しばらくは無言で食べる。
温かさが、少しずつ体に染みてくる。
「戦争には巻き込まれたくなかったのだけどなぁ……」
セラは海賊退治に後ろ向きだ。
続けて、ダリウスがぽつりと言った。
「……俺は、帝国の兵と剣を交えることになるかもしれない。」
低い声だった。
セラが、手を止めて彼を見る。
「迷ってる?」
「……正直に言えばな。」
ダリウスは苦く笑った。
「昔の仲間と、敵として会う可能性もある。」
私は、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。
「……私。」
思わず口を挟む。
「私が傭兵、って……無理がありませんか?」
自分で言っていて、少し情けなくなる。
ダリウスは、ちらりと私を見た。
「ない。」
「え?」
「船に乗るなら、そう言い張るしかない。
他に名目はない。」
セラが、くすっと笑った。
「じゃあ、今のうちに鍛えてもらえばいいじゃない。」
「えっ?」
「傭兵を名乗るなら、それっぽく。」
そう言って、ダリウスを見る。
「ね?」
「……容赦しないぞ。」
真顔で返されて、思わず身をすくめる。
「じょ、冗談ですよね?」
「どうだろうな。」
クラリスが、その様子を見て笑った。
「まあ、やるしかないって顔してるわね、あなたたち。」
私はスプーンを置き、改めて三人を見る。
「戦うのは……怖いですけど……」
正直な気持ちだった。
「ここまで来て、何もしないで帰るほうが、もっと怖い気がします。」
セラが、小さく頷いた。
「ええ。私も。」
ダリウスは、短く息を吐いて言った。
「……やるしかないな。」
誰も、否定しなかった。
食堂のざわめきの中で、私たちは静かに、同じ結論に辿り着いていた。




