風と土 - 4
語り:ミレイユ・カロ
地面が、立ち上がった。
最初は隆起だと思った。
だが、盛り上がった土は形を持ち、崩れずに留まり、やがてはっきりと“人”の姿を取る。
背は二メートルを優に超えている。
胴は分厚く、肩から腕にかけては岩の塊のようだ。拳と脚部は明らかに石でできていて、表面には削れた痕のような凹凸が残っている。
一方で、肘や膝、腰のあたりは土が締め固められたように滑らかで、重そうな体を無理なく支えていた。
動くたび、足元の地面が沈む。
「だめ……繋がってる感覚が、ない……」
セラの声が震えていた。
その光景に、私はアルビオン島でのブラックドッグとの戦いを思い出していた。
最初に鵺が現れた、あの戦い。
制御できず、呼び戻すこともできず、ただ暴れ続けたあの姿。
ヴァレリーが、短く息を吐く。
「女を痛めたくはないが……許せよ。」
その言葉に、セラは顔を上げた。
「……カイル。」
呼びかけるように、祈るように。
「もう、終わったのよ。」
けれど、鵺は振り向かず、むしろ低く唸った。
ゴーレムを、邪魔なものと認識したかのような声音だった。
次の瞬間、鵺が地を蹴る。
跳躍。
一直線に、迷いのない突進。
だが、ゴーレムは一歩も退かない。
石の拳が、短く突き出される。
大きな動きではない。ただ、最短の軌道で前に出ただけだ。
それだけで、鵺の動きが止まった。
空中で勢いを失い、叩き落とされるように地面に落ちる。
鵺はすぐに立ち上がる。
怒りに任せ、続けて跳びかかる。
同じ距離、同じ角度。
それを待っていたかのように、石の拳が再び伸びた。
鵺は弾かれ、後退する。
その瞬間、セラが小さく息を詰まらせ、腹部を押さえた。
「……っ」
声にならない声。
痛みが、確かに共有されている。
鵺は吼え、今度は跳躍を抑え、地を走って突進する。
体当たりに近い形で、力で押し切ろうとした。
ゴーレムはそれを正面から受け止めた。
岩の腕が沈み、土の関節が軋む。
それでも、後ろには下がらない。
直後、再び短い一撃。
鵺の身体が弾かれ、着地が乱れる。
セラが膝をついた。
呼吸が荒くなり、顔色が目に見えて悪くなる。
鵺は焦れていた。
動きが荒く、角度が甘くなっている。
ゴーレムの拳は、今度はやや低い位置を狙った。
石の塊が、腹部を打つ。
鵺の動きが鈍る。
同時に、セラが口元を押さえ、耐えるように俯く。
ゴーレムの構えが、一瞬だけ緩んだように見えた。
胴が、わずかに空いたように。
行ける、そう思ったのだろう。
鵺は、これまでで最も深く踏み込み、全力で跳びかかった。
その瞬間。
石の拳が、下から突き上がった。
鈍く、重い衝撃。
鵺の身体が浮き、空中で力を失う。
次の瞬間、地面に叩きつけられ、動かなくなった。
同時に。
「……っ、う……」
セラが前屈みになり、その場で吐いた。
身体を抱きしめるように崩れ落ち、荒く息をする。
ゴーレムは動かない鵺の首を片手でつかみ、そのまま身体を宙に吊り上げた。
そのとき、風が吹いた。
吊り上げられていた鵺の姿が、揺らぐ。
輪郭が薄れ、次の瞬間には、まるで最初からそこにいなかったかのように消えていた。
ゴーレムの手には、何も残っていない。
ヴァレリーが、短く息を吐いた。
「ローズ、セラに癒しを。」
ローズはすぐに反応し、セラのもとへ駆け寄る。
その場に膝をつき、そっと手をかざした。
淡い光が、ローズの手のひらから溢れる。
荒れていたセラの呼吸が、少しずつ整っていく。
肩の上下が落ち着き、苦しそうに歪んでいた表情も、わずかに和らいだ。
ヴァレリーは、その様子を見届けてから、セラに向き直った。
「……すまなかったな。」
セラは、すぐには答えなかった。
視線を伏せ、しばらく迷うような間があってから、口を開く。
「……複雑な気分だけど」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「カイルを……止めてくれて、ありがとう。」
ヴァレリーは、一瞬だけ目を伏せた。
「お前の生贄は、カイルという名前なのか?」
「そうよ。」
即答だった。
ヴァレリーは、少しだけ間を置いてから言った。
「一つ、言っておく。」
声は低く、だが冷静だった。
「魔物は、魔物だ。
カイルじゃない。」
その言葉に、セラの肩がわずかに強張る。
「それが分からないようでは……魔物は制御できない。」
ローズの手元の光が、ゆっくりと消えていく。
癒しは終わったのだろう。
セラは、深く息を吸い、吐いた。
そして、誰の手も借りずに立ち上がる。
「……難しい話ね。」
自分に言い聞かせるような声だった。
「一生、悩み苦しむ類いの話だ。」
ヴァレリーは、そう返した。
セラは、少し考えてから尋ねる。
「あなたは、乗り越えたの?」
ヴァレリーは、答えかけて、止まった。
一瞬だけ、その表情に影が差す。
すぐにいつもの無表情に戻ったが、それでも私は見逃さなかった。
「そんなわけ、ないだろ。」
短く、吐き捨てるように言って、彼は視線を逸らした。
その背中が、ひどく重く見えた。




