迷い - 4
語り:ダリウス・エルネスト
――つくづく、突拍子もない女だ。
ミレイユを見て、俺はそう思った。
信じている、と言い切って。
笑って。
そのまま、自分を獣に変える。
正気の沙汰じゃない。
だが、あいつはいつもそうだ。
言葉より先に、身体を差し出す。
ウェアウルフが、低く唸った。
次の瞬間、地を蹴る。
一直線――狙いはセラだ。
セラは、動けない。
迷っている。
鵺を呼べずにいる。
この距離、この速度。
考える余地はなかった。
俺は踏み込み、ウェアウルフの真横から体当たりを叩き込む。
骨に響く衝撃。
獣の巨体が弾き飛ばされ、土を抉って転がる。
そのまま、俺はセラの前に立った。
剣を抜き、背中で守る。
(……頼むぞ)
誰に向けた願いかも分からないまま、構えを取る。
ウェアウルフが、再び突進してきた。
速い。
今度は、俺が標的だ。
横薙ぎに剣を振る。
手応えは――ない。
刃先を、紙一重で外された。
次の瞬間、手元に衝撃が走る。
鍔元を、強引に押さえ込まれている。
力が違う。
剣が、完全に殺される。
「――くっ。」
腹に蹴りが叩き込まれた。
息が潰れ、視界が跳ねる。
身体が宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。
肺が悲鳴を上げる。
一瞬、世界が白くなった。
(……まだだ)
剣は、離していない。
そのとき――
視界の先で、セラが顔を上げる。
唇が震えている。
だが、目は逃げていない。
「……来て。」
かすれた声。
「お願い……来て……!」
空気が、揺れた。
風が集まり、渦を巻く。
次の瞬間、鵺が姿を現した。
黒い影が、ウェアウルフの前に立つ。
鵺が前に出る。
正面を外し、肩口に打撃。突進がずれる。
ウェアウルフが爪を振る。
鵺は半歩引き、胴に重い一撃。獣体が地面を打つ。
それでも立ち上がろうとする。
膝が笑い、重心が定まらない。
鵺が踏み込む。
溜め――次の瞬間、全身を叩きつけるような一撃。
ウェアウルフが宙を舞った。
土と草を巻き上げ、遠くの地面に叩きつけられる。
動かない。
分かってはいたが、鵺の戦闘力は以前のそれとは比べ物にならない。
鵺は立ち尽くし、低く唸る。
それから、ゆっくりと歩き出した。
明確な殺意。
戦闘は、もう終わっている。
だが、鵺にはそれが分からない。
(……ここからだ)
次に来るのは――とどめだ。
それを、セラが止められるかどうか。
今、この場のすべてが、そこに懸かっている。
鵺は、意識を失ったウェアウルフに向かって、歩みを進めていた。
「やめて!」
セラの叫びが飛ぶ。
だが、鵺は振り向かない。
(くそ……)
俺は剣を支えに立ち上がろうとして、膝が崩れた。
腹に残った衝撃が、まだ抜けきっていない。
(間に合え……)
そのときだった。
セラが、走り出した。
倒れて動かないウェアウルフの前に回り込み、両腕を広げて立つ。
自分の身体で、進路を塞ぐ。
「……ミレイユは」
一瞬、声が詰まる。
「ミレイユは、やらせない。」
はっきりとした声だった。
「あんたが何であれ……それだけは、許さない。」
鵺の歩みが、止まった。
低い唸り声が、空気を震わせる。
次の瞬間――
鵺が、大きく吠えた。
「……っ」
セラが、小さく息を漏らす。
胸元に手を当て、戸惑うように呟く。
「……今……戻った……?」
確信ではなく、何かを掴みかけたような声だった。
「……そうよね。」
その言葉に応えるように、鵺の身体が、ふっと軽くなる。
一気に跳び上がり、空へ駆ける。
風が唸る。
上空で、黒い影が閃いた。
――キィ、ギャッ、ギィィッ。
甲高く、掠れた鳴き声が夜気を裂く。
周囲を漂っていた蝙蝠が、次々と叩き落とされる。
空中で潰れ、地に落ち、音が途切れていく。
すべて、あっという間だった。
鵺は、役目を終えると地に降り立ち、そのまま風とともに、姿を消した。
静寂が、戻る。
セラが、大きく息を吐いた。
俺は、剣を地面に突き、身体を支えながら思う。
(……ひとまず、だな)
倒れていたウェアウルフは、ミレイユの姿に戻っていた。




