村の危機 - 5
語り:ダリウス・エルネスト
――まずい。
退治すべき魔物が、二体になった。
目の前のミノタウロス。
そして横合いで鵺と高速で斬り結ぶウェアウルフ。
戦争で何度も死線を潜ってきたが、今まで以上に肩の芯が冷たくなる光景だ。
(セラの援護に回りたい……だが)
ちらりと視線を向ける。
ウェアウルフの狙いは明らかにセラ。
本来なら助けに走るところだ。
だが、セラの正面には鵺が立っている。
あれがいる限り、ウェアウルフも簡単には斬り込めない。
むしろ、俺が動けばミノタウロスまでセラに向かいかねない。
(ならば俺はこいつを、ここで止める)
背から手を伸ばすと、矢筒は空だった。
十本すべて射尽くし、そのうち四本はまだ相手の体に刺さったまま。
肩、腹、脚に二本。
それでも――
(効いているようには見えん……)
赤黒い血を流しながらも、ミノタウロスは怒りを膨らませている。
殺意は、完全に俺へ向いていた。
距離では戦えない。
俺は弓を放り、剣を抜いて中段に構えた。
右手側へ身を回す。
ミノタウロスの右手――魔化の指輪が嵌まった腕。
あれさえ落とせば魔化が解けるかもしれない。
確証はない。だが、戦術的に狙えるのはそこしかない。
ミノタウロスが鼻を鳴らし、斧を振りかぶる。
荒い呼吸が地鳴りのように響いた。
「ッ!」
大地を割るような音とともに斧が落ちた。
空気が押し潰されるほどの衝撃。
あれを受ければ、剣ごと体が断ち割られる。
身をひねって刃の外へ飛ぶ。
同時に、剣の切っ先を右手首へと滑らせる。
肉を裂く確かな手応え。
「ギャアッ!」
ミノタウロスが悲鳴を上げた。
だが浅い。手首を落とすには遠い。
(それでも、これしかない。削って、削って……落とす)
覚悟はある。
だが恐怖もまた、明確にあった。
ミノタウロスの踏み込みひとつひとつが、“死”そのものだ。
振り下ろされる斧は、かすっただけで俺を終わらせる。
(間合いを詰め切れない……このままでは押し切られる……)
それでも退かない。
退けば、セラが死ぬ。
再び右旋回。接近。躱す。斬撃。
「グワアッ!」
二度目の悲鳴。
手ごたえは薄いが、積み重ねるしかない。
その瞬間――
右手を落とす、という決意が胸に強く灯り、脳裏に炎が走った。
燃え盛る屋敷。
焦げた空気と煙の匂い。
右腕のない父が、こちらへ手を伸ばしてくる光景。
(……今は、思い出すな)
歯を噛みしめ、意識を戦場に戻す。
ミノタウロスが吠えた。
「許さねぇ! ぶっ殺す!!」
足元の死体――グリーヴの男を掴み、乱暴に投げつけてきた。
風を裂く重い音が迫る。
「ちっ!」
身を沈めて避ける。
直後、別の死体を拾い上げ、再び投げつけてきた。
(またか……!)
今度は右へ跳ねて回避。
血と土が背に弾ける。
だがミノタウロスは止まらなかった。
セラの風で倒れ動けないグリーヴの一人を掴み上げる。
「や、やめろ! やめて――!」
懇願の叫び。
だがミノタウロスは容赦なく、男の首をねじ切った。
「うるせぇ!!」
骨が砕ける音とともに、死体が三度俺に向かって飛ぶ。
「――ッ!」
反射で身を翻す。
生臭い風が頬をかすめた。
地へ転がった死体のそばで、別のグリーヴが絶叫する。
「ラド隊長ぉ! ヤンがイカレちまったぁ!!」
その声に反応するように、ウェアウルフが吠えた。
鵺と激しく打ち合いながら、ミノタウロスへ怒鳴りつける。
「ヤン! 味方も敵も見えねぇのか、テメェの脳みそは牛以下か!!」
「俺を……俺を馬鹿にするやつは殺す!!」
ミノタウロスがウェアウルフへ突進する。
斧の一撃。しかしウェアウルフは紙一重で避け、逆にミノタウロスの顔面を蹴り飛ばした。
「ガッ!」
よろけるミノタウロス。
ウェアウルフは距離を取り、吐き捨てる。
「ったく……あの魔女、欠陥品を寄越しやがったな……気に入らねぇ……。」
互いに殺意を向け合い始める二体の魔物。
状況は最悪の混乱だ。
(どうする……?)
息を荒く吸い込み、剣を握り直す。
混乱は危機だが――同時に“隙”でもある。
(この混乱……利用できるか?)
ミノタウロスとウェアウルフは、互いを“敵”として認識し始めている。
俺の存在が、その一瞬解けた。
(動くなら、今しかない)
じり、と足の向きを変えた。




