神使と呼ばれて - 4
語り:ミレイユ・カロ
人気のない場所を求めて、私たちは三人で、小高い丘の上まで歩いてきた。
振り返ると、眼下に漁村が広がっている。
三十軒ほどの家が寄り集まり、その先の海には、漁船らしき影がいくつも見えた。
「冗談じゃ、すまない雰囲気になってきたな。」
ダリウスが、低く呟く。
「神使さまと、お供、ですって。」
セラが、どこか乾いた調子で言った。
「その“神使さま”って呼び方、やめてもらえませんか。」
思わず口を挟む。
「あ、ごめんなさい。」
セラはすぐに謝った。
「あ、いえ……そんな……」
慌てて取り繕う。
自分でも、何を言っているのかわからなくなる。
「この様子だと、アムステルへ行く方法を考える前に、どうやって脱出するかを考えなきゃならないな。」
“脱出”。
その言葉に、胸がひくりとした。
カテドラから逃げ出したときのことが、嫌でも脳裏によみがえる。
「力ずくは避けたい。
できれば、理解を得たいところだ。
それに、ノルドハイム領内の地理は詳しくない。
迷うわけにもいかない。」
そのとき、セラが黙り込んでいることに気づいた。
「……セラ?」
ダリウスが声をかける。
セラは、少し考えるように視線を落とし、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「ねえ……
アムステルに、そんなに急ぐ必要って……あるのかな?」
思わず、息を呑んだ。
ダリウスも、目を見開いている。
セラは、続ける。
「私たちは、ミレイユがアルビオンに無事に帰れるように旅をしてきた。
そのために、アルビオン行きの船に乗ろうとして、アムステルへ向かっている。」
言葉を切り、それから、静かに言った。
「アルビオンに行くのは、ミレイユの安全のためだと思ってた。
でも……
もし、安全が確保できるなら、無理に向かう必要は、ないのかなって。」
頭の中が、真っ白になる。
血の気が、すっと引いていくのがわかった。
「……自分が、何を言っているかわかっているのか?」
ダリウスの声は、硬かった。
「わかってる。」
「なら、どうしてだ。」
セラは、唇を噛みしめてから答えた。
「聖環をはめてから、戦ってばかりでしょう。
……呪われてるんじゃないかって、本気で思うこともある。」
視線が、私に向く。
「その中で、ミレイユは……
ウェアウルフになってまで、戦わなくちゃならなくなった。」
胸が、痛む。
「このまま、ミレイユを連れて旅を続けていいのか……
自信が、なくなってきたの。」
「……神使として、崇拝の対象になれば、安全だと?」
ダリウスが、慎重に問い返す。
「……私と一緒にいるよりは。」
その言葉に、ダリウスは何か考え込むように、口を閉ざした。
――涙が、止まらなくなった。
カテドラ郊外の森を出るとき、仲間でいようと言われて、嬉しかった。
セラやダリウスの役に立とうと、できることを考えて、頑張ってきたつもりだった。
けれど。
(……私は、お荷物だったの?)
そんな考えが、胸の奥から、じわじわと広がっていく。
「……ミレイユ?」
二人が、私の異変に気づく。
「ごめんなさい。」
「勝手に話を進めて……」
慌てて謝る二人を見て、私は、意を決した。
「……私、この村に残ります。」
言葉にした途端、胸の奥が、少しだけ静かになった。
「ミレイユ、待て。」
「それは――」
二人は、何か言おうとしたが、言葉にならない。
「村の方たちは、こんなに良くしてくださるんですから。」
涙が止まらないまま、それでも、続ける。
「……悪くない、ですよね。」
二人は、絶句していた。
「セラ様には、指輪はだめって言われましたけど……」
自分でも、笑っているのか泣いているのかわからない。
「いざとなったら……
使っちゃいますよ。
神使ですから。」
そう言って、涙を拭った。
「そうと決まれば、村に戻りましょう。」
背を向けて、歩き出す。
重い空気の中、二人が黙ってついてくるのがわかった。
村へ戻る途中、道端にいた村人が、私を見るなり手を合わせた。
「神使さま……」
ありがたそうな視線。
(……これを、受け入れていくの?)
考えただけで、うんざりした気分になる。
村長宅の前に着いたときだった。
家の中から、怒鳴り声が聞こえてくる。
「この村のためだと、何度言えばいい!」
「俺の人生を、何だと思ってるんだ!」
次の瞬間、扉が開き、青年が飛び出してきた。
――ロニー。
目が、合った。
奥から、村長の奥さんの声が響く。
「ロニー!」
青年は、振り返らずに走り去っていった。
追いかけようとしていたらしい奥さんと鉢合わせる。
「あら……神使さま。
お帰りなさい。」
明らかに、取り繕った声だった。
続いて、村長が出てくる。
「これは……お恥ずかしいところを。」
「どうか、されたんですか?」
尋ねると、夫婦は、言いよどんだ。
「ああ、いえ……
とりあえず、お入りください」
皆でテーブルにつく。
村長は、姿勢を正した。
「村を代表して、私はやはり、神使さまにこの村にいていただきたい。」
返事をしなければ。
そう思うのに、声が出ない。
「そこで……」
村長は、少し間を置いて言った。
「ぜひとも、我が息子ロニーと、夫婦になっていただきたい。」
「……え?」
私と、セラと、ダリウス。
三人の声が、重なった。
「そう考え、ロニーに話したところ……
先ほどのありさまでして。
お恥ずかしい限りです。」
――もう、限界だった。
椅子を蹴り、立ち上がる。
何も言えないまま、私は家を飛び出した。
胸の奥で、何かが、はっきりと音を立てて壊れるのを感じながら。




