航路を開く - 5
語り:ダリウス・エルネスト
戦いのあと、俺たちはミレイユを小屋まで運び込んだ。
漁師たちの手も借り、どうにか全員が身を横たえられるだけの場所を作り、そのまま島で一夜を明かすことになった。
眠れたのかどうか、自分でもよく分からない。
気がつけば、空が白み始めていた。
体を起こし、真っ先にミレイユの様子を確認する。
浅いが、規則正しい呼吸。顔色も悪くない。
指輪の力を使った反動については、セラのほうが詳しい。
彼女に言わせると、力を使い切れば似たような状態になるらしい。
「一晩、ちゃんと休めば……たぶん大丈夫。」
そう言われて、ようやく胸の奥の重石が少しだけ軽くなった。
小屋の中を見回す。
漁師たちは、疲れ切った様子でまだ眠っている。
だが――セラの姿がない。
嫌な予感がして、外に出た。
夜明け前の空気は冷たく、肌寒い。
小屋の外に回ると、岩場の先、海を見下ろす場所に人影があった。
セラだ。
近づくと、彼女は気配に気づいたらしく、振り返った。
「早起きだな。」
「……寝られなかった。」
短い答え。
その声だけで、昨日の出来事がどれほど堪えたかが分かる。
(ミレイユのことか)
あの光景を、セラが平然と受け止められるはずがない。
彼女は海を見つめたまま、ぽつりと言った。
「私が倒れて、アストリア港の宿屋で目を覚ましたとき……
ミレイユがね、鯛のスープを作ってくれたの。」
意外な話だった。
「すごくおいしくて……あれで、ずいぶん元気が出た。」
セラは自分の手を見下ろす。
「だから、今度は私が。
ミレイユが目を覚ましたら、何か温かいものをあげたくて……魚を探してるの。」
手ぶらだな、と思って口にした。
「釣り竿は?」
セラは、何でもないことのように右手を振る。
黒い影が現れ、鵺が姿を取った。
「獲ってきてもらえばいいかなって。」
……聖環の使い方として、どうなんだろうな。
そんな考えが頭をよぎる。
ふと足元を見ると、岩の隙間に張り付いた黒い塊が目に入った。
「魚もいいが……これも、うまいぞ。」
「え……?」
セラは岩に張り付いたそれを見て、眉をひそめた。
「それ……食べ物なの?
どう見ても、何かの生き物が固まってるようにしか見えないんだけど。」
「疑うなら、漁師に聞いてみろ。」
納得したとは言いがたい表情だったが、セラは鵺を引っ込め、岩場にしゃがみ込んだ。
俺も隣に腰を下ろし、カメノテを剥がし始める。
しばらく、波の音だけが続いた。
やがて、セラがぽつりと口を開く。
「……自分のせいで、誰かが傷つくのって、やるせないわ。」
手を止めずに、続ける。
「戦えないミレイユが、自分の身も顧みずに……
もし、私の代わりに死んでたらって考えると……。」
言葉が途切れた。
俺も、黙って貝を剥き続ける。
「守るのは……本来、俺の役目だ。」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
「無力さを突きつけられると、自分が何者なのか分からなくなる。」
セラは首を振った。
「私の命に、犠牲はいらないのよ。
ミレイユはもちろん……ダリウスも。」
その言葉で、思い出す。
アルビオン島で襲撃を受けたとき、彼女は同じことを言っていた。
セラは、こちらを見た。
「ねえ。
戦場で、部下が犠牲になるとき……隊長って、どんな気持ちになるの?」
少し考えてから答える。
「勝ち戦でも、負け戦でも……犠牲のない戦はない。
だから、最後は運だと割り切るしかない。」
「……ずいぶん、乱暴なのね。」
「訓練や作戦で、生存率を上げることはできる。
だが、突き詰めれば、それぞれの運だと考えないと……
騎士や戦士は、やっていけない。」
セラは少し考え込み、やがて言った。
「じゃあ……ミレイユは、運よく無事でよかった、って考えるべき?」
「それもある。」
俺は頷く。
「だが、それだけじゃ足りない。
俺たちは、ミレイユのおかげで助かった。
その事実に、感謝して……反省するしかない。」
セラは、小さく息を吐いた。
「……じゃあ、感謝と反省の意を込めて……」
手にしたカメノテを見つめる。
「この、不気味な貝を、せっせと集めますか。」
俺は苦笑した。
「お礼は、ちゃんとしなくちゃな。」
夜明けの海は、静かだった。




