村の危機 - 9
語り:ミレイユ・カロ
つむじ風とともに鵺が姿を消したその瞬間、教会の前にいた村人たちがざわめき始めた。
「……教会の中に、もう一人いたよな」
「グリーブの若いのが一人、化け物に放り込まれて……」
「今のうちに引きずり出して、きっちりケリをつけねぇと……」
恐怖に耐え続けた反動なのだろう。
村人たちの顔には疲労と安堵と、それから復讐の色が混じっていた。
この場に残った“最後の敵”を、自分たちの手で消し去りたい――
そんな空気が、ひしひしと伝わってくる。
「待て。」
ダリウスが剣を手に、村人たちの前へ歩み出た。
「この件は、国教騎士である俺が預かる。
誰も勝手な真似はするな。」
抑えられた声だったが、誰よりも強かった。
村人たちは互いの顔を見合わせ、しぶしぶ後ろへ退く。
「……わかったよ、騎士さま」
「任せる……任せるから、もうこれ以上は勘弁だ……」
確かな安堵が広がる。
恐ろしい魔物の死を見た後で、人々はもう、血を見る気力など残っていないのだ。
ダリウスは一度肩で息をし、それからシメオンへ向き直った。
「シメオン……済まないが、魔物化した二人の遺体から指輪の回収を頼めるか?」
シメオンは返事の代わりに一礼し、ミノタウロスとウェアウルフの亡骸へ迷いなく歩いた。
死体の匂いも血の跡も気にする様子はなく、丁寧に、ふたつの魔化の指輪を回収する。
(この人、本当に執事なのだろうか?)
その所作があまりにも落ち着いているため、私はつい場違いな疑問を抱いてしまった。
ダリウス、セラ、そして私で教会の中へ踏み入る。
薄暗い空気の中、最後のグリーブ――若い男が転がっていた。
震えながら、壁を背に逃げようとしている。
「ひ、ひぃっ……! 来るな、来るな……!
俺が何をしたっていうんだ……!」
(……ラドの最期と比べると……)
胸が重くなる。
同じ仲間の中に、こんなにも違う“最期の形”があるものなのか。
ダリウスは近づくと膝をつき、淡々と話し始めた。
「名を名乗れ。
そして、この村を襲うに至った経緯を話せ。」
男は怯えながらも、諦めたように口を開いた。
「……ペトル、です。
何でも話す、助けてくれるなら……!」
セラはダリウスと目を合わせただけで、言葉を挟まなかった。
ダリウスが軽く頷くと、ペトルは震えた声で語り始めた。
「俺たちは、もともとグリーブの隊で……
氷境戦争のルーヴァ平原で、フランカ帝国の傭兵として戦ってました。
半世紀も戦が続いてる、あの……地獄みてぇな場所で……」
ペトルは唇を噛みしめ、床を見つめたまま、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「その戦で負けて……殿を任されたのが、グリーブの隊で。
帝国の連中が退く時間を稼ぐために、隊長とヤンと俺たちが、最後まで踏ん張って……
けど、本当にどうにもならなくなって、命からがら逃げたんだ……」」
しかし帝国軍は、敗戦の責任を誰かに押しつける先を探していた。
誰かを憎まずにはいられなかったのだろう。
そして、差別されてきた旅の民は、その矛先として最も都合がよかった。
「街に戻ったら、帝国軍に囲まれて……
『お前たちだけ生き残るのは変だ、さては仲間たちは裏切り者だな』って……
俺たちグリーブは最初から信用されてなかった……
給料ももらえず、追い出されて……森に逃げたんです……」
そこで“魔女”に出会ったのだという。
「全部知ってやがったんです。
俺たちのこと、ラド隊長の怒りも全部……
『魔化の指輪があれば、お前らの望みは叶う』って……」
魔化の指輪。
思わず、教会の外でシメオンが回収しているはずのそれを思い浮かべる。
「値段は高かった。そりゃもう、耳を疑うくらい。
隊長は渋ってました……けど、ヤンが……
『買いましょう』って。
『二つ買って、まずはさっきの帝国軍に痛い目を見せてやろう』って……」
全員の有り金全部をはたいても、二つ買うには資金は足りなかった。
だから一つは正規品、もう一つは“おまけ”――
結果として、正規品のラドはウェアウルフとなり、おまけのヤンはミノタウロスになった。
「街に戻って……隊長とヤンが、あっという間に帝国軍の部隊を潰しました。
誰も……誰も残らなかった。
それで、みんな気が大きくなって。
そしたら……隊長が言ったんです。
『俺たちの居場所を作る』って……」
彼らは拠点にふさわしい場所を求め、ついにこの村を“居場所”にすると決めてしまった。
すべてを語り終えると、ペトルは肩を落とし、ただうずくまった。
「逃げなさい。」
静かだが強い声で、セラが言った。
「裏口からなら、まだ陽のあるうちに森へ入れる。
あなたが生きる道を、自分で選びなさい。」
「セ、セラ……?」
「本気で言っているのか……?」
思わず声が重なった。
セラは私たちを見ず、ただペトルを見つめていた。
「ラドへの……手向けよ。
これ以上、哀しい死に方をするグリーブを、見たくないの。」
その言葉は優しさではなく、ラドの誇りへ向けた敬意に聞こえた。
しかしペトルは震えた声で尋ねた。
「仲間は……他の仲間は……?」
ダリウスは目を伏せずに答えた。
「全滅した。」
ペトルの表情がすうっと変わった。
恐怖でも絶望でもなく――覚悟の色だった。
「じゃあ、俺は……ここで死にます。
隊長と……みんなのそばで。」
立ち上がり、ダリウスの前に膝をついた。
「兄ちゃん……俺と、一騎打ちを。
みっともない死に方だけは、したくねぇ。」
ダリウスは目を閉じ、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。」
教会の中央で、二人は向かい合った。
ペトルが突っ込む。
その剣を、ダリウスは静かに受け流し――
胸の中心へ、一突き。
苦悶はなく、ただ満足したような吐息が漏れた。
「……ありが……とう……ございます……」
そのまま、静かに息を引き取った。
ダリウスは剣を抜き、血を落とし、胸の前で両手を組む。
「光の神ルーメンよ。迷える魂に、安らぎの導きを。」
三度、祈る。
セラも、私もそれに倣った。
外へ出ると、夕日が村を赤く染めていた。
「グリーブは全員、処分した。
この件は――すべて終わった。」
ダリウスが宣言すると、村人たちは安堵の息を吐いた。
そのとき、シメオンが近づいてきた。
掌には二つの魔化の指輪が載っている。
「お預かりして参りました。」
「ありがとう。」
ダリウスはそれを受け取り、私へ手渡した。
「ミレイユ、これを持っていてくれ。」
「えっ、わたしですか? なぜ……?」
「小さいものの保管は、俺は得意じゃない。」
妙に素直な物言いに、思わず笑いそうになった。
緊張のあとで、少しだけ心が軽くなる。
シメオンが軽く咳払いをする。
「ダリウス様。
だいぶお疲れのように見受けられます。
お連れ様と一緒に数日はここに逗留されるとよろしいかと。
村長殿が、ご自宅の空き部屋を提供くださるそうです。」
呼ばれた村長が、恐縮した様子で頭を下げる。
「我が家には空き部屋がございます。
狭いところではありますが、どうかお使いください。
村を救っていただいた礼には、とても足りませぬが……」
ダリウスはセラと私を見て、静かに頷いた。
「お世話になります。」
長い戦いの幕が、ようやく閉じたのだと感じた。




