風と土 - 5
語り:ミレイユ・カロ
「あたしの胴体にもさぁ……癒しの力、もらえないかねぇ。」
場違いなほど軽い声が、重く沈んでいた空気を破った。
チョンチョンが、くるくると宙を回りながら言う。
その下で、デュラハンの胴体は地面に転がったまま、ぴくりとも動かない。
ヴァレリーが、眉間にわずかに皺を寄せた。
「ローズ。」
名を呼ぶだけで、声に苛立ちが滲んでいる。
「お前はデュラハンを連れて、さっさと家に帰れ。
戦争に首を突っ込むな。」
「帰りません。」
ローズは即答だった。
ヴァレリーは一瞬、言葉を失い、それから小さく溜息をつく。
「……やれやれだ。」
それ以上ローズを説得することは諦めたらしい。
代わりに、私たち三人へ視線を向けた。
「で、お前らはどうするつもりだ?」
セラが一歩前に出る。
「私とミレイユはアルビオン島の出身よ。
アムステルから船で渡って、故郷に帰るつもり。」
「それは無理だな。」
即答だった。
「なぜ?」
「フランカ帝国が海賊まがいのことをしているせいで、今、船は領内の行き来しかしていない。」
ダリウスが口を挟む。
「ノルドハイムからは無理だと?」
「ああ。
フランカの港から行くしかない。」
「それができたら、最初から密入国なんてしていない。」
「……密入国?」
ヴァレリーが怪訝そうに眉を上げる。
セラは肩をすくめた。
「婚約者が、私を殺そうとしてしつこいから。
こっそり実家に帰ろうとしたのよ。」
――そんな話だったかしら?
私は心の中で首を傾げたが、口には出さなかった。
「婚約者……?」
ヴァレリーの目が、はっきりと見開かれる。
「君は、エリアス・ヴァルメインの婚約者なのか?」
「そういうことみたい。
もっとも、私は破棄したいんだけど。」
「エリアスは、君が風の聖環の保持者だと知っているのか?」
「ええ。」
ヴァレリーは短く息を吐いた。
「それで国境を越えてまで追ってきた、か。」
セラは、まだ空を漂っている数匹の蝙蝠を指差す。
「それで、と言われても……
ここまでしつこい理由は、正直よく分からないわ。」
ローズが、静かに口を開いた。
「エリアス・ヴァルメインは、空の聖環の保持者です。」
「空……?」
ダリウスが首を傾げる。
「確か、火と空を持っていると言っていたが……」
「聖環は、本来、一つの番に対して一つの魔法具です。
ですが――」
ローズは淡々と続ける。
「空の聖環には、他の聖環を自分のものとして使う能力があります。」
「つまり……セラを追っているのは、それが理由か。」
ダリウスが言葉を継ぐ。
「セラさんだけではありません。」
ローズは首を横に振った。
「風、土、そして水。
全ての聖環を集めようとしています。」
沈黙が落ちた。
その中で、ダリウスが口を開く。
「……ヴァレリー。
我々は共闘すべきではないか?」
思わず、セラと顔を見合わせてしまう。
「聖環は全部で五つある。
エリアスが二つ、ここに君とセラの二つ。
手を組めば勝負になると思わないか?」
「断る。」
ヴァレリーは、迷いなく言った。
「なぜだ。」
「お前らの進む先に、エリアスを倒す未来があったのか?」
ダリウスは、言葉に詰まった。
「……」
「戦う意志もない――」
ヴァレリーは淡々と続ける。
「それにセラは、聖環と向き合う必要がある。
俺は、お前らが“仕上がる”のを待っているほど暇じゃない。」
そう言うと、ヴァレリーは鞄から紙と筆記用具を取り出し、素早く書き始めた。
書き終えると、それをダリウスに差し出す。
「この手紙を、アムステルのフォスター海運へ持っていけ。
助けになるかもしれない。」
「……ありがとう。」
戸惑いながらも、ダリウスは礼を言った。
「じゃあな。」
ヴァレリーはそれだけ言って、歩き出す。
「王子、待ってください。」
ローズが声をかける。
ヴァレリーは振り返らない。
「お前はデュラハンと家に帰れ。
命令だ。」
その一言が、重く落ちた。
ローズは何か言いかけて、口を閉ざす。
やがて踵を返し、デュラハンの元へ歩み寄ると、静かに手をかざした。
癒しの光が、再び灯る。
「……えっ?」
そのとき、手紙に目を落としていたダリウスが、思わず声を上げた。
全員の視線が集まる。
「ローズ……ヴァレリーとは……」
ローズは、デュラハンを癒しながら、淡々と答えた。
「あの方は、ノルドハイム王国第三王子。
ヴァレリー・ノルドハイム様です。」
セラと、私は顔を見合わせた。
言葉が、しばらく出てこなかった。
ノルドハイム連邦の頂点に君臨し、連邦を統べるノルドハイム王国。
その王子ともなれば、雲の上の存在と言ってもいい。
私はただ逃げているだけのつもりだった。
それなのに、関わってはいけない領域に踏み込んでしまったような気がした。




