分岐点 - 2
語り:ミレイユ・カロ
船頭が川へ落ちた、その直後。
チョンチョンたちは、こちらへ向かってくる――
そう思った。
でも、違った。
甲高い鳴き声を残し、それらは一斉に高度を上げ、私たちの頭上を越えて飛び去った。
「……え?」
誰かが、間の抜けた声を漏らす。
視線を追うと、チョンチョンたちは街道の先で高度を下げていた。
土煙。
そこから現れたのは、馬車だった。
二頭立て。
だが、背筋が冷える。
馬には、頭がなかった。
御者と思しき人影も、首から上が存在しない。
そして、馬車の後部。
黒いローブに身を包み、フードを深くかぶった人物が、静かに座っている。
チョンチョンたちは、その馬車に寄り添うように飛び、並走していた。
「……デュラハン、みたいね。」
デュラハン――
死を告げる首なし馬車の怪談を子供のころに聞いた覚えはあるけれど、本当にいるなんて。
セラの声が、わずかに硬い。
ダリウスは即座に判断した。
「今のうちに逃げろ!」
逃げてきた男たちは、言われるまでもなく我に返り、川下へと走り去る。
馬車は減速し、私たちの前で止まった。
馬車の脇から、騎士のような身なりのデュラハンが降り立つ。
首は、ない。
その右手には、長い槍が握られていた。
石突きが地面に触れ、低く、重い音が響く。
チョンチョンたちが、円を描くように周囲を飛び交う。
空気が、張りつめる。
ダリウスは弓を下ろし、剣に手をかける。
セラも、無言で足を踏み替えた。
そのとき。
一体のチョンチョンが、ゆっくりと高度を下げた。
それは、女の顔をしていた。
整った輪郭。
青白い肌。
人形めいたほど端正な、美しい顔。
けれど、目だけが冷え切っている。
その女の頭部だけが、人なら本来、首があるはずの場所へ降り立つ。
まるで、そこが本来の居場所であるかのように。
喉が、ひくりと鳴った。
理解より先に、嫌悪と恐怖が込み上げる。
(チョンチョンと、この首のない騎士は、繋がっているの?)
「船を使うなんて、思わなかったわ。」
デュラハンから聞こえてきたのは、苛立ちを含んだ女の声だった。
「手間をかけさせてくれる。」
(しゃべるんだ……)
背中に、冷たい汗が滲む。
馬車の上から、ローブを着た乗員が静かに降りてくる。
近づいてくるだけで、息が詰まる。
私の前で立ち止まり、手を差し出す。
「指輪を、返して。」
女性の声だった。
頭が、うまく働かない。
どう答えればいいのか。
答えていいのかさえ、わからない。
「あれを。」
セラの声で、はっと我に返る。
私は慌てて鞄を探り、ミノタウロスに魔化する指輪を取り出した。
震える手で、ローブの女の掌に置く。
その瞬間。
――ぐっ。
右手首を、強く掴まれた。
「きゃっ……!」
「それだけじゃない。」
デュラハンの視線が、私の指にあるもう一つの指輪へ向く。
「それも、返すんだよ。」
「……外れないんです。」
声が、かすれる。
「じゃあ……」
握る力が、さらに強まる。
「この手ごと、もらうしかないね。」
痛みと恐怖で、息が詰まる。
その瞬間、風が走った。
鵺が、デュラハンへ飛びかかる。
デュラハンは舌打ちし、私の手を放して後退する。
「あんたは下がりな。」
首のない騎士がローブの女性に向けて、低い声で告げた。
「ここから先は、私がやる。」
ローブの女は一瞬だけこちらを見てから、何も言わず、馬車へ戻った。
馬車が、再び走り出し、土煙の向こうへ消えていく。
馬車が遠のくと、人なら頭があるはずの場所に留まっていたあの女の顔が、ふわりと浮き上がった。
首元から離れ、 巨大な耳をひときわ大きく広げる。
一拍遅れて、甲高い鳴き声。
女の頭部は、デュラハンの体から完全に離れ、私たちを取り囲むチョンチョンの群れに加わる。
デュラハンは、手にした槍を大きく振り回した。
空気が裂ける。
そして穂先をこちらへ向け、静かに構える。
――逃げ場は、なかった。




