迷い - 5
語り:ミレイユ・カロ
目を開けると、すぐそばにセラがいた。
ぼんやりとした視界の中で、彼女は私に手をかざしている。
指先には、淡い光が宿っていた。
「……セラ、様……?」
「起きたのね。」
ほっとしたような声だった。
私は慌てて起き上がろうとして――すぐに顔をしかめた。
身体のあちこちが、鈍く悲鳴を上げる。
「だ、だめ……まだ動かないで。」
セラが少し強い口調で言い、癒しの手を離さない。
「無茶すぎるわ。ほんとに。」
たしなめる声。
でも、その目は怒ってはいなかった。
「……でも」
一瞬、言葉を探すように視線を泳がせてから、
「あなたのおかげで……何か、つかめそうな気がするの。」
そう言って、小さく笑った。
「ですから……その……たまたま、です。
私、何も考えていませんでしたし……」
私は気恥ずかしくなって、視線を逸らす。
「それが一番怖いのよ。」
セラは苦笑した。
「ローズから借りた、この癒しの腕輪……
思った以上に、消耗するわね。」
ふう、と息を吐く。
「カテドラの森で、あなた……
こんな大変な思いをして、私を助けてくれたのね。」
その言葉に、記憶がよみがえった。
湿った森の空気。
不意を突いて次々と現れた大ムカデ。
恐ろしくて、それでも逃げられなくて。
「……あの時は、必死でした。」
それ以上は、言えなかった。
「やっぱり起きてたか。」
低い声がして、顔を上げる。
ダリウスが、腕を組んで立っていた。
「君は本当に、突拍子もないことをする女だな。」
半ば呆れたような顔。
「えへへ……」
思わず、笑ってしまう。
「でも、シメオンさんなら……
私の気持ち、分かってくれると思うんです。」
「そうかもしれないが……」
ダリウスは肩をすくめた。
「君の行動は、命がけな場合が多すぎる。
見ているほうが、ひやひやする。」
「ほんとに、そう。」
セラも、即座に同調した。
そのとき、ローズが近づいてきた。
「ミレイユさん、大丈夫ですか?」
「はい……もう、痛みも……」
そう答えたところで、身体の違和感がすっと消えたことに気づく。
「私が疲れてしまったので、代わりに、セラさんが癒してくれているのです。」
ローズは申し訳なさそうに言った。
私は、ゆっくりと身体を起こした。
「……ありがとうございます、セラ。」
「ええ。」
セラは頷き、癒しを終えると、腕輪を外した。
「ローズ、ありがとう。
本当に助かったわ。」
丁寧に礼を言い、腕輪を返す。
「……あの。」
ふと、気になって尋ねる。
「ダリウスさんも、癒されたということは……
私、襲ってしまったんでしょうか。」
「俺が、けんかを売ったせいだ。気にするな。」
ダリウスは即答した。
「……すみませんでした。」
「もういい。」
その様子を見て、ローズが小さく息を吐いた。
「自分の命を顧みない行動……
正直、感心しました。」
その肩に、ふわりとチョンチョンが舞い降りる。
「ほんとほんと。
なかなかできることじゃないよ。」
「い、いえ……」
顔が熱くなる。
「私たちはヴァレリー王子を追います。
……行きましょう。」
チョンチョンにそう言って、デュラハンの馬車へ向かう。
馬車に乗り込もうとしたローズが、ふいにこちらを振り返った。
「ミレイユさん。」
呼ばれて、反射的に背筋が伸びる。
ローズは一歩戻ってきて、私の前に立つと、ためらいなく右手を取った。
温かい、というより――迷いのない手だった。
「あっ……指輪……」
自分の声が、少し上ずったのが分かる。
ローズは私の手の甲に視線を落としたまま、静かに言った。
「これは、あなたに差し上げます。」
「……え?」
「私からのお礼です。」
「お礼……ですか?」
思わず聞き返してしまう。
ローズは小さく息をついた。
「王子に"帰れ"と言われたとき……」
一瞬だけ、視線が遠くなる。
「自分の想いを、切り捨てられたような気がしました。」
胸が、ちくりと痛んだ。
「ですが――」
ローズは続ける。
「あなたが、命を賭けて踏み出す姿を見て……
しょげている場合ではない、と気づかされたのです。」
私の手を握る力が、ほんの少しだけ強くなる。
「王子が命を賭けて進むなら、私はその力になりたい……なるべきだと……思えたのです。」
それが、お礼です、と。
その言葉に、私は返す言葉を失った。
――“想い”。
その一言で片づけてしまうには、あまりにも切なく、重いものではないだろうか。
そんなことを考えた、そのときだった。
ひらり、と。
一匹のチョンチョンが飛んできて、ローズの左手の甲にとまる。
ローズは気にも留めず、右手で私の手を取り、左手にチョンチョンを乗せたまま、低く呟き始めた。
意味の分からない言葉が、規則正しく紡がれる。
次の瞬間。
チョンチョンの身体が、きゅっと縮んだ。
「……え?」
ローズの身体が、淡く光を帯びる。
その光が、私の指輪へと流れ込んでいくのが、はっきり分かった。
吸い込まれるように。
すべてを渡すように。
光が消えたとき、チョンチョンは、干からびた殻のようになって音もなく地に落ちた。
――沈黙。
セラも、ダリウスも、言葉を失っている。
ローズは、何事もなかったように手を放した。
「ウェアウルフとしての力を、少しだけ強化しておきました。」
淡々とした声。
「ですがあなたが弱いままであれば、意識を失うことに変わりはありません。
ご注意を。」
「……はい」
喉が、少し詰まる。
「ありがとうございます。」
そう言いながら、私は思わずセラをちらりと見た。
セラは――
何とも言えない表情をしていた。
否定ではない。
怒りでもない。
ただ、複雑で、揺れている。
ああ、と私は思う。
セラは、私が戦うことそのものに、まだ抵抗があるのだ。
それを、改めて、はっきりと感じていた。
首なし馬が、蹄を鳴らす。
御者台に乗ったデュラハンが手綱を引き、馬車はゆっくりと動き出した。
「いい勉強、させてもらったよ。」
チョンチョンが、セラに向かって言い残す。
他のチョンチョンたちとともに、空を舞い、馬車を追いかけていった。
やがて、森の円環に静寂が戻る。
「……改めて、アムステルを目指しましょう。」
セラが言った。
「そうだな。」
ダリウスが頷く。
私は、ふと気づいて言った。
「そういえば……
渡し船の船員さん、逃げてしまいましたよね……」
セラは、くすっと笑った。
「あのくらいの川幅なら――」
肩をすくめて、
「“鵺”に乗って、みんなまとめてひとっとびよ」
冗談めかしたその言葉に、セラが前を向いてくれたと安堵した。




