無知 - 3
語り:ミレイユ・カロ
ダリウスは、崩れ落ちたセラを抱えたまま、ローズに視線を向けた。
「今の話が本当なら……」
声は低く、押し殺されている。
「エリアスは……」
ローズは、わずかに頷いた。
「エリアス・ヴァルメインを止めるため、私たちは行動を開始しました。」
「止める?」
「はい。
彼は、聖環の力を用いてノルドハイムを滅ぼそうとしています。」
「滅ぼす、だと?」
ダリウスの眉が寄る。
「氷境戦争は半世紀以上続いている。
それを終わらせようとすることに、何の問題があるというんだ。」
その問いに答えたのは、ローズではなかった。
「さてねぇ。」
デュラハンが、槍に肘を預ける。
「どの立場で終わらすつもりなんだい?
騎士かい? 皇帝かい? 教皇かい? それとも――神かい?」
ダリウスは、言葉を失った。
戦争を終わらせる、という言葉は正しい。
けれど、誰がその終わりを決めるのか。
どこから、終わったと言えるのか。
ダリウスは、即答できなかった。
「……エリアスは」
ダリウスは、言い直す。
「己の野心のために、生贄を捧げたということか?」
「捧げるのではありません。」
ローズは、きっぱりと否定した。
「自ら、なるのです。聖環には、双方向の愛と犠牲が必要です。」
その言葉を聞いたとき、私は胸の奥で、何かが引っかかった。
カテドラで、私たちを殺そうとしたエリアス。
その男が、誰かと愛し合い、その相手が進んで生贄になる――どうにも、像が結ばれない。
理解できないというより、納得できない。
「君の、その聖環の話は」
ダリウスが言った。
「君個人の知識なのか? それとも、ノルドハイムの常識なのか?」
「私の知識です。」
ローズは即答した。
デュラハンが口角を上げる。
「この娘は魔女だからねぇ。」
「……魔女?」
ダリウスが怪訝な顔をする。
「魔物に変身する指輪は、ローズが作ったんだよ。」
その言葉に、私は思わずローズを見た。
彼女は、私と同じくらいの年頃に見える。
魔女、と言われても、現実感が追いつかない。
ローズは、淡々と説明した。
「フランカと違い、ノルドハイムでは魔法具を作り、用いることは禁じられておりません。
そのため、魔法具を作れる者を、魔法使い、あるいは魔女と呼びます。」
「……魔化の指輪が作れる者が、そこら中にいるというわけではないんだな?」
「いいえ。私だけでしょう。」
「なら、なぜ返せと言った?」
「改善の余地があるからです。」
「改善?」
「詳しくは申し上げられませんが……」
ローズは言葉を選んだ。
「今のままでは、エリアスを倒すための兵として、力が足りません。」
私は、その会話から一歩離れ、セラのそばに寄った。
肩を抱き、そっと声をかける。
「……大丈夫ですか?」
返事はなかった。
セラは、鵺を一点に見つめたまま、瞬きすらしない。
その視線の奥に、彼女が何を見ているのか――私は、分かってしまった気がした。
私には、鵺の中にカイルを見ているように思えた。
そう思った瞬間、これは声に出してはいけない、と強く感じた。
「ミレイユ。」
ダリウスが、私を呼ぶ。
「君は、あの魔物が誰か、知っているのか?」
胸が、わずかに跳ねた。
「……分かりません」
ばつが悪さを隠し、私はそう答えた。
そのときだった。
「あっ……」
セラの、かすれた声。
視線を向けると、鵺が、風とともに、霧散するように消えていくところだった。
セラは俯いたまま、動かなくなる。
「これじゃあ、戦うどころじゃないねぇ。」
デュラハンが、心底残念そうに言った。
「もう、勝負はついているだろう。」
ダリウスが返す。
「そういうことじゃない。」
デュラハンは、森の方へ顎を向けた。
「聞こえないのかい?」
その瞬間、草木をかき分ける音がした。
森の中から、醜悪なオークが現れる。
七匹。
棍棒を手に、こちらを睨みつけている。
「ずっと、あいつらに尾行されてたんだよ。」
デュラハンは、空を指した。
そこには、数匹の蝙蝠が舞っている。
私は、アストリア港近くの入り江で戦った、パープルヘイズのことを思い出した。
「意地が悪いですね……」
ローズが、ぽつりと言う。
デュラハンは肩をすくめる。
「私たち魔物はね、お互いの行動に干渉しないし、争わない。
不文律ってやつさ。」
オークの視線が、一斉にセラへ向く。
力なく座り込み、俯いたままの姿が、格好の獲物に見えたのだろう。
ダリウスも、それに気づいた。
弓を構え、私に視線を送る。
「……ミレイユ、こんなこと、頼みたくはないのだが」
ダリウスの低い声。
「分かっています。」
私は、間を置かずに答えた。
「……すまない」
オークたちが、棍棒を振り上げ、突進してくる。
「行くぞ!」
ダリウスの声に、私は迷わず右腕を掲げた。
「――魔化!」
身体が熱に包まれ、骨が軋む。
次の瞬間、意識が、遠のいていった。




