無知 - 2
語り:ミレイユ・カロ
ローズは、名乗ったあと、すぐには話を始めなかった。
森の円環の中は静かだった。
風もなく、木々の葉擦れすら遠い。
デュラハンは槍に体重を預けたまま、興味深そうにこちらを眺めている。
説明の場に立ち会うというより、結果を見届けに来た、という佇まいだった。
「聖環を理解するためには……」
ローズは、私たち一人一人を見回してから、丁寧に口を開いた。
「まず、魔物がなぜこの世に存在するのかを、知っていただく必要があります。」
「魔物の……いる理由?」
ダリウスが問い返す。
訝しむというより、確認に近い声音だった。
「はい。」
ローズは頷いた。
「神は、この世界の頂点を人間とはしませんでした。
人間が増えすぎぬよう、人間を狩る存在を最初から用意したのです。
それが、魔物です。」
言葉は穏やかだったが、内容は淡々と残酷だった。
「人間にとっての鹿や兎があるように、です。」
そこで、デュラハンが口を挟んだ。
「私たち魔物にとっちゃ、人間がそういう獲物ってことよ。」
軽い調子だったが、冗談ではない。
デュラハンは、事実をそのまま言っただけだ。
ダリウスが眉をひそめる。
「ルーメンの教えには、そういう話はないな。」
「ええ。」
ローズは否定しなかった。
「ルーメン教は人間が作った宗教です。
人間の都合に合わせて、真実を整えています。
それは悪意ではなく……人間という種が持つ性質なのだと思います。」
誰も反論しなかった。
ローズは、そこから先を、少し言葉を選ぶように語った。
太古の人間は、魔物と共に生きていたこと。
魔物に殺されることを、世界の循環として受け入れていたこと。
魔物もまた、デュラハンのように知性を持ち、節度をもって人間の数を調整していたこと。
だが、時が流れ、人間は死を拒むようになった。
魔物の中にも、知性ゆえに役割を疑い、人間に寄り添う者が現れた。
そしてついには、魔物と人間が愛し合い、番になろうとする者まで現れた。
「……愛し合う?」
セラが、ぽつりと呟いた。
「まあね。」
デュラハンが肩をすくめる。
「いつの世も、どこにでも、変わり者はいるものさ。」
ローズは続けた。
神も、魔物も、人間も、誰も受け入れない禁忌の愛は、不幸しか生まなかったこと。
その中で、生命を司る五大元素の力を使い、真に一つになろうとした者がいたこと。
その試みの末に作られた魔法具が、聖環であること。
「ずいぶん、ルーメンの教えとは違うな。」
ダリウスが言う。
「そうでもありません。」
ローズは静かに首を振った。
「一つになる、というのは、新たな魔物を生み出すということです。
それは、本来、神にしか許されない行為ですから。」
「……魔物を、生む?」
「はい。」
ローズははっきりと答えた。
セラが、思いついたように指輪を握りしめる。
「そうすると……私は、人間と魔物の、愛の結晶を使役しているってこと?」
そう言って、セラは鵺を呼び出した。
空気が揺らぎ、鵺の姿が現れる。
私の胸が、わずかに跳ねた。
「少し違います。」
ローズは、慌てる様子もなく続けた。
「生命は、雄と雌、男と女、二つの個体が協力して第三の個体を生みます。
しかし、人間と魔物では、それができません。
ですから、当事者同士が融合するのです。
それが“一つになる”ということです。
聖環は、その過程を助けるための道具にすぎません。」
「……よく分からないわね。」
セラの声は、乾いていた。
「ですが……」
ローズは、そこで一度、言葉を切った。
「あなたが聖環を使えるということは、誰かが、あなたと融合することを選んだ、ということです。」
セラは、その言葉を理解する前に、動きを止めた。
驚きすぎて、声も出ない、という顔だった。
「自分と溶け合おうっていう相方を知らないってんだから、そりゃ、笑うしかないだろうよ。」
デュラハンが高笑いする。
「私は……」
セラは、指輪を見つめたまま言った。
「母の形見として、この指輪を受け取っただけよ。
そんなこと、言われても……」
「お心当たりは、ありませんか?」
ローズの問いは、静かだった。
「ないわ。」
即答だった。
「ですが……」
ローズは視線を逸らさない。
「あなたの聖環には、確かに、誰かの命が捧げられています。」
「……命を、捧げる?」
セラの声が、震えた。
「誰かが、あんたのために生贄にならなきゃ、聖環は目覚めない。」
デュラハンが言う。
「聖環が目覚め、聖環の力で形を変えた生贄がその魔物さ。
生贄がそこまでしてるのにあんたが何も知らないんじゃ、魔物も全力を出せないだろうよ。」
私は、生贄、という言葉に、胸が強く鳴った。
物騒すぎる響きが、現実として迫ってくる。
「生贄……」
セラが、同じ言葉をなぞる。
「その言葉を使うのであれば」
ローズは、少しだけ声を低くした。
「あなたも、その生贄を愛していなければ、聖環は力を発揮しません。
ですから――あなたが知らない人間であるはずがないのです。」
セラは、鵺を見た。
その身体が、小さく震え始める。
「そんな……」
声が、掠れた。
「あなた……うそでしょ……」
涙が溢れ、膝から崩れ落ちる。
「セラ!」
ダリウスが駆け寄り、抱きとめた。
私は、その光景を少し離れた場所から見ていた。
そのとき、私の中で、一つの名前が浮かんだ。
――カイル・セリオン。
口には出さなかった。
出すべきではないと思った。
ただ、浮かんでしまった。
それだけだ。
森の円環の中で、セラの悲鳴にも似た泣き声だけが、いつまでも響いていた。




