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聖環  作者: 北寄 貝


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80/110

敵国の港 - 3

語り:ミレイユ・カロ

 当主は、ヴァレリーからの手紙を最後まで黙って読んだ。

 途中で何度か視線が止まり、

 読み返すように指で紙をなぞる。

 やがて、机の上に手紙を置き、静かに息を吐いた。

「……王子からの頼みだということは分かった。」

 そう前置きしてから、こちらを見る。

「だが、今は船は出せん。」

 即答だった。

 セラが何か言いかけたが、当主は先に続ける。

「この数か月で、仲間の船が何隻もやられた。

 帝国の海軍だけじゃない。

 正規の艦に紛れて、私掠船まがいの連中も動いている。」

 机の端を、指で軽く叩く。

「うちの船も、すでに二隻やられている。

 積荷も、人もだ。」

 淡々とした口調だったが、その事実の重さに、私は息をのんだ。

 ――そういえば。

 クラリスがフランカ帝国にいた理由も、拿捕された船の追跡だった。

「正規の航路に船を出せば、今度は何が沈むか分からん。」

 当主は視線を上げる。

「それでも、手を打たないわけにはいかない。」

 少し間を置いてから、言った。

「商船に見せかけた船を出す。

 積荷は偽装、乗員の一部にノルドハイムの兵――傭兵も含める。」

 私は、思わず背筋を伸ばした。

「帝国の船が食いついてきたところを、返り討ちにする。

 海賊退治だ。

 成功すれば、その船はアルビオン島の港に寄り、その後、アムステルへ戻る。」

 そして、はっきりと言う。

「正直に言えば、今、アルビオン島へ渡るには、その船に乗る以外、手はない。」

 選択肢が限られていることは、嫌というほど伝わってきた。

「猶予は一晩だけだ。

 よく考えろ。」

 当主はそう締めくくり、視線をクラリスに向ける。

「泊まる場所は?」

「用意します。」

 クラリスが即座に答えた。

「……今日はここまでだ。」

 私たちは一礼し、部屋を出た。

 廊下に出た瞬間、私はようやく息を吐いた。

 ――なるほど。

 簡単に船が出ないわけだ。


 クラリスが案内してくれた宿屋は、港から少し離れた場所にあった。

 一階は食堂になっていて、仕事終わりの船乗りや職人たちで賑わっている。

 木の机に、粗削りの椅子。

 煮込みの鍋から、湯気と香りが立ち上っていた。

「こういうところのほうが、気を使わなくて済むでしょ。」

 クラリスが言う。

「当主の部屋は、さすがに疲れるし。」

「本当に……」

 私は正直に頷いた。

 料理が運ばれてきて、しばらくは無言で食べる。

 温かさが、少しずつ体に染みてくる。

「戦争には巻き込まれたくなかったのだけどなぁ……」

 セラは海賊退治に後ろ向きだ。

 続けて、ダリウスがぽつりと言った。

「……俺は、帝国の兵と剣を交えることになるかもしれない。」

 低い声だった。

 セラが、手を止めて彼を見る。

「迷ってる?」

「……正直に言えばな。」

 ダリウスは苦く笑った。

「昔の仲間と、敵として会う可能性もある。」

 私は、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。

「……私。」

 思わず口を挟む。

「私が傭兵、って……無理がありませんか?」

 自分で言っていて、少し情けなくなる。

 ダリウスは、ちらりと私を見た。

「ない。」

「え?」

「船に乗るなら、そう言い張るしかない。

 他に名目はない。」

 セラが、くすっと笑った。

「じゃあ、今のうちに鍛えてもらえばいいじゃない。」

「えっ?」

「傭兵を名乗るなら、それっぽく。」

 そう言って、ダリウスを見る。

「ね?」

「……容赦しないぞ。」

 真顔で返されて、思わず身をすくめる。

「じょ、冗談ですよね?」

「どうだろうな。」

 クラリスが、その様子を見て笑った。

「まあ、やるしかないって顔してるわね、あなたたち。」

 私はスプーンを置き、改めて三人を見る。

「戦うのは……怖いですけど……」

 正直な気持ちだった。

「ここまで来て、何もしないで帰るほうが、もっと怖い気がします。」

 セラが、小さく頷いた。

「ええ。私も。」

 ダリウスは、短く息を吐いて言った。

「……やるしかないな。」

 誰も、否定しなかった。

 食堂のざわめきの中で、私たちは静かに、同じ結論に辿り着いていた。

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